2013年1月26日の夜、横浜の古書店で初めてトーク・イベント(というより語り合いの会)を開いた。ゲストの淘山竜子さん(『孤帆』編集人)と一緒に、その日のために小冊子をつくった話まで前回、書いた。
その小冊子、自分は何を書いたのかというと、「突然、出てきたものだった〜『アフリカ』前史」と題された文章で、『アフリカ』を始めるまでにどんな場、どんな本や雑誌にかかわって、どんなものをつくっていたかという話だった。
読み返してみると、自分の原稿を発表する場ということなら、このような雑誌をつくることはなかっただろうというふうなことを言っている。
ぼく自身は良い書き手である前に良い読み手であろう、と思った。自分が読みたいものをつくればよいのだ。
けれど、自分の読みたいものって、何だろう?
その気持ちというか、試行錯誤は一貫して今に至るまで続いている。つまり「この人に書いてもらおう」と思える人がいつもいるということ? そうだね、と即答できる。
その時の語り合いの記録が、『アフリカ』vol.20(2013年7月号)に載っている。当日、会場に集まったのは7、8人で、自分たちも入れると10人くらいだったかな。古い木製のテーブルを囲んで、2、3時間。そのテーブルには、『孤帆』と『アフリカ』だけでなく、様々な個人誌、同人雑誌、リトルプレス、etc.がところ狭しと並べられていた。淘山さんにも頼んで、手元にあるものを持てるだけ持ってきてもらっていた。
淘山さんによると(少なくともその頃までの)『孤帆』は「仲間内で合評会をやるための紙媒体」なのだということだった。合評会、つまりお互いの書いたものを読んで、批評し合うためのもの。しかも顔を突き合わせてやるのではなくてメールで、長い時には1ヶ月くらいかけてやるのだという話が面白かった。
私も以前、そのような場や雑誌に参加していたことがあるのでよくわかった。しかし『アフリカ』では一切やらなくなってしまったのだ。なぜ止めたのか忘れたが、意識して止めたのは確かだ。批評したければ、したくなった人が自分で場を設けてやればよいと考えたのだろうか。そこまでは考えていなかったような気がする。
そうすると、どうなるかというと、『アフリカ』に書くだけでは何の反応も得られないということが自然と起こる(編集者とは長いメールのやりとりがあるとしても)。
それは、それでよいのだ、と思った。それでも書く人は書き続けるだろう。厳しいような話だけど。それに自らが反応している人には、何かしらの反応が返ってくるだろうし、感じられるだろう。何も作品を褒められるだけが「読み」ではないのだし。
とはいえ「合評会をやるための紙媒体」への懐かしさもないわけではなかったが、淘山さんはその時、そういうのは「もう古いのかもしれません」と言っている。
そもそも編集を担う人がいない。いま、自分のお金と時間をかけて文芸雑誌をつくろうなんて人はそういないし、若い人は賞レースだし。
そんなことを言うと、我々がすごく年配の人みたいに感じられてくるかもしれないが、ふたりとも当時、30代前半。「若い人」というのには、自分たちの年代も入っていたんだろう。賞レース、新人賞ですね、と応えると、こう返ってきた。
そうです。その一方で、紙媒体で個人的な発信をする人たちが注目されてもいて。文芸雑誌であれをやりたいという気持ちがあるんです。
その流れで、目の前のテーブルに並べられたものたちが話に入ってきてくれる。
ミニコミと呼ばれる媒体は以前からたくさん見ていたので、自分には特に新しいという気はしなかったが、その時「ZINE」ということばが出てきた。
私はいちおう蘊蓄を仕入れてきており、アメリカの西海岸でスケーターが言い出したとか、自宅のプリンタで刷ってホッチキスでとめたような簡素なものが多くて、本当に個人的な媒体が多いんじゃないか、などという話を参加者も交えてしている。「ZINE」という呼称を言い出した人たちが実際にどんなものをつくっていたのかは知らないので、まあいい加減な話ではあったけれど(ZINEというのは、MAGAZINEのZINEだろうから、日本で言うところの雑誌? と思うけれど、調べてみたら語源はアラビア語のMAKHAZINで、倉庫という意味らしい。面白いような気がするけれど、不勉強でこれ以上は書けない)。
そういった私の想像上の「ZINE」から思い出されたのは、『VIKING』創刊号を実際に見た時の話で、それはこの「『アフリカ』を続けて」の初回に書いた。
ミニコミやリトルプレスということばは、意味がはっきりしすぎていて、あからさまなような気もする。それに比べZINEは、ちょっと謎めいたところがあって、今の時代には合っているのかもしれない。
しかし私は『アフリカ』をZINEとは呼ばない。
私が話に聞いて想像した「ZINE」の姿と、いまそう呼ばれている媒体との間には多少の落差があるし、『アフリカ』がその想像に近いかというとそうでもないような気がする。
ところで、その時のイベントを私は「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ」と題していた。
片岡義男に『個人的な雑誌』という文庫本があって、ずっと手元に置いている。『個人的な雑誌1』と『個人的な雑誌2』があるのだけれど、「1」のあとがきで片岡さんはこう書いている。
これまでどおり、活字だけによる本を作ってもよかったのだが、なにか新しい工夫をしてみたい、という思いがあり、その思いを具体的にしていく途上で、『個人的な雑誌』というタイトルによる、雑誌のようなエッセイ集を作ったら面白いのではないかと、ぼくは思うにいたった。ぼくは、角川文庫のなかに、ぼくひとりだけの雑誌を持ってしまうのだ。これがその第一号だ。今回はぼくひとりで作ったけれど、これからは多くの素晴らしい人たちに参加してもらう予定でいる。さまざまな興味深い試みのショーケースのようにしてみたい、という気持ちがいまのぼくには強くある。
その「さまざまな興味深い試みのショーケース」ということばに若い私はやられた。よーし、自分もやってみよう、と思ったわけだ。なので、それを思い出せば、「“いま、個人的な雑誌をつくる”ということ」でよかった。その方がわかりやすかったのかもしれないが、「雑誌」に限定したくなかったのかもしれない。
「プライベート・プレス」ということばは、おそらく小野二郎さんの本に出てきて知った。ウィリアム・モリスが彼の工房でつくり、売る本のことをそう呼んだのではなかったか。そうなると「ZINE」のイメージからはかけ離れてしまうような気もするが、でも、いいんだ。今回はどうしてもその本が見つからなかったので、この話の続きは、また。