仙台ネイティブのつぶやき(91)生きているのか死んでいるのか

西大立目祥子

クジラにはもう力がなかった。懸命に尾びれを動かしても、前に進むことができない。ただふわりふわりと波間にたゆたうだけ。呼吸が苦しくなると、潮の流れに乗るようにして水面まで浮き上がりわずかに空気を吸う。ふぅっ。そんなことを何日繰り返したのだろう。日が登り、日が沈む。もう終わりが近いことをクジラは知っていた。さようなら、海。さようなら、空。さようなら、みんな。日を追うごとに月は欠けていく。やがて、海原の向こうにやせて上ってくる月をクジラの眼はとらえられなくなった。水音だけは、かすかに聞こえる。漆黒の闇に閉ざされた新月の夜、クジラの心臓は静かに止まった。

流されるまま海を漂って数日後、分厚い脂肪におおわれた体の奥、腸から腐敗が始まった。腸内の細菌や微生物がみるみる増殖し、メタンガスが体内に充満してクジラの体はパンパンに膨れ上がる。もう張り裂けるほどに。

昨年11月15日の夕刻。車のラジオをつけると、こんなニュースが耳に入ってきた。
「15日朝、宮城県石巻市の沖合で、クジラが定置網に引っかかっているのが見つかりました。クジラは体長10メートルを超え、すでに死んでいると見られ、宮城県などが対応を協議しています。
 クジラが見つかったのは、石巻市にある狐崎漁港の沖合1キロほどの場所で、15日午前6時ごろ、近くで漁をしていた漁業者が定置網に引っかかり、腹を上にした状態で浮いているのを見つけたということです。…腹が膨らんだ状態などからクジラはすでに死んでいるとみられ、死んだあとに流れ着いて網に引っかかったと推測されるということです。…県などが今後の対応を協議しています」(NHKニュース)

「腹が膨らんだ状態」という説明に、反射的に子を持った雌クジラかと思い、一瞬気持ちが陰った。が、それは死後数日が過ぎてガスで体が膨れ上がっているからなのだった。巨体はいとも簡単にくるりとひっくり返り、無惨に白い腹を上にしたまま日を浴び、夜は月に照らされ、沖に流され陸に戻されを繰り返すうち、定置網に動きをはばまれたのだろう。これが砂浜なら、打ち上げられていたはずだ。

ニュースを聞いてから、この海を漂うクジラの姿が胸にとどまり続けた。なぜ?じぶんでもよくわからない。クジラは老いて死ぬのか、病で死ぬのか。若くしても命を落とすクジラはいるのか。アフリカの草原の映像で累々とゾウの骨が風にさらされるように、海にクジラの墓場もあるのだろうか。いま、人は死ぬとさっさと焼かれて埋葬されてしまうけれど、腐敗が進みメタンガスが満ち満ちたクジラの体はどう変化していくのか。その前に表皮を鳥についばまれ、シャチに食われ、海底に沈んでいくのだろうか。生命の起源は海にあるのだから、その死に方は根源的な哺乳類動物の消滅の過程を教えているのだろうと思う。

ガスで膨れ上がったクジラは、極限までくると爆発してしまうという。脂肪も肉も血管も体液も、ものすごい臭いとともに飛び散り、事故にもなりかねない。1年に数回、国内でも浜に打ち上がったクジラが報道されるけれど、爆発に巻き込まれずに処理を進めるにはかなり注意を要するようだ。報道にあった「宮城県で協議」とは、事故に備えつつ処理をどう進めるか検討をするということだろう。

翌日、続報があった。
「昨日、石巻港から沖合14キロほどのところで発見された体長10メートルを超えるクジラ。…このまま放置すると破裂しクジラの油が養殖業に影響することなどから、県は処理方法を検討していましたが、発見場所から東に20キロほど進んだ金華山沖に沈めることを決めました。漁協や捕鯨会社の協力を得て、今日午後から捕鯨船を使って引っ張っていて、到着次第ガスを抜いて、最大1.6トンの重りをつけて海に沈める予定です」(ミヤテレNews)

テレビで小さな捕鯨船に沖へと曳航されるクジラを見た。クジラの白い腹はわきにくっきりと何本もの黒い縞が入り、卵を半割にしたように膨らんでいた。別局では、ガスをナタで抜く、といっていた。
金華山沖の目的に到着した船はエンジンを切り、腹を裂く作業をして砂利を詰めた重りとともにクジラを沈めたはずだ。水の中に引き込まれた巨体はゆるゆる沈んでいき、海底の砂の上に横たわった。そこはどんなところだろう。13年前のあの大津波で流された物も散らばっているのだろうか。

そして、ここから新たな物語が始まっていく。クジラはその体すべてをまわりの生き物たちに分け与える。10年にもわたって。そこには「ホエイルホール」とよばれる生態系が生まれるというのだ。移動しない生物たちが死んだクジラを拠り所に活動を始め、その数を増やしていき、そこには見事な生命の循環が誕生する。
クジラは死んだといえるのだろうか。深海の生き物たちと生きているのではないか。もはや私にはわからなくなっている。

    ◎

地下鉄に乗り込み座ってバッグから読みかけの本を出して開いたとたん、反対側のドアの前に立つ男と目が合った。コートもズボンもリュックもねずみ色。頭の毛はやや後退し、口ひげをたくわえている。よく似ている。数日前、新聞の訃報欄を見て驚いたスペイン料理のオーナーシェフに。なんだ、あの記事は間違っていたんだ。生きているじゃないか。そう思える。いや、そう思い込む。男は同じ駅で降り、足早に歩いてエスカレーターの3人ほど前に立った。やっぱりそうだ。この駅が店の最寄り駅になる。いまから店に出て夜の仕込みにかかるに違いない。鍵は信頼できるバイトの学生が開けているんだ。いや、そんなわけはない。訃報が間違っているわけが…。しかし、でも。地上に出て夕闇に包まれたとたん、男の姿は消えていた。

その店には2回しか行ったことがない。でも2回とも、おいしく楽しく飲んで食べた。すこぶる居心地がよく、いい時間を過ごせたのはどちらも祝宴だったからか。それだけではないような気がする。暗い裏通りの店は間口が1間半くらいしかなかったけれど、クリーム色の壁に大きなフライパンがぶら下がり、ワインのボトルが並んでいて入りたくなるようなガラスのドアが立っていた。入ってみると意外にも奥に深い店内には木のテーブルと籐の椅子が並び、小さなペンダントと壁の間接照明がリズミカルに黄色い光を放っている。何時間でも飲んで食べておしゃべりができそうだった。

2回目に行ったとき、つまりは最後に食事をしたときは7、8人で飲み放題コースを頼んだのだったが、ほぼ満席でシェフはてんてこ舞いだった。メンバーが一人遅れてきたのでコースには入らず急遽、別オーダーにすると、「いやー、もう今日はバイトが急に休んで、俺一人なんだ」とぼやきつつ「いいです、もうみんないっしょで」と話し、厨房からでき上がった料理をみずから次々と運んでくる。途中から、大皿のサービスが大変なのか「悪いけど、仕切りのスクリーン開けさせてもらいますよ」と間仕切りを開け放った。そのやりとりに、今日に限らずいつも必死のいい人なんだな、と直感した。

友人たちと飲みにいく話が出るたび、あのスペイン料理の店に行こうよと話していたので、新聞に店の名を見つけたときは衝撃だった。「スペイン料理店、オーナーシェフ、57歳で急逝いたしました」とあり、妻と思われる女性の名前が記されている。心筋梗塞なのか大動脈解離か進行がんなのか、わからないけれど、あっけなく亡くなってしまったのだ。もしや店で倒れたのだろうか。深夜まで働き、次の日もランチをサービスする毎日だったら疲労困憊だったろう。でも本当に?間違いはないはずなのに、ウェブサイトを見ると変わらない入口や料理の写真が掲載され、「営業中」と記されている。店は、誰かが開けているのではないか。それこそ、急に休んだバイトの子が継いだのではないか。噂を耳にすることもなく日は過ぎていった。

訃報を見て2カ月がたったころ、夜7時からその店の近くで会議があり、地下鉄を降りて前を通った私は、たしかここだっけ、とビルの前で足を止めて狐につままれたような気持ちになった。え、ここ? 本当にここ? 入口はあまりにも変わり果てていた。薄汚れたガラス戸。何の変哲もないサッシの窓枠。ただの古ぼけた小さなテナントビルの前で、私はしばらく立ち尽くしていた。

暗闇で一本道を間違えたのか。そうも思った。でも、あの場所だった。2回目にいっしょに飲んだ友人と「新聞にのっていたね、亡くなったんだね」と確かめあったから、間違いはない。店は閉まったのだ。でも、ネットで検索すると、今日も営業中で、パエリアから生ハムのサラダからいろんだ料理を取り揃えている。電話番号も書いてある。かけてみようか。もし、つながったらどうしよう。

どこかで店は今夜も開いている。客の話し声を聞きながら、シェフは厨房で料理に腕を振るっているのではないか。