『アフリカ』最新号(vol.34/2023年3月号)をつくった直後に、ある人から連絡があり、「下窪さんは文フリにはやっぱり出たくないですか?」と言われる。
文フリというのは文学フリマの略称で、自分で本をつくっている人たちのフリーマーケットと言えばいいか。東京の文フリには13年ほど前に誘われて足を運んだことがあったが、京急蒲田駅のそばにある大田区産業プラザPiOの1階展示ホールが会場で、調べてみたら、現在の規模に比べて(出店者も来場者も)3分の1といったところか。今回は1435の出店と1万人を超える来場者があったそうだ。1日だけ、5時間だけのイベントである。会場は満員電車状態だったという証言もある。そういうのが好きな人はたくさんいるんだなあとボンヤリ眺めている。
学生だった20数年前には、詩を書く人たちがつくった本や同人雑誌を売るフリマを手伝ったことがあり、その後、なぜか自分が編集長となって創刊した文芸雑誌『寄港』では、メンバーの中に詩のフリマに出たいという声が上がり、どうぞ、となった。いちおう自分も会場に足を運んで、挨拶くらいしたのだったか、その頃からあまり積極的ではなかった。
という話でわかる通り、その頃、誘われたのは主に詩集や詩誌のフリマだった。小説や評論を書く人は新人賞を目指すのが当たり前のように言われていたのでそれどころではなく、今の『アフリカ』によく載っている雑記のようなものを精力的に書いている人は見当たらなかった。もしかしたら、雑記を書く人たちはいち早くウェブの世界に活動の場を移して、ブログのようなものに向かっていたのかもしれない。
今回、Twitterで文フリの様子を眺めている限り、もう昔のようではなく、それなりに多彩な書き手が集まっているとは言えそうだ。しかしこれだけウェブの発達した時代になって、紙の本をつくって売ったり買ったりしたい人がそんなにたくさん出てきているのかと思うと奇妙な感じもする。昨今のアナログ盤ブームと似たところがあるだろうか、どうだろうか。
20代半ばで会社勤めというものを始めてからは、会社でもツマラナイ原稿をたくさん書かなければならず疲れてしまい、それまでやっていた文芸のサークル活動のようなものを続けるのは苦しくなってしまった。なので止めることにしたのだが、ついでに会社も辞めてしまい、つまり失業してしまった時にある人から短編小説の原稿を託されて、それを載せる雑誌をつくろうとして始まったのが『アフリカ』だった。この話は前にも書いたかもしれない。
『寄港』と『アフリカ』の違いについては、2016年12月のトーク・セッションで写真ジャーナリストの柴田大輔さんから訊かれて話している。
一番大きかったのは、『アフリカ』では文芸をやる人たちのサークル活動をしなくなったことじゃないかなあ。即売会とか交流会といったものをやらず、参加もせず、寄贈もほとんどを止めて……。変人だと思われたかもしれませんね。ただ書いて本をつくって読んでるだけになった。『アフリカ』がはじめて人目に触れたのはその頃ぼくが通っていた立ち飲み屋だったんです。はじめて買ってもらったときは嬉しかった。それまで文芸をやってる人同士で読み合うことしかしてませんから。
それに応じて柴田さんは「同業の人たちじゃないところに、はみ出たんですね」と言っている。
どうして「はみ出た」んだろう? と考えてみる。同業(同好)者の集まりはもう散々やったので、もういいや、となったのかもしれない。ひとことで言うと、飽きた。
とはいえ、その頃(2006年)には私はまだブログも書いたことがなく、ウェブサイトをつくって『アフリカ』の情報発信を始めるのはまだ3年ほど先だ。イベントにも出ず、寄贈もごく限られた人のみ、ということは、たまたま出会った人に手売りしたり手渡したりする以外に読んでもらう方法はなく、早い話が売る気なし、宣伝する気なし、好き勝手につくっているだけである。気が楽になり、伸び伸びできた。
そうなる必要が自分にはあったのではないか。でなければ、もう続けることができない、と。
柴田さんとのトークでは、こんな話もしている。
下窪さんは誰のためでもなく自分のためだけに小説を書く気持ちがわかりますか?
そういう経験がないから、わかりません。わかるって言いたくないですね。
ご自分ではそういうことをしてみようと思わない?
常に読者がいたからでしょうね。幸いにも。少なくても、いたから。
売る気がない割には、読者は必ずいると信じて疑っていない。これを自信というのかもしれない。また、自分すら他人と思っているところもありそうだ。『アフリカ』にはもちろん他の執筆者もいるわけなので、まずは身近なところに読者がいたのである。私も自分が、彼らの書くものにとってどのような読者になれるだろうか、と常に考えている。
売る気というものをとことん薄めた理由として、私の暮らしにいつも余裕がない中でやっているということはありそうだ。書いて、読んで、つくる、それで精一杯なのである。本当はそれすら厳しいと言っていいだろう。こんなに余裕がないのに自分は一体何をしてるんだ? と、我に返るような時がある。売れもしない原稿をせっせせっせと書き、ワークショップをやったりして、バカじゃないのか、と。
バカなのは認める。バカにならずにはやってゆけないこともあるのだ。『アフリカ』に助けられて、生き延びてこられたと思っているところが私にはある。生きるために書き、闘うために雑誌をつくっているのだ、と考えてみたらどうか。一体『アフリカ』は何と闘っているのだろうか?
そんなことを思いながら、文フリに出るのは「やっぱり気が乗らないので」と返事していた。そうしたら、文フリに出るのだが、『アフリカ』も一緒に売りたい、ということらしい。それなら構わないというか、ありがたい申し出を受けて、私の手を離れた『アフリカ』だけ会場に向かうことになった。