ダンゴムシに似ている

イリナ・グリゴレ

人類学者のグレゴリー・ベイトソンの本と私の出会いは、人類学を専攻した当初からあった。映像人類学に興味があった私は、ベイトソンとミードのTrance and Dance in BaliをYouTubeで飲み込むように見て、やはり「これだ」、私がやりたいのは「これだ」と再確認した。ミードのナレーションは「科学的」なナラティブを目指しているにも関わらず、トランスに入る人々の身体をスローモーションで映し出しているため、映像を見ている側までトランスに入る気分になる。

獅子舞のフィールドワークを始めていた私は、永遠に踊りとイメージの魅力から抜けなくなるという予感がした。今でもきっと私はずっとベイトソンとミードがバリ島で撮った映像を再現し続けようとしている気がする。バリの踊りはいつも夜に行なわれる。だが、ミードたちには1930年代の機材で撮るという制約があったので、地元の人々は特別に昼間に演舞することにした。いつもトランスに入る女性は年寄りの女性だったのに、白昼だからと村の偉い人は若い「美しい」女性を出演させた。それでも、真実に、永遠に、あの人類学者のレジェンドがバリの踊りとトランスを映像に収め、映像人類学という新分野が生まれた。このフィールドワークがきっかけで二人は結婚し、一人の娘、二万五千枚の写真、六千七百五メートルの十六ミリフィルムとして結実し、『バリ島人の性格―写真による分析』という名著が出版され、それまで文字中心であった学問に新たな展開が開けた。

この挿話は人類学者なら誰でも知っているが、私はフェミニズムにも影響を与えた同性のミードよりも、ベイトソンの方にむしろ興味を覚えた。研究者として、女性の私は女性を対象にフィールドワークしてきて、男性中心の学問の中で突出したミードに共感するのがあたりまえだが、なぜかベイトソンに興味が湧いたのだ。彼の映像と写真の撮り方に不思議なものを感じた。偶然だと思うが映像を見る前、彼が書いたNavenを読んで、ニューギニアのイアトムルという「首狩り族」の儀式の話を知った瞬間に私の身体の感覚を奪った。Navenの時だけ、普段は厳格に守られている常識とルールを破っても良くなり、女性は男性となり、男性は女性となり、この儀式によって、一時的にお互いの感覚を味わうことができる。一日でもいいから男になってみたいと思っていた私に、世界が広い視点から見えた。ベイトソンの本は彼にとって実験だったというが、アメリカ社会を含めて、世界に向けたイアトムル族の思想がどれだけ共感できたのか不明だ。『アナーキスト人類学のための断章』を書いたデヴィッド・グレーバーもいっているように、一般のアメリカ人にとっては、イアトムルのような人たちはアメリカの日常世界から隔離されており、本当は「原始人」とか単純社会など存在しないことが信じられないという。人類学は、「未開社会」や「原始社会」が現代世界では虚構に過ぎず、自分たちの社会は他の社会と比べて優れているとはいえないことを論証してきたにもかかわらず。

さて、ベイトソンの死後、未刊行論集『精神の生態学』(原題Steps to an Ecology of Mind)、が出版された。序文を書いた娘は、ベイトソンの講義は外国語のように聞こえ、「ベイトソンは何かを知っているが、わたしたちに通じない」という噂がベイトソンの耳に届く程だったという。この本だけでなく、ベイトソンの理解がどんどん学問の世界では薄くなって、逆に言えば学問はベイトソンの考えに追いつけなくなったのかもしれない。こうした思考は明らかにバリとニューギニアで得られた西洋的ではない視点から生まれたが、聞いている人々には「外国語」にしか聞こえなかった。

東京大学でEthnographic Filmという本の著者、学者のK. Heiderと面会した。かつてベイトソンと友人だったと聞いて、とても羨ましかった。ベイトソンを表す言葉は一言だった、それは「紳士」だそうだ。この言葉を聞いて、憧れていたベイトソンと実際に会った気がした。そうだ、私は女性だが、「紳士」になりたいと思った。アメリカ人のハイダーがいう「紳士」とは、貴族みたいな人を差しているのではなく、イギリス出身のベイトソンの開かれたマインドを表す言葉だと思う。今日の人類学では同じイギリス出身の「紳士」、ティム・インゴルドに受け継がれた。

ベイトソンの論集の第一部は「メタローグ」と名づけて、自分の娘との会話をそのまま載せている。子供の時から周りとのコミュニケーションがうまくいかず、言葉に疑問しか持ってなかった私にとっては、ベイトソンが自分のエッセイに子供とのこうした会話を入れることは救いだった。メタローグとは簡単にいうと、会話の構造と形式が議論されている問題に関連しているということだ。ベイトソンははじめにメタローグの定義を書いた後にこう書く。「進化論の歴史は人間と自然の間のメタローグであり、アイデアの創造と相互作用は必然的に進化のプロセスを例示する必要がある」。ギリシャ語の「メタ」とは「後、ポスト、向こう」という意味を持つと同時に英語では「自分のこと」であり、「ローグ」はギリシャ語の「ロゴス」、語り、言葉、意見、文章という意味である。このように見ると西洋的な哲学で意味づけられているロゴスとは違う解釈ができる。メタローグとはポスト言葉とも言える。

先日、幼稚園に迎えに行ったら、娘はグラウンドで捕まえたダンゴムシを手に取って言った。「ママは今日はダンゴムシに見える」。私は「えー? ダンゴムシに似てる? どこが」と言った。娘は、「うん、すこしダンゴムシを持ってて。ぐるぐるしたい」と私にダンゴムシを預け、グラウンドの築山の柔らかい草の上に身体を丸くして、ボールのように下まで転がる。預けられたダンゴムシは、早速私の手の平で細い足を出してのんびり歩き始めた。娘に「私の手から逃げるよ」と言うと、「ママ、ダンゴムシはこうして持つのよ」と、親指と人差し指の間に小さなダイヤをつまむように持つ仕草をして、また築山の下まで転がった。手の平にダンゴムシを丸めて、娘の指摘に従って親指と人差し指の間に持つことにした。こうしてみると丸い、小さな塊から命のバイブレーションを感じる。ものすごい生の力というか、心拍のようなもの、生まれる前のお腹の赤ちゃんのようなもの、命に溢れる流動的な動きを。この瞬間に私もダンゴムシになった。娘のいう通り、似ている。「だから地球が丸い」と叫びたくなった。