巣籠手帳

福島亮

 外出禁止期間ではあるけれど、住まいに併設されているグラウンドは自由にできる。グラウンドには木立がある。時々、まだ暗いのに、その木立から鳥の鳴き声が聞こえてくることがある。
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 今度で三度目の冬。一年目はカリブ海で過ごし、二年目はよく覚えていない。
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 太陽が昇ったら、貴重な冬の光を浴びに、グラウンドに出る。時には、木々の下、あるいは芝生の上で、何か短いお話を読む。お話の選択は、その日その日の気分にあわせて、あるいはほとんど偶然に。それは短ければ短いほどよい。
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 「最強者の理屈はつねに最良である」——ラ・フォンテーヌの有名な寓話「狼と子羊」はこんなふうに始まる。最も強い者はどんな屁理屈を言ってもまかり通ってしまう、というこの言葉には、どことなく不穏な空気が漂っている。「狼と子羊」を含む『寓話』第一集が刊行されたのは1668年なのだが、その4年前、1664年の暮れ、ラ・フォンテーヌのパトロンであった財務大臣ニコラ・フーケが3年にわたる不当裁判の後、ルイ14世によって終身刑に処せられるという事件があった。この寓話を1668年当時読んだ人の中には、このフーケ事件を想起し、裁判でフーケを追い詰めたコルベールや時の国王といった権力者の姿を狼に透かして見た人も少なくなかったはずだ。
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 とはいえ「狼と子羊」の寓話はラ・フォンテーヌのオリジナル作品ではなく、『イソップ寓話』をもとにしている。しかも寓話が寓話たる由縁は、それが今にも通じる不穏な何かを有しているからであり、フーケ事件だけにこの寓話を縛り付ける必要もないはず。
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狼と子羊

最強者の理屈はつねに最良である。
それを今すぐお示ししよう。
子羊が澄んだ流れの小川で
喉を潤していた。
そこに腹ぺこ狼があらわれる。狼は幸運にありつけぬものかと思い、
空腹に導かれてこの場所にやってきたのである。
俺の水飲み場を濁らすとは見上げた根性だ。
怒りに燃えさかりこの動物は言う。
お前は自分の向こう見ずな振る舞いの咎めを受けるのだぞ。
王様、と返すのは子羊だ、どうか陛下、
怒りをおおさめくださいませ、
それよりも、ご理解賜りたいのです
わたくしは喉を潤しているところでして
その流れは、
陛下よりも20歩も川下でございます。
そうでありますゆえ、どうしたって、
わたくしには陛下のお飲み物を濁らせることなど出来はしないのです。
お前は濁した、と返すのはこの残酷な獣。
それに知っているぞ、去年お前は俺のことを悪く言ったな。
どうしてさようなことが出来ましょうか、生まれてもいないのに。
そう返すのは子羊である。わたくしは今だって母のお乳を吸っている身。
お前ではないと、ではお前の兄貴だな。
兄などございません。ではお前の仲間の誰かだ、
というのも、お前たちは俺に容赦ないのだから、
お前ら、お前らの飼い主、お前らの犬のことだ。
誰かが俺に言ったぞ、復讐しなければならない、と。
そうして、森の奥へと
狼は子羊を連れ去って、それからそれを食べるのです、
他のいかなる形の裁判もなしに。
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 子羊の誠実な弁論は、狼にとっては論難の材料にすぎない。不当裁判の過程で子羊はことごとくやり込められ、口数が少なくなってゆく。それと反比例するかのように、裁判の進行に合わせて、狼は子羊の論理的な言葉遣いを摂取し、いわば子羊の論理を食い尽くすことで、力と言葉を増す。論点はすり替えられ、一切事実に基づかないフェイクニュースが、しかし「論理」の形を偽装して並べ立てられるとき、理性でもって物事を証明しようとする子羊の論理は口をつぐむしかなくなる。子羊が完全に言葉を失い、狼の「論理」が勝ち誇ったとき、子羊はこの世から消え去ることになる。
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 不条理な狼を描き出すことで、子羊の正当性こそが逆説的に暗示される。しかし、それだけだろうか。
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 寓話の中で、はからずも狼は自らが置かれた境遇を吐露している。「お前たちは俺に容赦ないのだから、お前ら、お前らの飼い主、お前らの犬のことだ。」人や動物を襲う猛獣としての狼のイメージはある程度普遍的なものではあるけれど、そこに例えば羊毛産業の歴史を接木してみたらどうなるか。16世紀のイギリスにおける囲い込み農業がそのよい例だろう。ヨーロッパにおける羊毛産業発展の歴史は、狼と子羊の間の境界線が経済の名のもとで制度化される歴史でもあったのではないか、とふと想像してみる。
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 フーケ失脚後に財務総監をつとめたコルベールは、重商主義を導入し、海外に植民地を広げていった。やがて到来する資本主義へ向けて時代が大きく舵を切るとき、金も教養もない狼は落伍者になるだろう。そして、このような時代の動きを、狼の鼻は敏感に嗅ぎとっていたのではないか。子羊に対する狼の「復讐」は、あるシステムによって排除されてゆくものが、そのシステムの中の最も力の弱いものに対して行った凶行だったとも言えようか。
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 子羊殺しの凶行は、狼駆除の口実にもなる。話が進むほどに狼は「狼」になってゆく。
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 フランスで狼が絶滅したのは1930年代末。華やかな植民地帝国フランスの周囲に、少しずつ、きな臭さが漂いはじめる頃のこと。その後1990年頃になると、国外から狼が流入するようになり、この「外からやってきた狼」は、今また駆除の対象になっている。狼の消滅と再来の歴史、それが狼を復讐に追いやった経済システム、とりわけ植民地という後背地に支えられた経済システムの脈絡と、時間軸の上でわずかに縺れ合っているのは興味深い偶然である。
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 「最強者の理屈はつねに最良である」というとき、その「最強者」とは果たして誰なのか。あるいは何なのか。
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 物語の最後、行われることのなかった他の裁判は、それが行われなかったがゆえに、この短いお話の最後にぽっかりと穴を穿っている。