記憶が悪くなって確かではないのだが、二十年以上前のことだと思う。
浄土を見たいと思った。
そんなものは、あるのかな?
とりあえず、あるということにした。
そこには明るい光があり、風が吹き、大きな木が育ち、鳥が歌い、水が流れ、無限のいのちのアミダ(阿弥陀)がいる。浄土を見たいと思ったのは、心理学者ユングの「観無量寿経」の解説を読んだからであった。
もっとも、いろんな浄土があるらしい。華厳経(けごんきょう)には蓮華蔵世界という浄土がある。大日如来は密厳浄土(みつごんじょうど)にいるし、釈迦如来は霊山浄土(りょうぜんじょうど)、山の頂上で法華経を説いた。
観世音菩薩の浄土は補陀落(ふだらく)浄土とある。しかしもっとも知られているのがアミダのいるの西方極楽浄土で、観無量寿経によれば、私たちは瞑想でアミダ浄土を体験することができる。
それで観無量寿経にしたがって瞑想をして、浄土を見ようと思った。まずは観無量寿経の瞑想マニュアルの部分を、なんどもなんども読んだ。いくつもの日本語訳を読み比べて、原文の中国語にも目を通した。
西方に沈む太陽を見るのである。それは目に焼き付いて、目をつぶっても太陽の形と光は残っている。次に水を見てその中に入っていく。
私はバークレー・ヨットハーバーはずれの岩に座って、観無量寿経のとおりやってみようとしていた。沈んでいく夕日を見て、夕日が沈んだあとその太陽を想像する。頭のなかではっきりと見えるようにする。それから水を想像する。そしてその水の中に入っていって、大地を発見する。それが浄土である。
そこにはさまざまな楽器があり、八種の風が吹き楽器を鳴らして、苦・空・無常・無我を説いている。そして中心には仏がいる。私たちが仏を思い描くとき、その心がそのまま仏である(是心作仏、是心是仏)、と観無量寿経は言う。そう言われてもなあ、私たちが仏を思い描く心がすなわち仏である、などとすぐには思えないよ。
観無量寿経に書かれたとおりに、想像することは練習すればできる。しかしそれは観無量寿経というテキストを片手にそう思っているにしか過ぎない。何日もバークレー・ヨットハーバーの半島の岩に座って落ちていく夕日を見ていたが、観無量寿経のテキストのように想像はできても、手にしたテキストと関係なく、浄土が忽然と私の前に現れるわけではなかった。
敦煌へ
あとになって私は、法然の三昧発得記(さんまいほっとくき)を読んだ。そこでは法然が、念仏を唱え続けることによって、観無量寿経に書かれているような浄土を体験している。三七日間、毎日七万回の念仏(なむあみだぶつ)をとなえるのである。七万回というと、一日四時間は、眠ったり他のことで唱えないとして、だいたい一秒間に一回、一日二〇時間、三七日間、ナムアミダブツと唱え続けたのである。試しに、集中して一時間でもそれをやってみれば分かるが、毎日二十時間、三七日間やってみる気力はない。これは大変な修行である。
そうしながら、観無量寿経の水想観(太陽が沈んだあと水をみる)、地想観(水の下にある大地をみる)、宝樹観(大地の大木を見る)、宝池観(そこには池がある)、宝殿観(アミダの宝殿を見る)を行う。
観無量寿経には、まず書かれたとおりやって、これからさきは自分でやりなさい、自由に浄土を経験しなさいと何回も書いてある。だけど何日か夕日を見たところで、観無量寿経テキストのような浄土は想像できても、法然のようには浄土は浮かび上がってこない。
法然は「建仁元年二月八日の後夜に、鳥のこえをきく、またことのおとをきく、ふえのおとらをきく、そののち日にした号て、自在にこれを聞く」と言っている。いろんな色も見えてくる。そんな風に、自在に浄土を体験することは無理だった。
ところで浄土に言って何をするのか?
浄土に行けば、欲望も悩みも様々な不都合も、一切がなくなるということではない。私たちは浄土で誰に邪魔されることなく瞑想ができて、修行(プラクティス)ができる。それは悟りに至るプロセスである。悟って浄土に至るのではなく、浄土での修行で悟りに至るのである。親鸞は、「アミダ浄土は、遠く離れたところではない」と言っている。さてテキスト片手で浄土は「体験」できたが、実際の浄土にどうやって行けるのかは分からない。それで敦煌に行ってみようと思った。
敦煌の岩壁の掘られた横穴には、そこで修行をした僧たちが描いた浄土の絵がたくさんある。十数年前の六〇歳の還暦記念に、妻のNancyをさそってカリフォルニアから出かけていった。
冬であったので、ゴビ砂漠(デザート)の外れにある敦煌は寒かった。ロス育ちで寒さに弱い妻は震え上がり、敦煌の街で服を何着も買って、着ぶくれであった。しかし一つの横穴にで出会った大仏に感激して、突然に床に臥して参拝したのには驚いた。何度も参拝する。私たち以外に誰もいなかった。大仏の顔は、外からの光で輝いていた。
ともかく寒かった。