本小屋から(3)

福島亮

 本小屋の近くに、小さな池がある。
 池には大きなミシシッピアカミミガメが4匹暮らしていて、日中は石の上で日光浴をしている。4匹同時に甲羅を干している時もあれば、1匹だけのこともある。だから池の前を通るときは、今日は何匹日光浴しているか予想することにしている。

 亀にとって日光浴はきわめて重要な行いだ。紫外線を浴びることで、ビタミンDを生成し、それによって甲羅や骨のもとになるカルシウムを吸収するからである。また、水中に長時間いる亀にとって、日光浴は甲羅や皮膚に付着する病原菌を殺菌する意味合いもある。そのような効能に加えて、やはり温かな日差しを浴びるのは気持ちが良いのだろう。いわゆる「スーパーマン・ポーズ」と呼ばれる、手足をピンと伸ばした姿勢で日光浴をしている亀たちを見ると、なんとも気持ち良さそうだ。じっさい、変温動物にとって、太陽の熱は身体の温度を保つ唯一の恵みである。その恵みを全身に浴びながら、食べたものをゆっくりと消化する時間は貴重な時間であるはずだ。

 先日、今日は4匹だと思いながら池を確認すると、石の上にいたのは2匹だけだった。後の2匹は水中にいるはずだ。見ると、水の中を1匹の亀がスイスイと泳いでいる。器用なものだ。時々首を伸ばし、水底の落ち葉や泥を鼻先で漁っている。だが、それを見ながらなんとも妙な感じがした。というのも、やけに首が長いのである。池に住むアカミミガメはどれも立派な体格で、甲長25センチくらいある。たしかに亀は首を甲羅の中に収納できるから、想像するよりも実際の首の長さがあるのは理解できるが、それにしても首の長さが20センチもある亀がいるだろうか。不審に思い、よくよく眺めてみて、疑問は氷解した。泳いでいたのは、アカミミガメではなく、スッポンだったのである。このスッポンがどこからやってきたのかはわからない。小さな池だから、野生の個体だとは考えにくい。誰かの包丁の下から、逃げ出してきたのかもしれないし、近くを流れる川にもともと住んでいたのかもしれない。あるいは、誰かが放したのか。まさか、とは思うが、大きくなるまで池を泳がせ、いつの日か……。

 これまで何度か亀を飼ったことがある。小学1年生くらいの頃、いわゆる「ゼニガメ」を2匹、親にねだって買ってもらったのが亀と付き合った最初の記憶だ。本来ゼニガメというのは、イシガメの子どもを指すのだそうだ。だが、イシガメはデリケートな亀で、環境の悪化に弱く、数が減っている。そのため、クサガメの子どもをゼニガメと称して販売している。いずれも黒っぽくまん丸な500円玉サイズの甲羅は、銭にそっくりだ。だが、たしかに私がねだったのは「ゼニガメ」だったはずで、この言葉を覚えたのもその時だと思うのだが、しかし、記憶の中の子亀は、緑色をしているのである。となると、それはいわゆるミドリガメ、つまり、アカミミガメの子どもだったのかもしれない。夏休みが近くなるとペットショップの炎天下の軒先に何十匹と子亀が入ったタライが置かれ、夏休みの子どもたちを引き寄せる。そんな「客寄せ亀」だから、正式名称を与えられず、本来であればイシガメかクサガメの幼体を指す「ゼニガメ」という愛称を適当に付けられて、あの緑の子どもたちは文字通り二束三文で売られていたのかもしれない。当時、その「ゼニガメ」は1匹500円程度だった。子どもの小遣いでも十分に購入できる亀たちは、その後どうなったのか。うちにやってきた子どもたちはプラスチックケースに入れられ、毎日覗き込まれたり、撫で回されたりした挙句、ろくに日光浴もできぬまま、衰弱死した。元気いっぱいだった頃の子亀は、甲羅をつまんで持ち上げると、手足をばたつかせてもがいていて、なんとも愛らしかった。それがどれだけストレスだったか、私にはわからず、カブトムシやクワガタと同じように、殺してしまったのである。

 こんなふうに、亀との思い出は、後ろめたいものであり、あまり思い出したくない。唯一幸福な思い出は、大学生の頃、夜、高田馬場を歩いていた時に拾った亀との出会いである。どうしてあんなところに亀がいたのか、よくわからないのだが、たしかあれは雨が降った後の夜だった。歩道に掌くらいの大きさの黒い塊が落ちていて、なんだろうと思ってよく見てみると、それは手足を縮めた亀だった。ひとまず拾って、交番に届けたのだが、交番では犬か猫でないと対応できないという。亀は落とし物として扱われ、1週間ほど保管されるが、その後は焼却処分されるらしい。「うちでは殺すことになるから、よかったら飼ってやってください。」

 亀に太郎という名前をつけ、大きめの衣装ケースに入れて飼うことにした。卒業論文と修士論文を書く際に、徹夜に付き合ってくれたのも、この太郎だった。太郎は表情豊かで、私が徹夜をしていると、こちらの方をじっとみながら時折あくびをした。また、どこで覚えたのか、手の甲で目を拭う仕草もした。さすがに可哀想なので、タオルケットでケースを覆い、暗くしてやると、今度はかえって目が覚めてしまったのか、長い爪でケースの壁を引っ掻いて餌をねだってくる。こんなふうに、やたら自己主張をしてくる太郎だが、彼(太郎はオスだ)はアカミミガメではなく、キバラガメという種類の亀だった。腹甲が黄色いから、キバラガメ。一般にはイエロー・ベリー・タートルという名前で流通している、ミシシッピアカミミガメと同じくアメリカ大陸原産の亀で、幼体は甲羅が緑なので、アカミミガメと混ざって輸入されることがあるそうだ。いずれにしても、太郎はかつて人間に飼われていたと思われる。自然下で繁殖した個体なら、あそこまで人懐っこくはなかったはずだ。

 その後、私はフランスに行くことになり、太郎との別れがやってきた。従兄弟の友人が亀を飼っているというので、その人に託すことにした。いま太郎がどうしているか、私は知らない。

 ミドリガメ、つまりミシシッピアカミミガメ(時にキバラガメ)の幼体は、その色が美しいことから愛玩用として1950年代半ばから日本への輸入が始まった。チョコレート菓子の景品として郵送でばら撒かれたこともあるというから、当初から生き物としての扱いではなく、子どもの玩具、客寄せ用の景品、つまりは物だったのだ。環境省のデータによると、1990年代半ばのアカミミガメ輸入量は、年間100万匹だという。小学1年の私が親にねだって購入し、殺してしまった亀は、この100万匹のうちの2匹である。近年の輸入量は年間10万匹というが、2023年6月1日から「条件付特定外来生物」としてアカミミガメを販売したり放出したりすることは禁止されている。これまでに日本に連れてこられ、殺されてきた亀の数はどれくらいになるのか、想像もできないが、本小屋の近くの池でスッポンと暮らす4匹の亀は、その何億匹のうちのどれかだろう。あるいは、日本で生まれ育った亀たちかもしれない。アカミミガメとスッポンの関係が良好なものかどうかはよくわからないが、いずれにしても、人間に放された過去を持つ亀たちがこうして池で暮らしている。

 日光浴する亀を見ていると、記憶の奥底に沈んでいた子亀たちが浮かびあがってくる。それは私が殺した子亀たちでもあるし、炎天下の店先に鮨詰め状態で置かれていたあの緑色の子どもたちでもある。あるいは今どうしているのかわからない、太郎の姿もある。そして、ざわざわと、幾千万本もの長い爪で私の胸の内を引っ掻くのである。