むもーままめ(28)飲酒時に起こる謎の全能感について、の巻

工藤あかね

GWですね。感染症対策でみんなが人の集まるところへ行くのを控えていたこの2年間とはまったく違う光景が広がっています。何にも解決なんてしていないのに。
コロナで行動制限がはじまってから、いろいろなことがありました。コロナ禍で行きつけのお店がいくつも閉店したこと。知人のご家族が危篤のときに、コロナ対策だと病院に言われ、ご家族が最期の瞬間に立ち会わせてもらえなかった話。国際結婚しているカップルの奥様が外国出身で出入国が難しく、出身国に戻って体調不良の親の顔さえ見るのが難しくなっていたこと。世界中を飛び回っている演奏家の知人が、国ごとに基準の違う証明書の準備に困り果てていたこと、入国後の隔離でかえって体調を崩してしまったこと…。

個人的にはコロナで自宅にこもっていた時期、外食できないせいもあって、酒量が増えました。予定していた本番がいくつも中止になったので、朝起きた時の体調を敏感に考える必要もなくなり、自宅に篭る時間も極端に増えていました。夕方くらいになるとその日何を飲むかでソワソワし、食事が終わってから空のボトルがさらにもう一本増える。なんとも自堕落な生活でした。しかもタチが悪いことにワインのボトルが一本空く頃には、謎の全能感が満ちてきて、まだ飲めるような気がしてしまうのです。あれって、いったいなんなのでしょうね。飲まない時の自分はそんなに抑圧されているのだろうか。だとすれば、アルコールひとつでそんなに解放されるなんて、随分簡単ですね。

コロナ禍での飲酒時、我が家ではまず、スパークリングワインのボトルの量が少ないんじゃないかという疑惑が持ち上がりました。750mlと書いてあっても「このワイン量が少ない気がする…」と、どちらともなく言い出し、最終的には「もう一本飲もうか?」という流れになるのが常でした。お酒が好きな友人と食事をした時にも、同じ現象が起こったので、わりとメジャーな行動パターンなのかも。とはいえ、量が少ない疑惑は単なる言いがかりであることはあきらか。へんな疑いをかけたことをお酒のメーカーさんに謝らなければ。なんといっても、飲んでいる時はまだまだ行ける気がしても実はしっかり酔っていて、まっすぐ歩けなかったりするのですから。

不思議なことに、アルコールだけではなく食べ物にも同じ現象が起こりませんか? まだ飲める気がしている時には、まだ食べられる気もします。さんざん食べた後にもかかわらず、飲食店で店員さんを見るなり「焼きそばください」「お茶漬けください」とか口走ってしまうのです。お水でも飲んで大人しく帰ればいいのに、もうひと押し胃袋をパンパンにしないと気が済まないあの感じ。それで帰りの道すがら、コンビニでプリンとかシュークリームとかを買い込み、家に帰るとそのことを忘れてバタン。翌朝それらを冷蔵庫で発見して「このお菓子なんだろう?」なんてとぼけたことを思ったりするのです。

翌朝、胃が重かったりするともうこんな飲み方はやめようと思うのに、夕方になるとまたソワソワ。これの繰り返し。つくづくダメな行動パターンだなと思いつつ、なかなかやめられないのがかなしい。最近はコロナ禍がひところよりシビアな感染拡大防止状況ではなくなってきて、人々の行動範囲も広がりました。個人的には一日中アクティヴに動いたり働いたりしているうちに、お酒を飲む時間がない日や家に帰るなりバッタリ倒れ込むように眠る日も増えてきました。これって健康的なの? それとも?