七五歳のコンピュータ(晩年通信 その16)

室謙二

 新しいのは信用できない。古いほうが安全ですよ。
 というのが私のパソコンに対する態度である。
 私は同じようなパソコンを、いつも二台持っている。ひとつは古くて、ひとつは新しいもの。ローカルのソフトウェアも同じようにして、オンライン(Dropbox)のデータも共有できるようにしている。一台が壊れたり調子が悪くなったら、すぐに別のパソコンで仕事が続けられる。古いパソコンだって、普段のことならちゃんと動く。バカにしない。
 目の前においてあるカメラだって、パナソニックの十年ぐらい前のもの。iPhoneのカメラより、こっちのほうが好きです。

 ということなのだが、Akai EWI USBを買って問題が起こった。
 これは言ってみれば、デジタル·リコーダー(たてぶえ)です。私たちの世代ははみんな、小学校のころたてぶえを習った。私の持っている古いたてぶえには、親父が尖ったもので「むろけんじ」と名前をキズつけている。それを、Nancyの孫娘が乱暴に遊んでポキリと折ってしまった。女房は孫娘を傷つけないようにと、「大丈夫、大丈夫よ」なんて言っていたが、絶対に大丈夫ではない。ときどき、大事に吹いていたのでがっくりした。ともかく強力接着剤でつけてある。六〇年以上前のものだが、吹けることは吹ける。簡単なバッハだって吹けますよ。
 EWI USBは、リコーダーが吹ければ始められる、とあったので買った。ベース·ギターも練習中、エレキギターとウクレレは、いまはちょっと休憩中だけど、これから死ぬまで素人音楽家なのです。EWI USBは基本的にシンセサイザーだから、表はリコーダーのボタンだけど、裏側にはたくさんのスイッチがついている。いろんな指使い、音色その他その他が、MacとかWindows用の付属ソフトで変えられる。驚くほど複雑だね。
 リコーダーの格好をしているシンセサイザーだ。アマチュア用だけど、プロにもきっと使えるよ。

  経験豊富のユーザーでも

 これをUSBケーブルでパソコンに繋いで(私の場合はMac)、パソコンのソフトを立ち上げて、マウスピースをフーと吹いたが、音が出ない。それが一昨日の午後。それから大騒ぎでいろいろやった。今の状態は、音はなんとか出る。しかし音階が、ドレミファソラシドがでません。出ない音がある。
 私の設定が悪いのか(日本語と英語のマニュアルに、ウェブサイトでも研究しているのだけど)、まずはソフトが悪いのか、ハードウェアの故障なのか分からない。マニュアルもひどいし、ウェブサイトもひどい。最新のMac OS(Big Sur)では使えない。どうしようもない。面倒くさいなあ。若い人ならすぐに分かるのかもしれない。
 EWIは、すでに二十年以上の歴史があって、私は古いものはいいなんて書いたけど、新しいハードとかソフト(OS)とコンパチではない。
 つまり最新のMac OS(Big Sur)では、このEWIのソフトは動かないのです。
 私の八年前のMacBook Pro(OSはCatalinaにしてある)にインストールしてみたら、動くことは動く。音が出るということです。リコーダー·シンセサイザーなのだけど、シンセサイザーとしてちゃんと使えない。多機能のはずなんだけなあ。
 ソフトが新しいOSで動かないだけではなくて、ハード自体が壊れているみたい。それがわかるまで時間かかった。ドレミと音はでるが、ファ以上がでない。まだあちこちのキーが変だぞ。最初はソフトかと思ったが、ハードの故障で、いま交換の手続き中なり。
 老人になると、こういうことに疲れる。エネルギーは使うし、時間がかかる。
 若ければ、すぐにあちらが悪い、こちらはいい、とわかるだろう。私はApple 2を使い始めて以来、四〇年近くアップルとウィンドウとNECのユーザーです。経験豊富なはずなんだ。Macだって最初のMacを、出たばかりの一九八四年に買っている。ところが、いまや(歳をとって、七五歳になって)、パソコンを含んでテクノロジー関係の製品の使い方、設定がわからなくなってきた。

  クルマのハンドルと同じにしてほしい

 新しいものには、新しき機能がついていたり、インターフェースが「使いやすく」なっていたりする。実は使いやすくない。
 新しいクルマを買うでしょ、すぐに運転できる。慣れるのに数時間で、あるいは数日かかるかもしれないけど、問題なく自分のものになる。ハンドルは丸いし、アクセスもブレーキも他機種と同じ位置だ。方向指示器だってバックミラーだって、トランスミッションだってたいして違わない。それがテクノロジー関係の新製品なんか、新しい機能がついて、どう使うのか?インターフェースがわからないよ。プルダウンメニューのどこに、使いたい機能があるのか?
 老人になって分かったことは、こういう新製品は、若い人が開発しているのだね。絶対にまちがいない。
 Mac OSをカタリーナ(Catalina)にしたときに、立ち上げるとすぐにカタリーナ島の写真がでてくるようになった。ところがこの写真が、実に暗い感じのものなんだ。「死の島」のように見える。と感じるのは、私が老人だからだと思うのだが。若い人が見たら、美しい島のように見えるのかもしれない。そのカタリーナ島の写真を見たとき、そうかこれは若い人たちが開発しているだな、と思った。

 OSなんて古いままでいい。新しいハードとかソフトで動くようにするのはいいけど、いちいち新しいことを学ばないで使えるように、丸いハンドルのようにすべきだ。それが、製品の成熟というものだ。
 私は八年前のMacBook Pro(これはほどんど使わない)、三年前のMacBook Airに、そして新しいMacBook Proを買った。みんな一三インチ。届いて最初に驚いたのは、オイオイ、随分と小さく薄く軽いではないか。私は古いMacBook Proとか、ちょっと前のMacBook Airの大きさかと思ったが、Airより小さくて軽い。ラップトップは、小さくて薄くて軽いばかりがいいわけではないぞ。使いやすい、ということと小さくて軽いということは別のことだ。買ったばかりのProに、Apple自社開発のCPUではなくインテルCPUバージョンですが、考えもなく新OSのBig Surを入れた。シマッタ失敗だった。これは随分とこれまでと違うOSではないか。
 あわててインターネットでウェブサイトを検索して「勉強」したけど、違いに驚いているのは私だけではない。古いソフトで動かないものがある。三二ビット版は動かないのだね。六四ビット版がないソフトだって、私は使っているぞ。
 電子リコーダーのEWIのソフトなんかそれだね。だから考えなもなく、最新OSをインストールしたら、EWIソフトが動かない。なんだかんだと、やってみたがダメだった。それで六四ビットのアプリしか動かないBig Surから、以前のカタリーナ(Catalina)にもどした。めんどくさくて大変だった。
 なんでも新しいものがいい。古いものは切り捨てるというのには、断固として反対する。そうなると、私自身も切り捨てられてしまう。

  敬老の日 Respect-for-the-Aged Day

 アメリカに住み始めたばかりのとき、アメリカに敬老の日はないの?と聞いて、何のことか分からないらしく、説明するのに困った。直訳してしてRespect-for-the-Aged Dayと言ったのだが、アメリカには「敬老」という概念がない。これは東アジアの伝統です。アメリカは、単純に言えば若い人の国です。国の歴史も若い。若いことに意味がある。
 だから日本の敬老の日なんて、変なものに映るのです。
 ソフトは若い人が開発して、老人なんか考慮に入れていない。
 敬老ソフトなんかないんだよ。
 別に敬老ソフトを作れというつもりはない。
 だけど老人も使えるソフトをつくるべきだ。
 社会の中での老人の人口は、どんどん増えていくんだ。
 私たちが若い人に寄り添って、若い人が若い人向きに作ったソフトを使うのはおかしいよ。
 ともかく古いソフトを使って、ワタクシ老人は、死んでいくつもりだ。