煙(下)魔と摩の間は鬼と手の違いがある

イリナ・グリゴレ

この世界では静かな場所を見つけることがもうできない。最初から静かな場所ではなかったのもあるが、歴史をどう考えてもパズルでしかない。知らないことが多すぎる。どうしても知りたいと狂ってしまう、あるいは周りから狂っていると言われる。どうしても知りたい自分が最近、脳から煙を出しているようだ。いつか読んだルーマニアの聖人のテキストでは「一般の人が知っていたら耐えられない」という言葉が骨に響く。でも知りたい。歴史と化学がどこまで嘘なのか。どこまで私たちが騙されているのか、弱くさせられているのか。真実はいつも自分の身体にあると思うのに、次々にやってくる病気、感染とウイルスとの戦いで自分の身体の痛みに負ける。それでも諦めないこの身体に感謝。母が言うように「なんで、私たちが負けると思っているの」。

どこからこの生き残る力がくるのか。古代から、数えきれない時からあの土地、あの場所に止まった私の先祖に会えるようなシーンがある。遅い秋に祖母がクルミの木の下で落ち葉を片付けて、燃やす時。あの煙の香りがこの前に鍼灸院でお腹から出た煙とよく似ている。ある類の儀式のようだった。いくら誰が否定しても、人類というのは様々な形で儀式をする。この話が洞窟の深い所まで探ることができる。言っておくけど、マルクス・レーニン主義も信仰の一つに過ぎない。モスクワのレーニン廟を訪ねると、レーニンの遺体が革命を見守り続けている。それにしてもボルシェヴィキ時代に、正教会がたくさん燃やされて信者が処刑された。大きな虐殺が繰り返されるたびに、なんらかの形で火が登場する。

燃やすことについて、煙について、火の儀式について書かれたことはたくさんあるが、子供の時にロウソクの火と火事の火、豚が丸ごと燃やされる火と薪ストーブの火、また後になってあるドキュメンタリーで「人類は近代でもう一つの危険の火を見つけた。それは核の力だ」と言われ、幾つもの火があって同じ火だと思えない。それか、与えられた火の使い方が使う人によって違って、絶滅に至るミスがあり得そう。それにもう一つの火がある。身体の中に流れる火のような発熱ともう一つは、心が燃えるときの熱。

冬になると青森では火事のニュースが多い。火除けの札も神社で買える。日本どこでも。火の災害は日本でも大きな災害の一つ。昨年のクリスマスの日、朝早く大館のホテルの窓から近くの住宅の火事を目の前に見た。大きな煙の雲が真っ直ぐ雪の中から空へ昇った瞬間を、消防車が来る前に見た。火事のときには遠くから煙の匂いがする。地震のときも火事が一番怖い。実際に今までそうだった。そしてこの世界では一番苦しい死と痛みは、生きたまま燃やされることだと言われている。二番目は子供を産むこと。この順位の矛盾に、消防団の火除けの音を脳内で鳴らす。

子供の頃、教会の壁の悪魔と地獄の絵は必ず火に燃やされる人々の絵と一緒だった。このような昔からの知恵に耳を向けることさえできない近代に生きる私たちが、毎日ネットで2年間、爆弾で一瞬で燃える子供たちの虐殺を見続けた。それに、私たちが知らない所でたくさんの子供が殺されて、食べられた。人類学をやると人喰いは初耳ではないし(また別の機会に書きたい)、生まれたばかりの子供に対するある決定的でしょうもない暴力が日本にも水子としてあったのだが、今回はあまりにも納得の範囲を超えるような出来事だった。人類の歴史を見直さないといけない時点に私たちがたどり着いた。つまり、儀式で、あるカルトに従って子供を食べる人類(同じ人類かどうかまだわからないところもある)がいると認めざるを得ない。貧しい地域の子供を。誘拐された子供を。古代から続いて、植民地主義にも現れて、それは当たり前の裏世界、表の世界となった。子供をだれも助けない世界に生きているということだ。だれも止めない。権力のため、上の立場にいるためこのような儀式に参加する。許せない。まだ、こんな弱い自分にもすることがある。弱いから抵抗できないというのは大きな勘違いだと思う。

祖父はマッチの工場で長い間働いた。いつも家に綺麗なマッチの箱があった。彼はたぶん、黄リンのせいで心臓に被害があった。結局、心臓の不思議な病気で亡くなった。だれも調べてない。子供のときに棒を石に打ちつけて火を起こそうとしたことがある。煙しか出なかった。これは日本語で摩擦熱という。漢字で見ると不思議に思う。「摩擦(まさつ、friction)とは、固体表面が互いに接しているとき、それらの間に相対運動を妨げる力(摩擦力)がはたらく現象をいう」。

魔と摩の間は鬼と手の違いがある。こする。手をすりあわせる。なでさする。すれる。あ、人に触れられたくない理由を見つけた気がする。漢字の中に知恵がたくさんある。自分の先祖が代々住んでいた土地を離れた彼らの遺伝子の中で、私だけだった理由もわかった。わかるため。パースペクティブを変えるため。そうだったのか。書きながら考える。摩擦という言葉についてしばらく考える。真の言葉にもう一つ出会えた。エネルギー源。力。

しかし、この世界ではいつももう一つの力があると思う。たとえば、一つの例は、手を繋ぐ時の力。この力を大事に使わないと悪い煙が出る。ある話を思い出した。最近、趣味で(だれも知らない人の話を聞く趣味というか仕事の一部)刑務所に入っている女性の物語をよくネットで見ている。彼女らはいつも子供か自分を救うため男性を殺して刑務所に入る。ある日、まだ20代後半の女性の話を聞いた。彼女は16歳のときに村の大好きなジプシーの男性と一緒になって結婚した。彼がイケメンで最初は仲良しだったけど、隣に住んでいた彼の家族が同じジプシーではない彼女を気に入らなかったし、子供が二人できて毎日忙しかった家庭にヒビが入って彼が浮気し始めた。家に帰って、彼女に暴力を振るうようになった。 

ある日、大喧嘩して彼女に出ていけと言われたが、酔っ払っていた旦那はそのまま寝た。幸いに子供が隣の彼の両親の家にいた。彼女は怒りのあまり、泣きながら隣の部屋にあった自分の服を引き出しから出して部屋の隅に置いて燃やし始めた。その後、泣きながら家を出た。次の朝早く、避難していた隣の町のカフェで仕事を探すため新聞を読み始めたが、テレビで彼女の村のニュースが流れて、自分の家の映像とその家で一人の男性が火事で亡くなったことが報道された。彼女の旦那だった。すぐ警察に行って昨夜の夫婦喧嘩の話を伝えて、自分が知らない間に大好きな旦那を殺したことも分かった。インスタグラムの動画を通して刑務所でこの話をする彼女の声がまだとても可愛かった。彼女は死なにかを守ろうとした。あのミスでなくなった彼のことが今でも愛しているという。彼は隣の部屋で燃える彼女の服の煙を飲み込んで寝たまま死んだ。彼女の愛の煙だったのか。この話を聞いてからずっと煙の匂いする。