個人的に激動だった7月が過ぎて、予定より遅れに遅れた『アフリカ』vol.37(2025年8月号)も入稿、私の手を離れ、いつものニシダ印刷製本にお願いしてある。8月はじめには完成する。スンナリ出来なかったものであればあるほど愛着も増すというもので、語れること、書けることがたくさんあるが、今月は「どんな内容なの?」に応えるものを書いてみよう。
巻頭を飾っているのは、本人曰く”道草の家のWS(ワークショップ)練習生”であるスズキヒロミさんの「「藤橋」覚え書き」。さいたま市の史跡に「藤橋の六部堂」というものがあるそうで、その「藤橋」にまつわる伝説を筋書きにした前半部と、昭和45年にその資料が発見された経緯を書いた後半部からなる見開き2ページ。「道草の家のWSマガジン」に2回に分けて書かれたものをまとめ、加筆・修正したもので、スズキさんにはさらにこの先の話を書きたいという気持ちもあるらしい。「書きたいことを書いてください」というと自分のことを書く人が多い中で、「藤橋」の話は書き手が子供の頃に住んでいた地域にまつわる歴史を素材にしている。その文章の、何とも言えない素朴な感じに、私は惹かれた。
目次と、例によって真偽の入り乱れたクレジット・ページを挟んで、現れるのはカミジョーマルコさんの絵「スターの引退」と、その裏話を伝えるコメント。これも絵は「WSマガジン」からの転載だが、コメントは初出。カミジョーさんもこのコメントの続きを書きたい気持ちがあるそうだが、短く言い切るからこそ伝わる何かもあるような気がしている。
今回は全96ページ。歴代の『アフリカ』の中で最も厚い。いま書きながら気づいたのだが、vol.31(2020年11月号)も同じページ数で、そこにも私の長いお喋りが掲載されていた。その時は『音を聴くひと』という私の作品集をつくった直後だったので、その本にかんして数人から問いかけをいただいて、それに応えるかたちで、架空の人物との対話文をつくったのだった。ある種のフィクションと言えるだろう。
今回載っているのは、完全なフィクションではない。今年の春、3月1日(土)の朝と夜のお喋りを再現したものだ。
朝の舞台は、大阪・梅田の喫茶店で、同人雑誌『VIKING』の元編集人・日沖直也さんと約10年ぶりに再会して、『夢の中で目を覚まして – 『アフリカ』を続けて①』を読んでもらった感想をとっかかりにして、「富士正晴の影響を追って」思いつくままに語り合っているドキュメント。
もうひとつのお喋り、夜の部は、岡山に舞台を移して、この連載ではお馴染みの守安涼くんとビールを飲みながら話したもの。彼が最近、力を入れている「サイレントブッククラブ」や「おかやま文学フェスティバル」をはじめとする文学創造都市おかやまの取り組み、『夜の航海』と『夢の中で目を覚まして』というアフリカキカクの新刊にかんする裏話や、イベントのためにつくられたZINE(自宅や会社のプリンタを使ってちょっとつくってみた小冊子)がどういったものだったかを紹介したりと、盛りだくさんの内容だ。
そこに書かれているようなお喋りを、私は長年にわたってくり返してきたが、文章化して発表するのは、もしかしたら初めてかもしれない。
今回も久しぶりに会って話すのに、ボイスレコーダーなどを回して録音しようという気にはならなかったが、とても印象深い語り合いで、別れた後すぐに「これは書いておきたい」と思った。自分自身で、覚えておきたいと思うのだ。移動中にメモをたくさん取った。後日、それを眺めていたら、これを独占しているのは勿体ないような気がしてきた。メモをそのまま発表するわけにはゆかないので、どうするかというと、その時の対話を思い出して書けばよいのだ。「富士正晴の影響を追って」と「岡山にて」は、そんなふうにして出来た。もちろん対話には相手があるので、見てもらって加筆・修正が大胆に行われ、完成形になった。本来、文学作品とはひとりの作者で完結するものではなく、複数人で書かれるものである。これでよし!
日沖さんによると、「こんなふうにさっとでっち上げられる手腕に、またもや、のんしゃらんな気質を感じます」とのこと。「のんしゃらん」を調べたら、フランス語の「nonchalant」から来ているとのことだけれど、かつて山田稔さんがパリから『VIKING』に書き送った連載「フランス・メモ」(後に『幸福のパスポート』という本になった)の影響も大きいのだろう。対話の中の私も、思わず「山田稔の影響を追って」いきそうになっている。何しろ我々は生前の富士さん本人には会ったことがなく、山田さんとは酒を酌み交わしたりしていたのだから。
私、下窪俊哉の「とりあえずの二〇〇六年」は、この連載の(33)〜(36)、つまり『夢の中で目を覚まして』の最終章を含め、その後の数回をまとめて加筆・修正したものだ。続編を本にするのは、おそらく2年後くらいになるはずなので、ここで小出しにしておいたのだが、この後どうなるかは例によって自分にもよくわからない。
犬飼愛生さんの詩「おあいこ」は、昨年の秋に書かれていたものだが、海水浴に行ってくらげに刺された子供の声が描かれている。そこに私は、大人になった(かつて子供だった)詩人のイマジネーションの働きを感じ取り、その出来事が描かれた「絵にっき」の内容が気になる、と原稿が送られてきたメールの返信に書いた。そこから何ヶ月もかかって、ようやく出てきたその「絵にっき」のクラゲが、本当に絵に描かれたようで、素晴らしいと思った。
『アフリカ』初登場、奥野洋子さんの「僕のガールフレンド」は、書き手の母のいとこ(いとこ叔母)のアメリカ人のパートナー(いとこ叔父)と亡くなる直前に初対面し、その死に立ち会った経験を語るエッセイ。この原稿も昨年・秋に読ませてもらって、度重なる改稿の末にかたちになったもので、思い入れの深いものだ。身近なひとの死は誰でもいつか体験するものだが、ここに描かれているのは、身近に感じていたけれどいま初対面になる異国のひとの死であり、ユニークだ。ある程度の時間を経てから、その記憶を書き留める私、という存在への眼差しもある。
RTさんの「潜る」は、ハンガリーの映画監督タル・ベーラが、2024年2月に福島で開催した映画制作のワークショップを追った小田香監督のドキュメンタリー「FUKUSHIMA with BÉLA TARR」と、そのワークショップで生まれた作品集「LETTERS FROM FUKUSHIMA」について書かれたもの。RTさんは大阪と和歌山の映画館で観ているのだが、この原稿を読ませてもらっていた最中に東京のユーロスペースでそのふたつの映画の上映があり、私も実際に観た。『アフリカ』に載った原稿以上に、やりとりしたメールの文章が印象深かったような気もするが、それをそのまま『アフリカ』に載せるわけにはゆかないというのも、「書く」ということを考えるうえで重要なことだったのではないかと思っている。
戸田昌子さんの「耳の祝祭」は、前号の「明け方、鳥の鳴き出すとき」の続編というより姉妹編のような短篇小説。おそらく、まだかたちにはなっていない大きな小説の構想があって、その一部を表しているものなのだということがわかる。ここに描かれている世界が未来なのか過去なのか、わからないけれど(おそらく前者だろう)、いつだって小さな救いは、どこかに見出すことが出来るのかもしれないといった希望を感じながら読む。違法薬物とされる植物をめぐる複数人の細やかな日常が描かれており、前作同様、音楽家・Kahjooeの作品に捧げられている。
守安涼「お城とベンチ」は、同名のZINE(小冊子)写真集の再編集版。その小冊子は3月のおかやま文学フェスティバルにおいて限定部数制作・販売されたが、『アフリカ』の読者には殆ど届いていないと思われるので、それがどのようなものであったかを伝えるページをつくった。
坂崎麻結さんの「正月日記二〇二五」は、これも「WSマガジン」に載っていたもの。坂崎さんは最近、横浜の本屋「象の旅」の片隅で「SCENT OF BOOKS」として本を売っていて、そこでは『アフリカ』も売られている。滅多に会うことはないのだが、私の日常とたいへん近いところにいる人であり、この「日記」でも、私が今年最初に観た映画を坂崎さんも同じように観ていたりして、他人事のように思えない。とはいえ、編集している私が、これを書こうと思って書けるものではない。それも、雑誌をやるということの愉しみであると言える。正月の記録を夏に読んで、最近のことだと感じられるか、もっと遠い過去のことのように感じられるだろうか。私には後者であった。
UNIさんには、何となくの思いつきで、仕事の話を書きませんか? と連絡したら、すでに書いているものがあるというので、見せてもらった。それが今回、ラストに載っている「平日の朝」。このような日常は誰にでもあるだろうと思うけれど、それを書き起こす中には、何らかの創作が現れてくるようだ。「平日の朝」は1回ではなく、無数にくり返すのだと思って読むと、この1ページ分の短い文章もそう簡単には終わらない。
今回はお蔵入りしてしまった原稿の多さも、印象深かった。書こうとしている内容にはどれも見るものがあり、私はそれらを何とかして載せたいと考えていたが、それが可能な状態にまで至らなかった。雑誌の編集人には、その原稿を載せるか載せないかにかんする権限はあるが、原稿を添削したり、勝手に手を入れたりするような権限はないと私は考えている。いくら載せたくても、載せられない原稿が出るのは仕方のないことだ。ただし今回は、自分の書いたある人の珈琲にかんする談話の原稿もボツにしてしまい、苦笑いしていた。
編集後記でも触れたが、表紙の切り絵は、これまで誌面では未発表だったものである。向谷陽子さん亡き後、見つかった未発表作品は殆どないのだが、これはそのひとつだ。vol.11(2011年6月号)に類似する作品が載っているので、その時の別バージョンなのだろうか。あるいは、数年後に展示会をした際の新作だったかもしれない。その経緯がどういうものだったのか、知りたいような気もするが、現時点では手がかりがない。その、手がかりがないのも、『アフリカ』を続けてゆく力になり得るのではないか、という気がしている。
これから、また地道に販売して、読者へゆっくり届けてゆくことになる。例によって、販売にかけられる力の弱いのが、悩みだ。印刷製本にかけた費用分くらいは、早めに売ってしまいたいのだけれど。でも、一気に売り切れてしまうよりは、ゆっくり売れた方が未来の読者へは届くだろう。