その日だけの一日

高橋悠治

年の終わりが近づいて 今年のことを思い出そうとしても コロナの蔭になっている みんながマスクをしているから だれだかわからないこともある 頭に霧がかかった状態で日がすぎる その日暮らしがよいところもある 毎日がその日だけの日になり できることをして終わる

コロナについては ウイルスはマスクの網目を自由に往き来できるほど小さいのに なぜマスクで感染が防げるのか ウイルスは人間より以前から地球にいて 人間がウイルスの海のなかで生まれて来ていたのに なぜ今になって喉頭で繁殖するようになったのか 感染確率が低いとされるのに なぜ世界中にひろがったのか 
 
ありとあらゆる説がネットで見つかる 次の日になって 昨日読んだファイルを見つけようとしても 見つからない 保存しておいても 読み返したときは どこかちがう内容になっている ウイルスが宿主によって変化するように それについてのことばも 目の留まる箇所が毎回変わるのか

仕事のない夜は出歩かないでいると 昼間でも しばらく行かなかった場所が 一度も来たことのない道のように見えて 一瞬足が止まる

こんなに不確かで たくさんのものごとが絡まっている毎日が 何ごともないかようにすぎていくのがふしぎ それとも 何ごともないようにあるのは ものごとの網目が絡まっているからなのか

皮膚の内側に感じられる複雑なうごきが 気づきに反応すると静まってしまうなら 出口なくめぐっている流れを そのままに乱さないで 表面の波立ちから その合図を読み取れるように 静かにしていればいいのか

待っていれば 現れてくるのか 言い差し 言い淀み 呼吸を外して 響きだけを残しておけば そうした積み重なりから 見慣れないイメージが垣間見えるなら 試してみよう