私は科学少年であった。
鉱石ラジオと、星座早見盤の少年であった。
読むものは「子供の科学」に「初歩のラジオ」(いずれも誠文堂新光社)、それと「模型とラジオ」(科学教材社)かな。
科学少年という言葉が、今でも一般に使われているのだろうか?
使われていたとしても、私が子供だったころ、1950年代の中ごろとは違うだろう。あの当時、少年にとっては科学が万能の時代だった。科学が世界を変える、科学が世界を救うはずだった。鉱石ラジオ少年は、いま風に言えばテック少年だが、その「未来の科学」に参加していたのである。
鉱石が高周波を低周波に検波して聞こえるようにする「鉱石ラジオ」が、少年にとっては大変なテクノロジーであった、といっても単純なもので、部品数はいくつかしかない。全部が目に見える形で触ることができた。いまのテックと違って、自分で作ることもできた。鉱石ラジオには、電源(電池など)は必要ない。しかしまずアンテナが必要だ。木に登って電線を引っ掛けてアンテナとした。次はアースである。庭の土を掘って水を注ぎ込み、そこに金属片を差し込む。それにつないだ電線を、アースとして鉱石ラジオにつなぐ。ドロンコである
このアンテナとアースがないと、かの鳴くような音のラジオさえ聞こえない。イヤホーンは、耳に差し込むタイプのクリスタル・イヤホーンだった。
エナメル線を買ってきて、紙の筒にコイルを巻く。雑誌に何回巻くとか全部書いてある。コイルに並列にコンデンサーをつなぐ。並列と直列のつなぎ方がわからない人は、困ったなあ、でも説明しない。コンデンサーがなにかも説明しないけど、これがバリコンでなくて固定の値のものだと、コイルからタップを出したり、表面をけずって電線で触ってコイルの値(インダクタ)を変えないと、周波数を変えられないね。周波数の仕組みがなんだって?ああ、絶望的だ。
こういう単語がわからない人には、全部が「ギリシャ語」であろう。という言い方は英語で、It’s Greek to Meで、日本語だとチンプンカンプでわからない、という意味だ。だけど続ける。
宇宙競争がスゴイ
わからない人がいる反面、私なんかこういう昔の「テック」の話をするとうれしくなる。ああいう時代があったのだなあ。
バリコンてなに?バリアブル(可変)コンデンサーのことで、言葉で説明するのが難しいので写真を添付した。もっともこのバリコンは古典的なもので、もう使っていないだろうね。今ではもっと小さくなって、金属の間にポリエステルをはさんでポリバリになった。それに対応して、写真の古いバリコンは、素朴に空気バリコンと呼ばれていた。
子どもたちにとって、科学が万能に思えたのは、ソ連が一九五七年の冷戦時代に最初の人工衛星(スプートニク)打ち上げて、世界中が驚き、アメリカはソ連に先を起こされて大騒ぎになったからでもある。一九五八年にはアメリカでNASA(アメリカ航空宇宙局)が設立された。アメリカの子供の科学教育・数学教育が大きく立ち遅れているというので、新数学(New Math)カリキュラムが始まる。ずっとあとで、数学者・人工知能の専門家のシーモア・パパート(MIT)さんと仕事をしたとき、この新数学カリキュラムが教育現場をどのように混乱させたか教えてくれた。それまでは、アメリカの女子は数学はやらなくてもよろしい、「家庭科」をやっていないさい、だったそうだ。日本の女の子は受験勉強で、男子と対抗して難しい数学を勉強している。と言ったら、パパートさんは驚いていた。
ソ連とアメリカの間で宇宙競争がはじまった時に、日本の子供はそれを見て「わー、スゴイなあ」ということになったのである。というわけで、バリコンの模型ラジオ少年は、ボール紙で筒を作り、両端にレンズをいれた手製望遠鏡と星座早見盤の宇宙少年にもなった。
光年という単位にも驚かされた。
光が飛ぶ、移動するのに、時間がかかるということも信じられなかった。しかし科学は、光の移動には時間がかかるという。そしてその光が一年間飛ぶ距離が「光年」という単位だと知ったときは、うーん。それは想像を絶する距離だ。
Googleの光年のページによれば、光が太陽から地球まで飛んでくるのに八分かかる、太陽系にもっとも近い恒星は、太陽から四光年の距離だそうだ。わが銀河系の直径は十万光年で、アンドロメダ銀河までは250万光年だそうだ。つまり私たちがいま見ているアンドロメダ銀河は、250万年以前のモノ(光)である。地球から観測可能な宇宙のはてまでは457億光年である。宇宙少年の私は、こういう数字を知って、夜空を見上げていたのである。
その宇宙に向かって、ソ連とアメリカのロケットが飛び出す。と言ってもまだ宇宙の手前でウロウロしているにすぎない。いま地球からもっとも遠くにある、人間が作ったもの(ボイジャー一号)が、地球から一光年の距離まで行くには一万8000年かかるというのだから。観測できる宇宙の端までボイジャーが飛ぶには、一万8000千年の457億倍かかる。
片手に鉱石ラジオをもち、片手に自作の望遠鏡をもっていた私は、科学はスゴイなあと思っていた。鉱石ラジオは蚊の鳴くような音をかなで、夜空を見上げれば、457億光年が広がっていたのである。
ゴジラの登場
ところがそこに、ゴジラが登場する。
人間の作った都市と、人間が使う科学を破壊する。口から火炎のような白熱光・放射線を発するのである。スプートニクとかアメリカのへなちょこ人工衛星など問題ではない。人間の文化を破壊する怪物である。
もっとも最初のゴジラ映画は、スプートニク(1957年)以前の1954年に始まっている。1955年に第二作の「ゴジラの逆襲」、七年後の1962年に、三作目「キングコング対ゴジラ」で日米対決となる。科学万能の科学少年は、科学に立ち向かうゴジラに唖然としたが、バンザイ、ゴジラも頑張れであった。
ゴジラ映画の直接の引き金は、第五福竜丸事件であった。1954年のアメリカのビキニ諸島での核実験のときに、アメリカの指定した危険水域の外にいたにもかかわらず、第五福竜丸は放射性降下物「死の灰」を浴びて半年後に無線長だった久保山愛吉が死亡、大事件となった。
ゴジラはジュラ紀(一億五千万年ほど前)の生き物であったが、海底洞窟で生きていたのである。アメリカの核実験で洞窟が破壊され、放射能で性格も変化して獰猛になり、口より白熱光=放射熱線を発するようになった。この怪物が東京にやってくる。破壊につぐ破壊である。1954年のゴジラ攻撃は、アメリカ軍による東京・大阪への民家への無差別爆撃、長崎・広島へ核攻撃の九年後の出来事だ、都市の破壊のシーンは、当然おおくの人びとに戦争による被害を思い出させたであろう。
しかし今回は、それに対して科学で対応する。水中の生物をすべて破壊する化学物質を発明した科学者が、それを使ってゴジラを殺す。同時にその科学者は、発明に関するすべの資料を破棄して、それを発明した自分自身をも殺して、地上からその化学物質の危険性を消し去る。
ゴジラは、科学によって殺されるのだが、同時にこの映画は、科学というものがどれほど危険であるかも伝えようとする。何十年ぶりにインターネットで、オリジナルの「ゴジラ」を見たがよくできている。感心した。
いまはコロナの時代である。ところがコロナは、まだ科学でコントロールできないらしい。
ワクチンもなく、治療法も確立されていない。
でもコロナが、科学によってコントロールされる時期はやってくる。
ゴジラは科学(核実験)に怒って立ち上がったが、科学によって殺されてしまった。コロナも科学によって殺されるだろうが、だけどゴジラもコロナも、また必ずやってくる。
二作目の映画「ゴジラの逆襲」(1955年)があるので、すぐ見ないといけない。昔の科学少年は、いまだに科学少年(科学老年)でもあるが、ゴジラに共感をよせる科学批判老年でもある。