『アフリカ』を続けて(18)

下窪俊哉

 続けていると言っても、随分変わってきてますよね。先月、久しぶりに大阪へゆき懐かしい街で呑んで語っていたら、そんなことを言われた。
 まあね、最初の頃の『アフリカ』と、いまの『アフリカ』では全然違う。似て非なるものというか。
 例えば、こんなふうに捉えてみるのはどうだろう。

  黎明期 2006年〜2008年(5冊)
  展開期 2009年〜2011年(8冊)
  隔月期 2012年〜2013年(8冊)
  マッタリ期 2014年〜2018年(7冊)
  転換期 2019年〜2022年(5冊)

 その時の会話では『アフリカ』誌上で活躍した書き手の名前を冠して「誰 & 誰期」のような言い方をしていたのだが、それでは内輪話にすぎないような気がするので、上記のような見方をしてみた。
「黎明期」には、くり返し書くようだけれど、続ける気がなかった。というより、続ける気はないよと言いながらやっていた。それに、思い返せば最初の編集後記で自分は、『アフリカ』を小説の雑誌だと書いていた(いまの『アフリカ』を小説の雑誌だと思う人は少ないはずだ)。見返してみると、

『アフリカ』は、いちおう「小説」の雑誌だ。「小説」の基準は適当だが、詩を捨てて散文を志す。

 とある。
 詩を捨てるとはどういうことか。詩を読むのは昔から好きだが、そういう話ではない。『アフリカ』は当初、同人雑誌になると思っていたので、詩の同人雑誌はたくさんあるのに、小説の同人雑誌は少なくなっているようだから、小説の雑誌ですよ! とわざわざ宣言したかったのかもしれない。
 それはさておき、「いちおう「小説」の雑誌だ」というふうに「いちおう」をつけたり、括弧つきの「小説」にしたりと芸が細かい。しかも、その「小説」とはどんなものかというと「適当」だと言う。何か言いたげではないか。
 そこには何か、自分の感じ取っている「小説」があるわけだ。商業の上にというよりも、歴史の上に置かれるようなものが。
 身近なところから、その「小説」が生まれる瞬間を見たいし、それが出来る場を感じてみたかった。小説を書きたいという人が、小説らしきものを発表するための雑誌というのではない。小説を書く気のない人も『アフリカ』と出合い、書くことによって、小説を見出してゆく。そんなことが実際に起こり始めたのが「展開期」だった。
 最近になってある作者に話を聞いてみると、自分の体験を書き綴っているだけだと言っていたわりには、ある日の出来事に、数年後に見た風景を加えていたとか、かなりつくる意識があったことがわかって、面白い。
 その人によると、編集人(私)からは、よく「そんなに説明しなくていい」と言われていたという。あまりに言われるので、どうすれば見えるように、聴こえるように、感じられるように書けるか苦心していた、と。
 しかし、逆のことを言われていたと話す人もいて、つまり「もっと説明した方がいい」ということなのだが、作品によるというより書き手によるのだろう。
 そんな時期を過ぎて、続けようという意識が出てきたかもしれない。連載で書きたいという人に付き合って、隔月で『アフリカ』を出していた量産の1〜2年があった。その頃を「隔月期」としよう。

 さて問題は、「マッタリ期」だ。
 こどもが生まれて自分の生活が変わったということもあるだろうし、新しく始めたワークショップの仕事で忙しくて、なかなか『アフリカ』に向かえないということもあった。それでも年に1冊、薄い雑誌をつくるくらいは出来た。
 この編集人がやる気にならないと、『アフリカ』は出ない。でも起き上がれば、仕事は早い(いい加減なところはあるかもしれないが)。呑気といえば、呑気だ。そんなふうに、マッタリ続けていた5年間がその頃にあった。
 雑誌づくりには熱心でなかったかもしれないが、ワークショップのイベントにはよく働かされていた。その頃、『アフリカ』を続けるのに自信が持てなくなっていたかもしれない。ある所では、お互いに協力して一緒にやってゆきませんか、という話を持ち掛けたこともあって、一時はそんな気にもなっていた。
 その流れで2008年6月に、『アフリカ』を主題にしたワークショップも一度やってみようという話になり、「『アフリカ』をよむ会」をやった。その打ち上げの席で、酔っ払って、『アフリカ』以外の本もいろいろとつくってみたいんだよね、という話をしたところ、「まずは下窪さんの本をつくればいいよ」と言った人がいて、それを受けて「いや、下窪さんの作品はどうでもいいんだ」と言った人がいた。
 それで何か、目が覚めたようになった。
 その時の、その声は、いつまでも自分の耳に残った。
『アフリカ』のような場をやってゆくのに、自分の作品はどうでもいいのだろうか。確かに『アフリカ』を支えている自分は裏方のようなものかもしれない。いや、どうだろう。

 前回、「『アフリカ』もワークショップであると言い切ってしまいたい気持ちがある」と書いた。
「小説」と同様に、「ワークショップ」にも、自分の見ているワークショップ像がある。本当にワークショップなら、私自身が参加していないというのはおかしい。それにワークショップはワークショップであって、イベントではない。一時のものではない。でも多くの人には一時のものしか見えていないのかもしれない。気弱になるとそんなことも考えてしまう。
 正直なところ、続けたい? と自分に聞いて、小さく、うん、と言う。
 それなら、やりたいんだから、誰もついてこないということになってもいいから、またやろう、と決めた。

 いつも困った時に助けてくれるのが『アフリカ』じゃないか。よし! 『アフリカ』をプチ・リニューアルしよう。まずは、カタチから? というので装幀の守安くんにメールして、『アフリカ』の背表紙には字を置かず、並べた時に色が並んでいるだけにしようという当初の狙いを崩してしまうんだけど、背表紙をデザインしてみない? と伝えた。そうしたら彼は、そんな話、あったっけ? と言う。あれれ、記憶が変わってしまってる? それから、こうも言われた。でもさ、切り絵(の画像)の一部が背表紙に入ってしまった号があったから、もうその狙いは崩れてしまっているよ。