『アフリカ』を続けて(21)

下窪俊哉

 岩波書店の雑誌『思想』3月号に福島亮さんの書かれた「水牛,小さなメディアの冒険者たち」が載っているというので買って、読んでいる。「水牛」前夜から、初期のタブロイド判新聞『水牛』、水牛楽団の活動の充実と共にあった時代の『水牛通信』、水牛楽団の活動休止後の『水牛通信』まで、1970年代から80年代にかけての「水牛」のあゆみを見通せるように整理してあり、私のような者にとってはたいへんありがたい。
 その『思想』3月号、20世紀のアジア、アフリカ、中米など「第三世界」で起こった様々な雑誌活動を取り上げてあり、どれも興味深いのだけれど、私はまず、巻頭に置かれている冨山一郎さんのエッセイ「雑誌の「雑性」」を読んで唸ってしまった。
 パンデミックによって大学に集って議論できなくなったことを契機に「通信ということ」を始めた、というエピソードに始まる。その場をオンラインで代替えしようとするのではなく、各々が書いたものを「通信」として編集し、読むということを始めたらしい。それをくり返すことによって、ひとつひとつの文章が「連鎖していった」という。そこには中心となる統括者が存在しなくて、順序づけができるようなものでもない「つながり」が生まれた、という冨山さんの気づきがあった。少し引用してみよう。

 あえていえばそれは、それぞれが軸となりお互いが契機となりながら拡張されていく思考のあり様だ。この契機になるということは、他者の文章との偶然的な出会いを前提にしており、雑多な文章を通信として一つに編集したことが重要になる。

 そのことを少し後の文章では、「読み手が書き手にもなり、それが繰り返されながら広がっていく」とも書いている。これは何か大きなヒントになりそうだぞ、とつぶやきながらくり返し読む。

 たぶん月刊になるだろうウェブマガジン『道草の家のWSマガジン』を始めて3ヶ月たつところだが、不定期刊の紙の雑誌『アフリカ』vol.34も同時並行でつくっていて今月、仕上げる予定だ。今回は詩が3篇、短編小説も2篇あるので、「なんだか文芸雑誌みたいだね?」なんて冗談を言って、「これまでは何だったの?」と周囲に呆れられているのだが、私の気分の問題だろうか? それだけではないだろうという気がしている。
 これまでに書いたことのくり返しになるけれど、『アフリカ』は散文の雑誌であって詩の雑誌ではないということにして始めた(詩の雑誌は身近にたくさんあったから)。そして2011年頃からは、小説を書きたい人の雑誌でもなくなった。装幀の守安涼くんのことばを借りれば「小説然とした作品をめざすのではなく、書き手の書きたいものがストレートに出た散文が多く並ぶようになった」のである。
 それにしても、なぜそうなったのだろう? ということは、あまり深く考えずにここまで来てしまった。

 きっかけは、当然かもしれないけれど「小説を書きたい人」が『アフリカ』を出ていったからだろう。そこからが『アフリカ』の面白いところで(と私は当時も思いながらつくっていたのだが)、書き手がいなくなると、必ず別のどこからか現れるのである。なんてとぼけたようなことを言っているが、思えばシンプルなことで、読み手が書き手にもなったのだ。

『アフリカ』はスタートした時、文学研究者や愛好家たちとの付き合いを離れ、まずは編集人(私だ)の通っていた立ち飲み屋で読まれた。その話は、この連載の2回目で書いている。
 街中にいると、もちろん多様な人がいるわけで、文芸活動をしている人は少数だろうし、本を読むことに興味がないという人もたくさんいる。識字率の低い国ではそこに、文字を持たない人びとも加わる。いま私は知的障害のある人たちと街中で一緒に過ごす仕事をしているが、中にはことば自体を持っていない(かもしれない)人もいる。
 私はそんな人たちの中で、読んだり、書いたりすることを自分の仕事と考えているようだ。
 そういう姿勢で書いたり、つくったりしていると、書くつもりのなかった人が、『アフリカ』と出会うことによって、書くようになる、ということが起きたのである。その人たちから、小説やエッセイを書こうとか、詩を書こうといった気負いは感じられない。私はそこに何かしらの手応えを感じていた。
 小説とは何だろう? エッセイとは? 詩とは何だろう? といったことをいつも考えているわけではないが、書き続けている限りその種の問いから完全に離れてしまうことも不可能で、それらの原稿は私にある種の共鳴を呼び起こしてくれた。

 私自身も、フィクションを書くより、その時々のワークショップを通じて得られたことを『アフリカ』で報告するということが増えていた。小説を書くことから離れていた、と言えば、言えなくもない。全く書いていなかったわけでもないけれど、関心は確かに他へ向いていた。
 ところがまた最近、変わってきたのである。昨年、ワークショップを休んで、うだうだしている間に。
 決定打となったのは2冊の本だった。ひとつは、この「水牛のように」で杉山洋一さんの「しもた屋之噺(247)」を読んだのがきっかけで、カルヴィーノ『アメリカ講義』が妙に読みたくなって、再会したこと。以前読んだ時には何も感じることができなかった、と思った。数十年の時を超えて、カルヴィーノが自分に語りかけてくれているようだった。どうしてカルヴィーノは2022年に私の考えていることがわかったんだろう? といったふうだ。もう1冊は、仲間に誘われて、ヴァージニア・ウルフ『波』を初めて読んでみたこと。それから、20代の自分が書いていた文章も再び引っ張り出してきて読んでいたら、当時の自分とヴァージニア・ウルフが手紙のやりとりをしているようになり、ああ、こんなふうに書けばいいんだ、ということを久しぶりに体感できた。
 そうなると、ウェブマガジンに化けたワークショップでも話したり書いたりすることに変化が起きる。よし、自分はいま、小説を書くことに向かおう、ということになった。そうすると、現実の中にフィクションが見出されるのではなくて、フィクションの中に現実が立ち現れるようだった。