一緒に山を登ると、お互いの本性が見えてくるという。十年ひと昔というなら、もうふた昔も前の話になるだろうか、ヨーロッパのある街に行った時に、現地在住の男性と知り合いになった。私の帰国後は時々メールで連絡を取り合うくらいで、お互い恋愛感情もなにもなかったが、友達としては良い付き合いができそうだと私は勝手に思っていた。その人がある日、メールで提案をしてきたのだ。「この夏、日本に一時帰国するんだけど、富士山一緒に登りに行かない?」と。「富士山かあ、一度くらいは登ってみたいよね」と返事をすると、トントン拍子に話が進んだ。私が「富士山に登ってみたい人いる?」と知人に声をかけてみたところ、女性2人が手をあげたので、結局4人で登ることになった。
新宿のバスターミナルで待ち合わせた。みんなきちんと時間通りに集まった。知人同士をその場で初めて引き合わせたので、軽い自己紹介をしてもらい、食糧や装備、スケジュールなどを確認した。夜に出発して、21時頃に五合目に到着。その時点で東京とはだいぶ気温が違って肌寒かったので、さっそく登山の格好に着替えて出発した。夜に登り始め、夜通し歩き、頂上でご来光を拝むという算段だった。ビギナーは普通、七合目とか八合目あたりの山小屋でしっかり仮眠を取ってから最後のアタックをするらしいのだが、私たちの誰一人としてそのような知識がなかった。というよりそもそも、自分たちの体力に自信があったから、たとえ事前に勧められても断っただろう。
登りはじめはみんな余裕でおしゃべりをしたり、冗談を言い合っていたのだが、30分もたたないうちに全員が言葉少なになっていった。この調子であと7時間も登り続けるのかと思って、軽く後悔した。じつのところ私は装備も失敗していたのだ。防寒のためにユニクロのヒートテックとフリースを着込んでいたのだが、汗をかきはじめると湿気が逃げていかないので、冷たくなってくる。山を愛する人たちの間では、ユニクロは禁忌だということは後から知ることになったが。汗でびしょびしょに濡れたヒートテックはもはや凶器と化して、超ひんやりクールテックになってしまった。ただでさえ体感温度はマイナス1度と言われている富士登山で、必要以上に寒い思いをすることになってしまったのだ。八甲田山ー死の彷徨のような恐怖は味合わなかったけれど、かなり心身にこたえた。
その頃、例の彼はどうしていたかというと、他のメンバーに歩調を合わせることはせず、一人でスタスタと前を登っていった。姿が見える範囲ではあったが、ずいぶん友達がいのない人だなとは思った。そうこうしているうちにヘッドライトの電池が切れてしまって、崖の手元が見えにくくなった。近くにいたメンバーが照らしてくれるヘッドライトの光のおこぼれで、なんとか登り続けた。彼はとうとう姿が見えないほどに先へ行ってしまった。登るスピードが遅い人に合わせるのはたしかにかったるいだろうし、気持ちはわかる。でもこういう時こそ、後を歩く人のためにみんなで励ましあったりするものじゃないの?と、思ったりもした。とはいえ山小屋では待っていてくれたので、再度合流はできた。私はたしか500円くらいする、ぬるいカップヌードルを食べてなんとか暖を取ったあと、びしょびしょに濡れたヒートテック改めクールテックを脱いで、いまいましい思いでリュックサックに入れた。
なんとか頂上にたどり着いた時、ご来光まではまだまだ時間があった。彼は随分早く頂上に着いていたので、よほど暇を持て余していただろうと思う。女性陣は「雲の上だね」とか「ちゃんと晴れてくれるかな」とかワクワク話をしながらご来光を待ち、しっかり太陽を拝むことができた。素晴らしい体験だった。
さて下山である。登りよりも降りのほうがきついとは言われるが、本当にそうで、特に膝にくる。それから靴がきちんとしていないと靴の中が砂だらけになる。とはいえ私たちは、わりとしっかり足元の装備をしていたので、時々靴をひっくり返して砂を出すくらいで、膝の軽い痛みは出たものの全員がほとんどストレスなく五合目まで辿り着いた。その後、帰りの高速バスまで休憩所で休もうということになったが、そこで大問題が発生したのだった。
メンバーの女の子が急にうわごとを言い出したかと思うと、苦しがって胸の辺りをかきむしって、のたうち回り出したのである。声をかけてもほとんど意思の疎通ができない状態で、これはいけない、と思った。もう一人いた元気な女の子には、休憩所の人に救急車を手配してもらうように言いに行ってもらった。休憩所の床は平らだったので、苦しんでいる子のリュックサックを枕にして寝かせようとしたら、例の彼は全く無関心と言った様子でそっぽを向いて寝っ転がっている。こちらで苦しがって暴れている人がいるのに信じられない。「寝かせるの手伝って!」と強く言うと、のそのそと起き上がって面倒そうに介抱の手伝いをし、そのあとは、なにもせずにただぼうっとしているだけだった。はっきり言って使えない男だと思った。彼女は苦しがっているので服を緩めたり、寒いというので服を体にかけたり、方々に散らばっていた彼女の荷物をかき集めたり、帰りのバスの予約を解除して、参考までに何時までバスが出ているかを確認したり、やることはいくらでもあった。なんとかバス会社に電話し、事情を話してバスの予約を一旦解いてもらった。救急車は40分以上経ってから来た。一緒に病院まで行き、彼女が高山病になっていたことを知った。落ち着いた頃にご家族の電話番号を聞き出し連絡をした。入院になってしまうかもしれないと案じていたが、高度の低い場所に降りてしばらくなじめば、体調に問題はないという。私たちはなんとかバスに乗れることになり、それで帰京した。帰りのバスの間、彼と私は口をきかなかった。
新宿に戻った時、一刻も早く家に戻って眠りたいと思った。それと同時に彼とは今後連絡を取り合わないだろうなと思った。向こうもそう思ったのだろう。仲間を思いやれない、緊急事態に対処できない彼を見て、やはりわたしは幻滅したのだろうか。それは自分でも気づかぬ心のどこかで、もしもこの人と付き合ったらどうなったかな、などと思っていたからなのだろうか。その彼がその後どうなったか、わからない。