『アフリカ』を続けて(32)

下窪俊哉

 昨年12月号の(30)で、この連載には大きな区切りがついたような気がする。前回(31)からは第2期、ということになろうか。『アフリカ』の顔(表紙の切り絵)を手がけてきた向谷陽子さんを突然失い、その後の1冊をつくることで、思いがけず、大きな山を越えたようだ。その先の風景が、自分には、どんなふうに見えているだろう?

「ここまでの原稿を冊子にまとめませんか。わたしが勝手にZINEをつくって、イベントで『アフリカ』と一緒に並べたいだけですが」と装幀の守安涼くんからメールが来たのも、(30)を書いた後だった。仮のゲラまで添付されていた。彼が言うには、すでに7万字近くあり、四六判でザッと150ページになるらしい。

 ところで私は、ZINEということばを、自分からは、使わない。自分のつくる本や冊子をZINEと呼ぶ必要を、感じたことがないからだ。
 しかし最近はSNSでZINEをつくっているらしい人との付き合いが増えて、ZINEを売る本屋も増えて、ZINEの即売会やイベントが行われていたりして、私の目には賑やかだ。

 ZINEにもどうやら、いろいろあるらしい。なぜこれがZINEなの? と思うようなガッチリとした本や雑誌もある。かと思えば、家庭用プリンタで印刷してホッチキスで綴じたような簡素な本もある。私が十数年前に初めて耳にしたZINEのイメージは、後者である。そのイメージのなかにいる限り、何というか、プロの仕事をしてはならない。遊んでいる方が面白い。下手くそでいい、というより、下手くそが推奨される。上手くつくろうなんて!(ツマラナイヨ)
 いま、たまに本屋で見かけるZINEからは、あまりそういう感じを受けない。どちらかというと、小ぎれいな本が多い。そのなかに小ぎたない本(?)が混ざっていると、ハッとして、ちょっと嬉しくなる。
 もしかしたら、会社組織ではないグループや、個人あるいは少人数でつくった少部数の出版物の総称して、ZINEと呼ばれているのかもしれない。しかしそれなら、リトルプレスでいいじゃないかという気がする。
 ZINEということばの由来と歴史については、今回は省略しよう。要するにいま、ある界隈では猫も杓子もZINE状態なのだろうけど、私から見ると、どれも、ようするに〈本〉である。
 スッキリ考えられるところを、あえてゴタゴタさせたいとは思わない。自分のつくるものは他所と違うと区別したい気持ちもない。自分は素人で下手なんです、と言い訳したい気持ちもない。少なくともいま本をつくるにあたって、私にはプロも素人もない。書かれたもの、描かれたものなどがあり、それを〈本〉という器に落としてゆくだけである。

 話が一気に逸れたが、つまり私にとって、四六判・150ページの「『アフリカ』を続けて」はZINEかな? と思うところがある。守安くんもさすがにそこは、そう思っているかもしれない。なぜなら、中綴じの本にしたいと言っていたから。ちょっと厚すぎるかな?

 それにしても7万字、いつの間にか書いていた。しかしそれをそのまま、順番に並べて本にするというのでは芸がない。読み返してみると、最初の回はともかく、毎月書いていると、いい感じで書けたと思う回もそうじゃない回もあるし、冗長になっているような箇所も書き込みが不足しているような箇所もある。推敲して削ったり、加筆したり、順番を入れ替えたり、項目ごとにタイトルをつけたり、本にするならそういった編集を経てからにしたい、と話して作業を始めてみたのだが、守安くんの言っているイベントは2月らしくて、それには間に合わせられそうにないということがすぐにわかった。

 この連載が第2期に入ったと書いたが、『アフリカ』自体が大きな区切りを迎えて、次へゆこうとしているのである。それくらい向谷さんの存在は大きかった。それも、いつの間にか大きな存在になっていた、ということだろう。この年末年始に手紙を整理していたら、2010年の秋、『アフリカ』vol.10を出した頃に、向谷さんが「節目のこのタイミングでお断りしようと思いました」と言っている手紙を見つけた。どういうことかと思って読んでみたら、着実に前に進んでいる(と彼女には見えている)私の姿を見ていて羨ましくなり、自分の作品を見返してみたときに「怖く」なったのだそうだ。本当にこんなものでよかったんだろうか、『アフリカ』の顔を描くのには、もっとふさわしい人がいるのではないか、云々。えらく自信がないのである(そう言いながらも新作は“切って”いたのだが)。そんな話はすっかり忘れていたが、手紙をくり返し見ていると、少し思い出してきた。それを読んだ私は、おそらく苦笑したはずである。どのような返事を出したのかは、わからない。でも、これからもあなたの切り絵でゆきたいと伝えたことだけは確かだ。

 さて、私はこれからも『アフリカ』を続けたいのだろうか。もう止めたいと思っているところはない? と自分に問いかける。ないとは断言できない。かといって、積極的に止めたいという気持ちもないのである。これを惰性というのかもしれない。私にはたくさんの人に伝えたいという気持ちがない。未知の誰か(その人はいつもひとりで待っているような気がしている)に何かを伝えたいという気持ちはある。未来の読者へ届けたいという気持ちもある。かつての私にとって、未来の読者には現在の自分も入っていた。例えば、そのvol.10をつくった頃の自分が、いまの自分にどんなことを伝えようとしているか、耳を澄ましてページをめくってみる。どんな声が聴こえてくる?
「続ける」ということのなかには、そういうこともある。

(お知らせ)2月のイベントというのは、「おかやま文学フェスティバル2024」の一環で2/25(日)に行われる「おかやまZINEスタジアム」のこと。「Huddle」という屋号で、『アフリカ』も販売するそうです。当日、『アフリカ』を購入いただいた方へは、小冊子「『アフリカ』を続けて」vol.0(仮称)のプレゼントがあるかもしれません。