夏の方丈記

福島亮

ものすごく暑い。7月31日、現在の気温は39度である。朝は7時くらいになると日が照ってきて、ぐんぐん暑くなってくる。それでもフランスは湿気がないから不快ではない。が、この上昇する暑さがずっと続き、午後になると、西日が照りつけるこの小さな部屋はさながらピザ窯である。夜は9時くらいまで明るいから、この酷熱の時間が最も長い。今の住まいは、ベッドを置けばいっぱいになってしまうような部屋である。当然クーラーなど設置されているはずもなく、窓を開けてどうにかやり過ごす。が、ここにきて新たな刺客が登場した。蜂である。なんと、窓のシャッター格納スペースの内側に蜂が巣を作ったようなのだ。朝8時頃から連中は起きだし、暗くなるまで活動を続ける。刺されたことはないから、どれほど危険な種類なのかわからない。くわえて、巣を直接見ることができないので、連中の規模もよくわからない。暑い。だんだん頭がぼんやりしてくる。

ジョルジュ・デュアメルの本を読んでいたら、蜂の巣の話が書いてあった。子どもが蜂の巣を見つけたので、それを庭師に頼んで駆除してもらったそうだ。燻され、崩れ落ちてゆく蜂の巣を見ていると、人間の文明もこの蜂の巣のごときものではなかろうか、と思った、と、まあこんな感じの話だった。どこかで読んだことがあるような考察である。僕はというと、巣がどこにあるのかも分からず、手も足も出ないから、じっと耐えるより仕方ない。さすがに窓を閉め切っておくのは辛すぎるので、観音開きになる窓のうち、蜂の出入りがない方を開けている。連中を刺激することなく、できることならこの狭いスペースを分けあおうじゃないか、と開き直り、ぼんやりと観察していると、蜂は自分の巣へ一直線に戻り、またすぐ出て行く。なかなか働き者だ、と思った矢先、フラフラ部屋の中に入ってきた奴がいつまでもカーテンにしがみついていたりする。これはどう考えてもサボっているとしか思えない。どうも蜂も人間もサボる奴はサボるのだな、と我が身に重ねてみる。巣があると思われる場所のすぐ下には、力尽きた蜂の死骸がいくつか落ちている。だが、しばらくすると風が吹いて、その軽い体はどこかへいってしまった。

その風に誘われたのか。唐突に、最近読んだ方丈記を思い出す。ある人に勧められて堀田善衛の『方丈記私記』を読んだところ、それがあまりに面白く、それから急いで原文を読んだのだ。方丈記で描かれるのは、それはそれは克明な災殃の映像である。とりわけ、地震で崩れた土塀の下敷きになった子どもの話などは、できることなら想像したくない。長明の詳細な筆致を受けて、堀田は大火や地震に見舞われる京の都を空襲で焼かれた東京に重ねる。堀田の文章を読んだ後では、長明の文章を現代に重ねずに読むのは難しい。長明の書いた文章をパリの一室で読んでいると、この鎌倉時代の文章が、ふといつの時代のものなのか分からなくなることがあるのだ。もしや、ついさっき書かれた文章なのではないか。もっとも、私たちは戦乱の只中にいるのだ、などという全体主義じみた言葉の動員をしたいわけではない。唐突に帰ってきた言葉がやけに真新しく感じられるのは、ひとえにこの10年ほどの間に長明の時代とさして変わらぬ出来事が立て続けに起こったからに他ならない。細々とした生活のレベルでは、たしかに変化はあった。郵便局では入場制限をおこなっているし、消毒アルコールは店舗の入り口だけでなくバス停にも設置されている。それでも、リュクサンブール公園に行けば、人々は顔をあらわにして日光浴を楽しんでいるし、知り合いは先日バーベキュー・パーティーを自宅の庭でしたそうだ。いつかの時間がひょっこり戻ってきたのだろうか。それともいつかの時間の化粧をした忘却がふと忍び込んでいるのか。長明の答えはこうである。「すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。」

ぼんやりとした頭で、方丈記を思い返しながら窓辺の蜂を眺めていると、少しずつ、奴らの動きが大人しくなってきた。時折吹く風が涼しい。この部屋で、僕はあと何回夏を迎えるのだろうか。いつか忘れてしまう涼しさならば、今ここでできる限り味わっておこう。——まあ、その前に夕飯か。