日本に帰るために、ずいぶん多くの本を古本屋で売った。それでも日本に送った本の数の方が多い。フランスは文化政策の一環として、フランス語の書籍や文書を国外に郵送するための特別料金を設けており、私も当然それを利用した。クロネコヤマトの単身引越しサーヴィスを使うという手もあるのだが、貧乏学生が手を出せる金額ではなかった。まあ、特別料金とはいえ、全部ひっくるめればかなりの金額になる。それを見越して、やりくりはしていたが、実際に荷造りしてみると、一度に送れる量が思ったよりも少なく、さらに深刻なことに、一度に運べる量はもっと少なかった(私はエレベーター無しのフランス式7階、ようするに日本でいう8階に住んでいたのである)。本は砂嚢用の頑丈な袋に詰め、結束帯で口を縛った状態で送る。一度に運べるのは20キロが体力的に限界だった。あたふたよたよた郵便局通いをしていたから、結局いくらかかったのか計算する余裕はなかった。しようと思えば送り状があるからすぐに計算できるのだが、気分の良いものではないから、計算はしない。
ある知人は、書籍をすべてデジタル化し、iPadひとつあれば事足りるよ、と得意そうにしていた。うらやましくもあるが、私の場合、きっとそうはなれないだろう。原稿も、書類も、あらゆるものがPCひとつで済むのは便利だが、画面を睨み続けていると目の奥の方が痛くなってくる。それに比べて、紙の本は目が疲れないし、お気に入りのペンや鉛筆で書き込みできるのも楽しい。付箋を貼り付けて好きな頁を好きな時に繰ることができるのも便利だし、時には関連する記事の切り抜きを挟み込んだりもする。ちなみに、私は小学生が使うような赤と青が半々になった鉛筆を愛用している。帰国も近くなった頃、国立図書館で作業していると、隣の席の若い女性が小さな声で「これ、どこで買ったの?」と囁いた。これ、というのは、赤・青鉛筆である。文具屋で見つけたそれは、よくある六角形や丸形の軸ではなく、三角形の軸をしたいわゆる「おにぎり鉛筆」というやつだった。文具屋で見つけたんです。たくさん持っているから、よかったら一本どうぞ。
こんなふうに、赤、青、黒、さらにはダーマトグラフの黄色で着色された本たちだが、さすがにそれらすべてを連れ合いの家に置くことはできない。5年前、私が渡仏したのと同じタイミングで、連れ合いは東西線沿いに単身用のマンションを借りた。帰国するたびに私もそこにお世話になっていたのだが、何しろ一人用の部屋なので本を置くスペースはない。というか、実は連れ合いもずいぶん本を持っていて、それらによって居間はおろかクローゼットの中まで占領されているのだ。
そこで、帰国後すぐ、本小屋を探すことになった。本を置くための部屋。もちろん、贅沢は言えない。物置、あるいはプレハブ小屋のようなもので十分だと思いながら物件探しをした。幸い、良い不動産屋と巡り合い、都心から少し離れた小田急線沿いに本小屋が見つかった。大学生の頃住んでいた西武新宿線沿いの、列車が通るたびに揺れる木造アパートよりもさらに安い家賃なのだが、環境は格段に良く、いまのところ申し分ない。引っ越した当初は、あまりにも周囲が静かなので心細くもあったが(ベルヴィルでは常に通りから音楽が聞こえていた)、それも時間が解決してくれた。物音ひとつしない部屋で本を読んでいると、遠くの方を走る車の音が聞こえてくる。そうだ、15年前は、それが日常だった——。
*
一人暮らしにずっと憧れている高校生だった。群馬県渋川市祖母島。小学生の頃から幾度となく発音し、読み、書いてきた住所だが、いつかそこから出て一人暮らしするのだと、物心ついた頃から思っていた。実家の周辺には、「島」という字がついた地名が多く、それはおそらく吾妻川の流域に点在する小さな地域を示しているのだろうが、この「島」という文字を見るたびに、外と遮断され、幽閉されているような気持ちになったものだ。じつは同じことを、マルティニックの知人から聞いたことがある。その知人は、マルティニックのことを「島(イル)」と呼ばれるとあまり良い気分がしない、と言っていた。その言葉を聞いた時、知人の気持ちが、少しだけわかるような気がした。
幽閉というのは、移動の自由がない、ということ。もしかしたら「島」と呼ばれる場所はどこもそうなのかもしれないが、徒歩や自転車で移動する人はほとんどいない。運転免許が取れるようになると、一人一台自動車を手に入れ、たった200メートル離れた所に行くのにも自動車を使う。自動車道の両脇にあるべき歩道はほとんど整備されておらず、落ち葉が積もっていて、歩くのは難儀だ。自動車以外の移動の自由のなさが何よりも息苦しかった。私の故郷において、一人前であるとは自動車を運転できるということであり、運転免許を持たない私は今でも帰省すると肩身が狭い。
大学に入り、中野区沼袋のアパートに引っ越した日、荷運びをしてくれた父がそのままアパートに一泊した。3月末で、まだ寒かった。沼袋をまだよく知らない二人は、どこで買い物をしたら良いのかわからず、とりあえず駅の近くにあった100円ショップでインスタントコーヒーを買い、電気ケトルでお湯を温め、飲んだ。手のひらに収まりそうな小瓶に入った黒っぽい粉を溶かすと、その色は薄く、味は焦げたパンのようだった。父もそう思ったようだが、何も言わず、色つきの湯を啜っていた。二度と飲まないだろう、と思いつつ、食器棚の奥にコーヒーの小瓶をしまった。悠長なことはしていられない。一服したらバスに乗り、中野駅の近くのドン・キホーテに買い物に行くことにしていたのだ。沼袋から中野駅までは徒歩で20分もあれば行くことができる。平和の森公園の前を通り、真っ直ぐ行かずに新井天神通りに曲がり、中野通りの桜並木に出る、という行程は、住んでしばらくしてからわかったのであり、引っ越した初日は、とりあえず中野駅行きのバスに乗るだけで精一杯だった。私はSuicaで支払いを済ませ、後に続いて父もバスに乗った。父は緊張していたのか、何も喋らなかった。普段自動車に乗っているだけに、その自動車が使えない状況が不安だったのだろう。
バスのなかで二人は揺られていた。どんどん乗客が乗り込んできて、身動きできなかった。ようやくバスが中野駅につき、降りようとした時のことだ。お客さん! 運転手が大きな声を出し、父を睨んでいる。そこでようやく発覚したのだが、父は乗車料金を支払っていなかったのである。私がSuicaをタッチしたのを見て、2人分支払われたと思い込んでいたようだ。慌てて料金を支払い、バスを降りると、父は今にもベソをかきそうな顔をしていた。
その後、二人で何をしたのか、よく覚えていない。ドン・キホーテで買い物をしたはずだが、何を買ったのかはっきりしない。覚えているのは、父の歩みが非常にゆっくりだったということだ。これだから田舎の人は、と思った。自動車ばかり乗っているから、足腰が弱いにちがいない、と。そうではなく、父の体力が目に見えて落ちていると、どうしてわからなかったのか。一人暮らしをはじめた嬉しさに、父の変化に気づいていなかったのだ。父の胃に影が見つかったのは、それからしばらくしてからのことである。
尽きていく時間の流れは、早いような、ゆっくりしているような、奇妙な実感を伴っていた。葬儀を終え、沼袋のアパートに帰って食器棚の中をふと見ると、そこにはあのインスタントコーヒーの瓶があった。粉が湿気で固まり、飲める状態ではなかった。だが、捨てることはできなかった。
*
告知
6月9日から11日にかけて、調布市せんがわ劇場で「死者たちの夏2023」と題した以下のようなイベントを行う予定です。
公演情報
■ 音楽会 Music Concert
「イディッシュソング(東欧ユダヤ人の民衆歌曲)から朝鮮歌謡、南米の抵抗歌へ」
6月9日(金)19:00 START
出演:大熊ワタル(クラリネット ほか)、
こぐれみわぞう(チンドン太鼓、箏、歌)、
近藤達郎(ピアノ、キーボード ほか)
解題トーク:東 琢磨、西 成彦 ほか
■ 朗読会 Reading
「ヨーロッパから日本へ」
6月10日(土)14:00 START
「南北アメリカから日本へ」
6月11日(日)14:00 START
出演:新井 純、門岡 瞳、杉浦久幸、高木愛香、高橋和久、瀧川真澄、平川和宏(50音順)
演出:堀内 仁 音楽:近藤達郎
解題トーク:久野 量一、大辻都、西 成彦 ほか
場所:調布市せんがわ劇場 京王線仙川駅から徒歩4分
料金(各日):一般3,200円/学生1,800円
リピーター料金:各回500円割引
ホームページ:https://2023grg.blogspot.com
お問い合わせ: 2023grg@gmail.com (「死者たちの夏2023」実行委員会)
音響:青木タクヘイ(ステージオフィス)
照明・舞台監督:伊倉広徳
衣装:ひろたにはるこ
■ 実行委員長:西 成彦(ポーランド文学、比較文学)
■ 実行委員(50音順)
石田 智恵(南米市民運動の人類学)
大辻 都(フランス語圏カリブの女性文学)
久野 量一(ラテンアメリカ文学)
栗山 雄佑(沖縄文学)
瀧川 真澄(俳優・プロデューサー)
近藤 宏(パナマ・コロンビア先住民の人類学)
寺尾 智史(社会言語学、とくにスペイン・ポルトガル語系少数言語)
中川 成美(日本近代文学、比較文学)
中村 隆之(フランス語圏カリブの文学と思想)
野村 真理(東欧史、社会思想史)
原 佑介(朝鮮半島出身者の戦後文学)
東 琢磨(音楽批評・文化批評)
福島 亮(フランス語圏カリブの文学、文化批評)
堀内 仁(演出家)
■ 補佐
田中壮泰(ポーランド・イディッシュ文学、比較文学)
後山剛毅(原爆文学)
■ アドバイザー
細見和之(詩人・社会思想史)