むもーままめ(23)「曽根崎心中」お初さんのお墓参りの巻

工藤あかね

 今月、入野義朗作曲のオペラ「曽根崎心中」でお初役を歌うことになっている。どうやってこの役柄を勉強しようかと考えあぐねていた時に、浄瑠璃作家の知人のこと、さらにその方のご主人が文楽の太夫さんでいらっしゃることを思い出した。右も左もわからないままにご相談したところ、貴重な資料をお貸しくださることになった。季節がめぐり、秋になり、オペラのお稽古も始まった。いまこそ大阪にお礼に伺い、そのおりにはお初のお墓、「曽根崎心中」の舞台である生玉神社や、曽根崎の森のあった場所、そしてお初天神をお参りしたいと考えていたところ、なんと贅沢なことに、浄瑠璃作家の知人が街案内をしてくださることになったのだ。

 谷町9丁目という駅で降りた。谷町という地名は、大相撲のタニマチの語源らしい。そのあたりは大店が多く、豪快にお金を使える方々が多かったために、遊郭だけではなく大相撲や文楽などに金銭的な貢献をした方が多かったと聞いた。はじめに久成寺にあるお初のお墓に参った。このお寺は、大相撲大阪場所の際に高砂部屋が宿舎にしていたり、朝乃山が大関の伝達を受けた場所でもあるということは、大相撲に詳しい友人から聞いていた。静かで、とても綺麗に手入れされたお庭のあるお寺だった。墓所は奥にある、妙力信女、お初さんのお墓。「お初の墓は膝くらいの高さなので見逃さないように」と親切な注意書きまであった。比較的新しい墓石だった。心を込めて手を合わせた。
 
 大きな道を挟んで反対側にある生國魂神社は「曽根崎心中」の舞台ともなった生玉神社のことである。境内にはいくつもの神社があるが、なかでも浄瑠璃神社は芸事の神さまたちが集っているそうで、ぜひ訪ねたいと思っていたところだ。近松門左衛門や武本義太夫、豊沢団平ほか、人形浄瑠璃(文楽)の成立に尽力した「浄瑠璃七功神」をはじめとする文楽関係者、および女義太夫の物故者を祀っている。案内してくれた知人のご主人の亡きお師匠さまもそちらにいらっしゃるそうで、ご主人もお隠れになった際にはこちらに入りたいとおっしゃっておられると聞いた。生國魂神社の裏側は断崖絶壁になっていて、ゆるやかな道沿いには寺社仏閣の甍が連なっている。知人はフランスのお友達をこの街に連れてきたところ大変気に入ったようなので、何回かリピート訪問しているとのことだった。

 知人は広い車道を指差しながら、今は暗渠となっている場所がかつては水運で、周辺が大変栄えていたと教えてくれた。このあたりが、徳兵衛さんがお得意さん回りしていたあたりかな、お初さんの置かれていた遊郭・天満屋はこのあたりかな、などと想像するのも感慨深い。その後、梅田に移動した。お初天神は繁華街のただ中に別世界のように佇んでいる。もっとも、お初さんと徳兵衛さんの萌えキャラがいたり、顔抜きボードがあったりして観光地化されていることは否めないが、「恋の手本となりにけり」の言葉通り、恋人の聖地となっているらしい。絵馬には、お初さんの顔型が描かれていたり、ピンクのハート型だったりファンシーなものもあるが、絵馬をかけた人たちの願いはみな切実なものなのだろう。みんなの願いが叶うといいね。
 お初天神の手水舎の上に、厄年一覧が貼ってあった。最初の厄年は数え年で女19歳、男25歳。お初と徳兵衛は、人生最初の厄年に二人揃って命を散らしたことになる。

 二人が心中した曽根崎の森は、今は繁華街になっていて、かつては心中できるような寂しい場所だったことが、とても信じられない。梅田の地名はもともと、うめた。沼地を埋め立てたことからきていると聞いた。梅林や田畑があったわけではないという。とすると、二人の道行の足取りは考えていた以上に重かったかもしれない。時にぬかるみに足をとられながら、死に場所を求めてようよう歩いていったのだろうか。

 知人からは、芸事の神様が知人の口を借りているのではないかと思うほどに、素晴らしい話や、言葉をたくさん聞いた。無事に本番を迎えられるように心身を磨こうとの決意を新たにした。

 こんな折も折、入野義朗先生の令夫人、入野禮子先生が逝去されたとの報せを受けた。今月下旬に上演されるオペラ「曽根崎心中」の公演をご覧いただけたらどんなに良かったことだろう。先日は私の恩人、作曲家の一柳慧先生も旅立たれた。なんという秋なのだろう。