号外

北村周一

山下清という画家がいた。
小学校6年生の時にふとしたきっかけでその画家と出会うことになった。
サインまでもらった。
もらったというよりサインが欲しくて山下清の絵はがきを買った。
いま手許にあるのはそのうちの一枚。
ロンドンのタワーブリッジをペンで描いたもの。
その場でのスケッチというよりもホテルに帰って思い出し思い出し描いたものらしい。

静岡市の中心に駿府公園という緑豊かな一画がある。
もともと駿府城があったところでお濠が周囲をかこっていてそれなりに風情があったように記憶している。
小学校の遠足でも何度か訪れた。
広々とした公園の中に児童会館があってちょっと不思議な体験ができるので必ず立ち寄ることにしていた。
その駿府公園で写生大会が開かれた。
主催は静岡県児童会館長。
協賛はクレパス本舗株式会社桜商会。
(ここまでわかるのは山下清の絵はがきを探していたらたまたまこの写生大会の時の表彰状が出てきたからでといっても大した賞ではなかったのだけれど・・・)

正式名は母の日写生大会。
昭和39年の5月に開催された。
東京五輪の年である。
清水の当時通っていた小学校からは自分ひとりだけが参加した。
清水からは遠かったので父親が付き添ってくれた。
まず最初に描く場所を決めなければならなかった。
どこでもいいという訳にはいかなかったので取り敢えずあちらこちら歩いてみた。
この場所決めがいちばんむずかしかった。
もう絵を描き始めている子もいたりしてすこし焦った。
適当に居場所を決めてスケッチを始めたら何とかなるだろうと思っていたけれどだんだんくたびれてきてお昼までに終えようと思ってせっせと絵を仕上げているとどっかに消えていた父親がもどってきて山下清の話をしだした。
手には号外を持っていた。
山下清画伯来るの号外である。
それで父親にせがんでその画家の展覧会を見に行くことになった。

道々の電信柱には号外がペタペタと貼られていて妙に物々しかった。
呉服町通りのとある画廊というよりも呉服屋さんの壁に画伯の絵が何枚も飾ってあった。
人が多かった。
特に中年の着物姿のおばさんがいっぱいいた。
白粉の匂いが店内に充満していて息苦しかった。
当の画伯はというと商店の中央に座っていてめんどくさそうに周囲を見渡していた。
ランニング姿ではなかったしヘラヘラ笑ってもいなかった。
絵はがきを買ってサインをもらった。
一字一字丁寧にサインしていた。
画伯の絵についてはあまりよく覚えていないが数年前に旅行した時に描いたヨーロッパの町々の風景がテーマだったようだ。
東海道五十三次の制作にも取り掛かっていたようでそれで静岡県の各所で展覧会を開いていたらしい。

 絵はがきや切手とともに抽斗へ仕舞いわすれし東京五輪