仙台ネイティブのつぶやき(84)お盆に食べるもの

西大立目祥子

 お盆には、「ずんだ餅」と「おくずかけ」を食べる。「食べる」と書いたけれど、なかなか「つくる」と書けないのが現実だ。特にずんだ餅は。
 枝豆をやわらかめに茹で、さやから豆を取り出し、さらに一粒一粒の甘皮を取り除く。それをすり鉢でつぶし(もちろんフードプロセッサーにかけてもいいのだが)、少しつぶつぶ感が残るくらいのペーストにして、砂糖と塩で甘味を整え、餅にからめる。一世代前くらいまでは、家々の台所でつくるものだったろうけれど、これだけの手間ひまがかかるのだから、いまは買うもの。お盆の前には、スーパーも餅屋もお菓子屋も、こぞってずんだ餅を売り出す。やはり、豆の香りが立つあざやかな黄緑色の餅は、夏の行事には欠かせない、と多くの人が思っているのだろう。あそこの餅屋のはすりつぶし過ぎだとか、こっちのはいまいち風味が足りないとか、という話もよく耳にする。

 ずんだ餅一つにあれこれ好みを述べ立てたりするのは、やはり宮城が米どころで、餅文化が根強く生きているからなのかもしれない、とあらためて思う。特に仙台平野の北に広がる大崎平野以北は、ごちそう、お振る舞いといえば餅だったようだ。手元にある『宮城の食事』(農文協・1990年)をみると、この地方の餅料理として紹介されているのは「あめ餅」「くるみ餅」「おろし餅」「おづげ餅」「よもぎ餅」「納豆餅」「えび餅」「ごま餅」「しょうが餅」「小豆餅」「ずね餅」「ずんだ餅」と、ざっと12種類。ちなみに「おづげ餅」は、汁物に餅を浮かせたもの。「おつけ」がなまっている。「ずね」とは「えごま」のことだ。赤いお椀に盛られた餅がみんな茶色っぽい見た目の中で、ずんだ餅は軽やかな緑。やわらかな緑色のあんの下に白い餅が透かし見える。清々しく特別のものという雰囲気があって、お盆のとき帰ってくる亡くなった人のために手をかけて準備し仏壇に供えたというのもわかる気がする。一年に一度帰ってくるのだもの、大変でもおいしいものを用意して、ともに食べ、そしてあの世へ返してやろうという気持ちがわいてきたのだろう。

 私はというと、これまでずんだ餅をつくったのは2、3回。一度思い立って一人台所で作業したことがあったけれど、枝豆を茹で、さやから豆を出し…と、ここまではまぁやれたけど、そのあとの作業でヘトヘトになり、おいしかったどうかあまり覚えていない。
 でも、一度、最高にうまいずんだ餅づくりを経験している。東日本大震災のあと、仙台市の沿岸部、三本塚という地域で、収穫から食べるところまで、10数人が集まり協働作業でやり遂げた。畑に行って、根元から引っこ抜いた枝豆を軽トラックの荷台に山のように積んで集会所に運び、テントの下に積み上げ、まわりをぐるりと数人で囲んで枝からさやをはずし、洗ったあとは地元のお母さんたちがつぎつぎと茹で上げ、たしかフードプロセッサーを使っての流れ作業。床の上には、昔風を体験したい人はこっちもどうぞというように大きなすり鉢とすりこぎも用意してあって、ごりごり豆をつぶす人もいた。

 このときのずんだ餅は、夏の記憶の1コマとしていまもときおり思い起こすほどにおいしかった。収穫したばかりの枝豆のうまさはもちろんあるけれど、茹で上がってくる豆の香りが充満する集会所の中で、わぁわぁと協働作業でやった楽しさに縁取られているからだろうか。サヤから豆をはじき出すなどという地味につらい作業はやっぱりみんなでやるのがよい。かつてはお盆がめぐりくるたびに準備できたのも、7人、8人と大勢で暮らしていたからなんだろうな。

 さて、一方のおくずかけは、毎年自作する。出汁をとって、里芋、人参、インゲン、椎茸、豆麩を入れて煮て醤油で味をつけたら、宮城県南の白石名産「白石温麺(しろいしうーめん)」を半束くらい茹で入れ、片栗粉でとろみをつける。白石温麺は油を使わずに製造された長さが乾麺の半分くらいの細麺で、おくずかけには欠かせない。お椀によそうと、表面には豆麩が浮かび、中には細い麺が泳いでいて、見た目からしてほかの汁物にはない独特の味わいだ。

 東北には、お盆に仏壇に盆棚をつくり、素麺を供えたり食べたりする風習も残る。最近は盆棚をつくる家は農山村でも少なくなったとは思うけれど、棚にマコモの葉を敷き、その上に素麺を束のままのせたり茹でて供えたりしたという話は、地域を問わず聞かされる。細く長く幸せにとか、帰ってきた先祖の霊が帰るときに使う手綱だとかいろいろな説があるみたいだが、6月ごろに麦の収穫を終えているわけだから、豊作感謝の意味合いも込められているのかもしれない。麺は特別のごちそうでもあったのだろう。おくずかけは、お椀に麺を入れ込んでさらに格別度が増している。

 考えてみると、ずんだ餅に使う青豆だって、未成熟の豆を先取りして食べているのだから、まぁかなりの贅沢でもある。いまは農家はお盆から逆算して種まきをする。

 私が格別にうまかったずんだ餅を味わった三本塚では、あのおいしさをもう一度というわけでもないのだけれど、5月に大豆の種まきをした。この地区では大津波被害を乗り越え、多くの人たちが戻って暮らし、地域の行事やつきあいを取り戻している。町内会長さんが暮らしの記録をまとめたいと考えていて、住民の方から聞き取りをするお手伝いをすることになった。何かテーマがあった方がいいだろうと、いっしょに活動をする東北芸術工科大学の学生さんたちと7畝ほど大豆をまいた。

 カラスにやられ、でも5畝はすくすく育っていたのだが、連日の猛烈な暑さで大豆はぐんぐん育ち、いや育ちすぎ、これは予定を早めないと、と町内会長さんから連絡がきた。8月26日に予定していた豆の収穫を7日に繰り上げ。何と3週間も早めることになった。
7日は「こんな夏は初めてだよ」といいながら、汗だくになっての収穫、豆もぎ、豆茹で、そしてすりつぶし…になるのだろうか。再び格別のずんだ餅をみんなで味わいたい。