蛍が光る場所

イリナ・グリゴレ

蛍のいる場所は綺麗な場所だ。人のいる場所から少し離れていて、山の向こうにあって、夜にはとても暗くなる場所だ。津軽には岩木山という山がある。この山は神秘的だ。町からでも、どこからでも見える。

ここに住んでしばらく経つ。海に行ったり、山に行ったりして、いろんな生き物と風景を見てきたが、蛍を見るのは今年が初めてだ。きっと今の瞬間が私の心が一番きれいになって、過去、未来のこと一切考えずに「今」を一生懸命に生きようとしているタイミングだからかもしれない。

蛍はイカと同じ。キラキラしたものに騙されて寄ってくる。道路向かいの温泉宿の人から聞いた。ハザードランプを点滅させると、たくさんの蛍が出てきて思わず手に取ってしまった。そういえば子供の時も蛍の光る場所にいた。夏休みにいとこたち家族と一緒に山の方のティスマナという村に泊まった。私が10歳の時だった。古い修道院があった。夜になると山に囲まれているホテルの近くの沢にはたくさんの蛍が飛んでいた。

日常のいろんなことで心と身体が痛んでいた私にとって、初めての蛍を見た瞬間、手に取った瞬間はマジックだった。小さな生き物が私の手の上で歩きながら光る。私の身体全体が光っているように感じた。そのあまりの美しさに、癒しのような、恵みのようなオーラを感じた。きっとこういう自然治療法もあるに違いない。一週間ぐらい、毎晩蛍に会った。古い修道院の近くだったこともあって、あの場所は全体的に綺麗で、思い起こすと今住んでいる青森県の風景と雰囲気がよく似ている。

毎日、近くの川でいとこたちと野生のイワナを釣って食べ、半分以上私たちも山の生き物になっていた。10歳の女の子があんなに次々とイワナを釣るのも、人生に一度きりだと思う。命をいただく大事さを田舎育ちの私は知っていたし、お魚釣り女の子にしても上手といわれたことがあったが、イワナの動きとは他の川魚とちがってすごく激しくて、パワフルな踊りみたいで、毎日感動した。

ティスマナから帰る途中、またすごい出来事が起きた。オルテニア地方のトゥルグ・ジウにあるブランクーシの「無限柱」、「沈黙のテーブル」、「キスの門」という三つの岩石でできた巨大な彫刻を間近に見た。このとき、私はイメージを形にするということを初めて知った。
その瞬間は、私の人生に大きな影響を与えた。私にとっては息苦しい団地生活から解放された初めてのアート表現との出会いだった。圧倒的に違う世界に導かれて、私がこれから歩む道が現れた。蛍のイメージから無限の新しい世界に志す私の心が生まれ変わった気がする。とにかくインパクトがすごかった。

20歳になって出会った知り合いの人から突然に、私の容姿がブランクーシの名作Cumintenia Pamantului(大地の英知)によく似ていると言われて驚いた。きっと私が見た10歳の時の作品のイメージが自分の心に残って、すこし表面に出ていたに違いない。こんなにいいことを言われたのは人生で初めてだった。これ以上の褒め言葉は一生ないだろう。その人は天才的な脳外科医だったので、人の脳を読むのは得意だったのだろう。ブランクーシの作品から、私の日常が遠ざかっていたことは確かだが、実際の像、裸で座っている女性と表情が人の心と身体の内面のイメージを形にするとしたら、それは素晴らしいプロセスだ。きっと、だれにもこういう島みたいな場所が心の中にある。一瞬だけ、内面のことは表情か身体の使い方によって現れる。

子供の頃、蛍を見たシーンが蘇る。この年になっても自分の娘たちと蛍を見ることができてなんだか安心した。あの時の純粋な自分に戻れた気がした。蛍をまだ見ることができたということが、私の心の内面も綺麗なままなのだと勝手に受け止めた。

20代は自分の心を汚し、汚される場所にいた。その傷跡は消えないが、だんだん薄くなっていると蛍をみながら気づかされた。20代で「ラストタンゴ・イン・パリ」という映画のヒロインのふりをした自分がいた。たくさんの不思議な人に出会ったりしたが、私の内面にはブランクーシの作品のようにおとなしく座っている女の子しかいなかった。蛍が車のライトに騙されるように、自分もキラキラしている演技に騙されていた。知らないうちに、相手役も映画のように日常のなかで苦しんでいた。

30代の今の私の身体は、縄文土器の女性のように、産後のお腹がでて垂れている肉に太い脚。こうして私自身もブランクーシの「沈黙のテーブル」に近づいてきた気がする。