アリババと40人の盗賊

さとうまき

最近、僕はChalChalというアラブ音楽のバンドに加えてもらって、紙芝居を作っている。昨年はアラビア星物語というのを作った。これは、オリオン座とさそり座にまつわる神話を紙芝居にしたのだが、今の時代に合うように、パワーポイントのアニメーション機能を使っている。今年は、「アリババと40人の盗賊」をやることになり、さてはてどのような展開にしようかと悩んでいるところだ。

アリババで思い出すのは、2003年のイラク戦争だ。アメリカの攻撃に、サダム政権はいとも簡単に陥落してしまった。イラクは、米軍に占領されるが、無政府状態になってしまった。恐ろしかったのは、市民が公共の施設や病院などに押し寄せ、片っ端から略奪をしたことだ。家具から電球に至るまで持ち去れるものは何から何まで持って行ってしまう。コンセントや電灯のスイッチまで根こそぎ持っていかれていたのは驚いた。モスクの聖職者が呼びかけ、さすがに反省した市民たちは、盗んだものを返しに来たらしい。僕がイラクに支援に駆け付けたのは、戦争の被害者の救済のためだったが、実のところ戦争で破壊されたのではなく、略奪で病院や学校から盗まれた機材や医薬品、家具の補填作業が中心だった。病院では、送電線を盗もうとして感電した患者などが運び込まれていた。

そういう状態から少し落ち着くと今度は、バグダッドーヨルダン間の街道で待ち伏せをして追いはぎを働く輩が出没した。僕も一度襲撃を受けたことがある。後ろから来た車が銃を撃ち始めたので、ドライバ―が機転を利かせて振り切ったが、友人の車に弾が当たり、停められて、お金をとられたことがあった。そういった窃盗団はアリババと呼ばれていた。

僕らがバグダッドのホテルで友人を待ち受けるときの挨拶は、「アリババに会わなかったですか」だった。あるジャーナリストはホテルに到着すると。「アリババに銃を首に突き付けられたよ」と真っ青な顔をしていた。しかし、ある日イラク人の医師をヨルダンに呼んで打ち合わせをしたときも、「アリババに合わなかったですか?」と安否を気遣ったのだが、「何を言う! アリババは盗賊をやっつけた、いい奴だ」と叱られた。我々の中では、「アリババと40人の盗賊」のイメージからアリババが盗賊の頭のように思えていた。

確かに、アリババは40人の盗賊と闘った英雄のはずだ。しかし、盗賊のことをアリババと言い出したのはイラク人達だ。追いはぎだけではなく、お金を横領する奴のことを、アリババと呼んでいた。結局、アリババは、盗賊が盗んだ財宝をさらに盗んで、おまけに盗賊を皆殺しにしてしまうから、よくよく考えたら盗賊の親玉よりもさらに罪な奴である。イラク人はそこを言いたかったのだろう。結局、アリババ=泥棒野郎 という使われ方がイラク戦争を機に我々日本人イラク関係者にも定着したようである。

そんなこともあり、中国資本の alibaba.com という通販サイトが有名になった時には、盗んだものを販売するサイトか?と思ってしまった。アリババを立ち上げたジャック・マーは、アリババの話は、世界中の誰もが知っているので、世界に羽ばたく会社にしようという思いでこの名前にしたらしい。

さあ、今回の紙芝居、アリババを英雄として描くか、それとも、盗賊の親玉よりもっと悪いやつにしちゃうかどうか悩むところだ。

10月2日(日曜日)
赤羽にある青猫書房で2:00~
デジタル紙芝居「アリババと40人の盗賊」初演の予定