ナマステとロシア語(晩年通信 その8)

室謙二

 孫娘のNanamiがインドで、ナマステをおぼえた。一歳半である。
 合掌して、ちょっと頭を下げて、ナマステと言う。まわりのインド人は大喜びだ。もっともそれが挨拶とは知らないから、Skypeで見ていると、クルマが走っている通りに向かって、合掌してナマステと言ったりしている。かわいい。その七海が北カリフォルニアにやってきた。三週間いる。それでグランパKenjiは浮かれています。
 Nanami(七海)は、インターナショナルである。ロシアの黒海沿岸ソチで生まれて、大阪に行って、北カリフォルニアとフロリダに来て、インドのマイソールにいて、そしてまた北カリフォルニア。一年半で、それだけの場所に数ヶ月づつ住んだ。パスポートは、アメリカとロシアのを持っている。
 母親はロシア生まれのロシア育ちで、モスクワで大学に行ったロシア人だから、Nanamiにはロシア語で話しかける。だからNanamiも、ロシア語の単語らしきものも発音することもあり。父親の海太郎は日本生まれで、中学校の途中からアメリカで英語で教育を受けて、カリフォルニア大学サン・ディエゴを卒業したから、Nanamiには主に英語で話しかける。家族共通語は英語だが、海太郎はときどきは日本語で話しかけている。私の役割は、日本語グランパである。別れた日本人の妻も同じく日本語担当である。日本語も知っていたほうがいいからね。
 海太郎は、娘には漢字は教えないよ、と言っている。漢字の読み書きができるようにするには、時間がかかりすぎる。その価値があるかな? Nanamiの場合は、その時間と努力を別に費やしたほうがいいね。

  三つの言葉を生きる

 彼女は三つの言葉の中で生きている。ロシア語と英語と日本語である。しかしNanamiがいま話す言葉は、Nanami語である。英語でもなく日本語でもなくロシア語でもない言語を、大きな声で話している。ほとんどが分からないが、いくつかの単語はその意味がわかる。パパは父親のことではなく人間のことらしい。周りにいる大人の全部。母親のKatyaが海太郎をさして「パパ」と言ったのだろう。そうしたら人は全部、パパになった。
 ベイビーは赤ん坊のことではない。自分の歳に近い人間、子供が全部「ベイビー」になったらしい。この二つの単語は分かるけど、あとは何がなんだか分からない。ロシア語とも日本語とも、英語とも思われない発音で、身振り手振りでさかんに言っている。
 母親はもっぱらロシア語で話しかけて、それが彼女の母語であるし、だからNanamiの母語はロシア語になるだろう。父親の海太郎と母親のKatyaは英語で話をしているので、それを聞いて育っている。私の担当は日本語なので、それで話しかけないといけないのだが、まわりが英語だとそれを忘れる。

 三つの言語は、Nanamiにはどう聞こえているのだろうか? どう理解しているのだろうか? 三つの言語を、それぞれ別の言語体系だと思ってはいない。だろう。別々の言語体系、などという考えはない。だろう。全部がひとつのコミュニケーション・ツールで、それが一歳半の子供のまわりの環境を飛び交っている。
 言語学者によれば、いくつもの言語が存在する環境(家庭)に育った子供は、言語習得のスピードが少し遅れるらしい。もっともそれを聞いたのは、何十年も前だから、いまGoogleで調べたら違うかもしれない。ともかくちょっと時間がかかるが、いくつもの言語を同時に理解してしまうらしい。多言語家庭のケースは日本にはあまりないが、ヨーロッパではいくらもあるし、東南アジアでも経験したことがある。クアラルンプール空港で中国人の大家族が二十人以上輪になって座っていて、食べたり大声で話したり。マレー語と英語と広東語と北京語がまざって飛び交っていた。大人は英語が分からないようだし、少年たちは広東語がわからない。マレー語が普段の言葉で、北京語は学校で教わっているのかもしれない。
 インド洋のアフリカに近い小島の家に滞在していたときに、そこの家族がセンテンスをフランス語のイリア・デ・ボクで始めて途中で英語に変わったり、その島のローカルの言葉とかが混ざる。これには驚いた。大人も子供も、そうやって三つの言葉をチャンポンに話していた。
 もっともいずれのところにも学校があり、教育言語は英語だったりフランス語だったりする。でもそれは私が旅行をしていた何十年も前の話で、そのときすでにフィリピンではタガログ語で、マレーシアではマレー語で教えるべきだという運動があって、部分的にはそうなっていた。ただ高等教育(大学)は英語だったなあ。日本の大学は何語で教えるの? と若い女性に聞かれて、不思議なことを聞くものだと、「日本語だよ」と答えると、私たちの国も自分の国の言葉で大学教育が行われるといいわね、と言っていた。
 Nanamiはまだ一歳半で、これから言語を学んでいくわけで、どういうプロセスを通るか興味しんしんです。と書いて、イヴァン・イリイチを思い出した。

  イヴァン・イリイチ

 ずいぶんと昔の話だな、イヴァン・イリイチと池袋の炉端焼きで話していて、多言語社会の話になった。イリッチはウィーンのユダヤ人で、多言語環境の中で育った人間で、多言語を使って仕事をしている。
 彼いわく、日本人とか中国人は自分の言葉が、特に漢字が何か特別なように思っているね。実は特別でもなんでもない。ひとつの言葉にすぎない。と言っていた。彼は国連の仕事でガールフレンドと日本に来ていて、友人のダグラス・ラミスの紹介で会った。たしか日本家屋の二階の畳の部屋に、下宿のように住んでいた。そうだ、いろいろと思い出す。彼と多言語の話になったのは、あなたのマザー・タング(母語)はなんですか? と私が聞いたからだった。
 そうしたら、マザー・タングはない。という答えだった。家族の中でいくつも言葉が話されていて、母親もいくつもの言葉、父親もいくつもの言葉、一緒に住んでいるみんながそれぞれいくつも言葉を話す。一人の人間が、一つの言葉を代表しない。とするとマザー・タング(母語)はなくなるんだ。と言っていた。へー、そんなものかと思った。
 孫娘のNanamiの場合は、家族の中で三つの言葉があるとしても、母親がロシア語のみで話しかけているので、母語はロシア語だろう。だけど前に述べたように、両親は英語で話しているし、私たちは日本語で話しかけるので、その三つの言葉をどう理解しているのか観察しているところ。

 言葉というのは、その人が暮らしいている社会・環境とどういう関係を持ち、その人間にどういう影響を与えているのだろう? イリッチが言うように、日本人は、あるいは中国人は、自分たちの言語(書き言葉の漢字を含む)が、自分とその社会に決定的とは言わないでも、非常に大きな影響を与えていると思っている。イリッチは、それは幻想だよ、と言っていたのだが、私はそう思う時もあり、そう思わないときもある。イリッチは、自分に母語がなく、四つだかの言葉を平等に話し読むが、そういう言葉とは別に自分というものがある、と言っていたようだった。
 Nanamiはどうなるだろう?

  言語と歴史と文化から自由になる

 日常生活は三つの言語だが、学校はロシア語か英語の学校、あるいはその両方になる。それがNanamiにどのような影響を与えるのか? なんとなく、七海は七海だよ、と思う。ずっと以前に、英語のわかる日本人に、ムロさんは英語を使っているときも、日本語を使っているときも、まったく同じムロさんですね、と言われたことがある。たしかに日本語を話しているときと、英語で話しているときが違う日本人がいる。ビジネスのときは「流暢」に英語を話し、夜になると日本人同士で麻雀を囲む人間ではムロさんはありませんね、ということだ。
 たぶんNanamiも私のようになる。ロシア語を話すときも、英語を話すときも、日本語を話すときも、同じようにNanamiだろう。言語はコミュニケーションの道具に過ぎない。もっともそれぞれの言葉の背景に、文化と歴史がどーんとあるので、簡単ではないが。ともかくNanamiには、言語にも歴史にも文化からも自由な人間になってほしい。と書いたが、そんなことは可能かしら?