『アフリカ』を続けて(31)

下窪俊哉

 先日、井伏鱒二『荻窪風土記』を読んでいたら、「小山清の孤独」と題された文章にぶつかった。私は今回、その人の名を初めて知った。井伏さんによると戦後、同人雑誌は「影をひそめ」ていたそうだ。そんな頃、小山清という人を中心に『木靴』という同人雑誌ができた。小山さんという人はよく書いた人のようだが、やがて『木靴』の原稿集めにばかり熱心になり、自分の書く方は思うようにゆかなくなったらしい。もちろん同人雑誌では暮らしてゆけないので、周囲は「資金カンパ」をよく集めていたという。
 私には何だか、他人事のような気がしない。執筆で暮らしを立てようとしたら、自分も似たような状況に陥ったと想像できる。かといって、文学をめぐる日々の営みは、世間で「出版」と呼ばれているものとは少し違うのである。執筆でも出版でも暮らしを立てまいとすることが、私の仕事においては重要なことになった。しかし「趣味」というような軽いものでもない。説明に苦労するところだ。
「小山清の孤独」には関口勲さんという人の「小山清と木靴」という文章が引用されていて、「年間平均して二冊出るか出ないの遅いペースである。息も絶えだえに続いていると見るのも自由だが、牛歩にも似た息の長さを自讃し得なくもない。」とある。それって、まるで『アフリカ』のことじゃないか! と私は思う。

 編集に手を染めると、自分の書く方が疎かになる、というのは、かつて『VIKING』の編集人だった日沖直也さんから聞いたことがあって、「下窪くんのように両方を、並行して続けている人というのは、あまり見たことがない」と言われたのを印象深く覚えている。私はちょっとびっくりして、そうなのか、と思った。

『VIKING』といえば、この秋、富士正晴の新しいアンソロジーが中公文庫から出た。『新編 不参加ぐらし』という(以前あった同名の本とは違う)。そこに収録されている内容が、文庫で手軽に入手できて読めるようになったことを喜んだ後、しかしその選には、ちょっと感心しないところもあった。選者による解説を読んで、その感触は深まった。
「竹林の隠者」という生前のパブリック・イメージをそのまま受け継いでおり、何やら、その「身の処し方」を見て面白がったり、もしかしたら慰められたいのかもしれない。富士さん自身はそれを受けて文中で煙たがっていることになるので、そう思って読むと面白いような気もしないではないけれど。
 そしてこれが肝心なことなのだが、選者は『VIKING』にあまり興味がないようだ。同人雑誌を、文壇に出てゆく足がかりというくらいにしか見ていないのかもしれない。それでは富士さんの精神が、あまり伝わらない(『VIKING』の話は、この連載の(1)に出てきて、(20)で少し踏み込んだことを書いた)。だから、とくに初めて富士さんの本を読む人には、この本ではなく、ちくま日本文学全集の『富士正晴』を古本屋か図書館で探すことを勧める。ちなみに、その両方の本に収録されている文章がひとつあり、それは「わたしの戦後」だ。

 そんなことをブツブツこぼしていたら戸田昌子さんが「これをふと思い出しました」と言って、岡村春彦さんの「群れの終末 -青銅文学創刊の前後-」という文章を送ってきてくれた。『青銅文学』という同人雑誌の最終号に載っていたものらしい。読むと、戦後すぐの頃の子供と大人の「混乱」と「不信」が描かれている。記録されている、と言ってもよい。子供は、あっという間に成長する。『青銅文学』をつくったのは札幌の高校生たちだった。

「既に高校では旧体制の教師の復権が行われ、若手教師の新らしい教育は壁にぶつかり悲壮感がただよっていた。その中で彼等の中の数人が同人雑誌を作ることを志ざす。それは学校のサークルの外でアウトサイダーとして、独立した雑誌となる。「群れ」が「徒党」への飛躍を試みる。」

「あるものは、小説を、あるものは詩を。だが作品を書かない者もいた。それは何かを表現しようと望む十代の若者たちの集まりであった。従ってそれだからこそ、「徒党」への試みは、「群れ」の部分を残したまま破局へと向う。」

 その雑誌の中心にいたのは、樫村幹夫という人らしい。彼が東京へ行き、続けられた『青銅文学』は、しかしもう元の性格の雑誌ではなくなっていたという。

「“群れ”の雑誌は“個”の雑誌となる。しかしその“個”は何故か私には“他”を求めるものに思えてならない。」

「おそらく、総ては徒労なのかもしれない。だが、やはり、どんなに悪い時代であってもそれは自分の生れ、死んでゆく時代なのだ。それを個としてとらえ、真の連帯の意味を見い出し、“徒党”が生まれるとき、羊の“群れ”は蘇える。」

 その背景には戦争があり、子供時代に「彼らが疎開児童であった」ことがある。太平洋戦争が終わった1945年、彼らは10歳くらいだろう。ちなみに、私がいま書いているこの文章の他の登場人物たちが当時、何歳くらいだったかというと(各々の生年からザッと計算して)井伏鱒二は47歳、小山清は34歳、富士正晴は32歳である。皆、それぞれのやり方で、戦争の影をずっと引きずって行った。私はそれを受け取って、読んだり、考えたりしているのである。

 それにしても、“群れ”が“個”となり、“他”を求めているようだというのは、何だかいまの時代の、私たちの話をしているようにも感じられないか。

 書くということは、そういった試行錯誤のなかに浮かび上がってくる。またそれを記録しておくということ、アーカイブする場を持っておくことの大切さを私は思う。
 岡村春彦さんが『青銅文学』を手元に置きながらその時代を書いたように、『VIKING』が自らの歴史書をその時代、その時代の人たちで書き継いできたように、私は『アフリカ』を傍らに、これから何を書けるだろう。