9月30日現在、未だ9000戸以上の断水状況が報告されてはいるものの、発災3日目の26日には、およそ63000世帯(清水区の約8割に当たる)に及ぶ大規模な断水被害となっていることを、SNS等で知らされていたことをかんがえると、すこしはほっとした気分になる。
23日の夕方から降り続いた雨は、夜になってさらに激しくなり、いわゆる線状降水帯が発生し、気象庁は翌24日午前6時までに、静岡市をはじめとして県内11の市町に16回の「記録的短時間大雨情報」を発表することとなった。
台風15号の接近による歴史的な大雨が、連休の3日間を襲ったのである。
12時間の雨量は、県内各地で400ミリを超えた。
23日の深夜から24日未明にかけて、1時間に100ミリ以上の雨が降り続いたことになる。
多くの人が、1974年7月7日の台風による被害、七夕豪雨を思い出したことだろう。
ちなみに、七夕豪雨における静岡市(当時の清水市を含む)の24時間連続雨量は508ミリに達した。この数値は静岡地方気象台観測史上最高記録となっている。
洪水に関する被害といえば、ハザードマップがたいへん役に立つのではあるが、じつは2015年をさかいにして設定の手法が異なっているのである。
2015年以前の設定を計画規模として、それ以後の設定を想定最大規模と呼んでいる。
計画規模は、だいたい50年から150年くらいに一度の雨を想定しているようだ。
それに対して想定最大規模は、1000年に一度の雨の被害を想定している。
想定最大規模の場合、48時間の連続雨量が、400ミリを超えるような大雨による水害の発生を予測している。
では半日で、平年の9月ひと月分の、1.5倍もの雨が降ったらどうなってしまうのであろうか。
清水区を中心に、9月24日土曜日の朝からきょうまでの1週間、おもにツイッターやライン、メール、電話等でかかわりのあった内容のそれぞれのメッセージを、以下にまとめてみることにした。
24日の午前中は、まだ水が出ているところはあったようで、清水のマンション住まいの友人は心配ご無用という感じだった。
これは、水槽タンクにまだ水が残っていただけのことで、あっという間にその日の夕方には尽きてしまったのであるが。
同様のことがほかの知人たちにも起きていたらしく、断水のはじまりは、やはりまちまちでありなおかつ唐突なのであった。
#清水区の断水の件、市に問い合わせた。今水が出ている地域も今後出なくなる可能性はあるとのこと。今残ってる水を水圧の関係で出せるとこには送れてるだけらしくて、復旧したわけではありませんだと。ヒェー!(Twitterから引用)
清水は長いこと、東海地震の発生が予測されていて、その被害が甚大であることはもちろん、それに対応したハザードマップも入念に準備されていたし、津波も含めた震災被害という視点からはそれなりの防災準備もできていたはずであった。
水や、食料や、雑貨等、個々の家々に相応の備蓄はあったようで、2、3日は持ちこたえることができるだろうとの発言も散見した。
床下、床上浸水や、家の倒壊を免れた場合にかぎられるのかもしれないけれど。
25日を過ぎると、深刻な内容のメッセージが増えてきた。
先の見通しがつかないからだ。
加えて、全国ネットでの今回の台風被害の報道があまりに少ないこと。
それらに苛立つツイートも目立つようになった。
26日、遅ればせながら、静岡県が自衛隊に災害派遣要請を出す。
静岡市長は、連休が明けてから、県に要請するつもりだったと会見で述べる。
県知事は、その要請をじりじり待っていたと、強調。
清水区の大規模断水の原因となった、興津(おきつ)川取水口施設の障害物の撤去作業が、28日未明に完了。
陸自の撤去作業は27日午後6時半ごろ始まり、28日午前0時半ごろ完了した由。
その28日の夜、友人からのラインメールで、飲用可能な水道水の供給再開の報がとどく。
翌日には、別の友人からも。
(しかしながら、未だ興津川上流地域の断水被害は続いたままである。何より、橋が流され道路が崩れて孤立しているとのこと。飲み水を提供している地域の被害がもっともひどく、さらに報道されないという矛盾。)
それでも清水には井戸を使っているところも多々あって、生活用水としての提供を申し出る家々や、会社等があったことも記しておきたい。
ただ、高齢者にはポリタンクに入った水の運搬は無理で、友人は、2リットルのペットボトルに詰め替えて、それぞれのお宅に配って歩いたとも言っていた。
飲料水等の取水に関しては、興津川だけではなく、ほかにも3つのルートがあることも今回判明した。けれど、国や県の認可がいるらしいのだが、じつは、富士川からの取水も可能なことが明らかになった。
今回も、富士川からの水で足りない分を補っているようなのだ。
大いなる国のイベントの影に隠れて、スムーズに事が進行しない有り様を見るにつけ、腹立たしく思うのは、自分だけではないだろう。