むもーままめ(37)マッサージ店は危険なかほり、の巻

工藤あかね

 はじめてぎっくり腰になったのは二十歳の春だった。着替えの総仕上げに靴下だったかストッキングだったかを履こうと身をかがめた瞬間に、腰のあたりがシャリーンと滑るような感じがしたのだ。瞬時に経験したことのない鋭い痛みが全身に走り、「adgkjgdk」みたいなわけのわからない声が出た。そしてそれっきり、上にも下にも、右にも左にも体を動かせなくなったのだった。

 その頃は、疲れたり体に異変が出たら整体に行くのだという頭がなかったので、ひたすら寝て直した。ちょうどその頃は大学の新学期で履修科目の登録をする時期にあたっていて、ある集中講義を取りたかったが、期間内に登録できなくなってしまった。ようやくよちよち歩けるようになった頃、集中講義の担当教授を訪ねて、履修させてもらえないかお願いをした。はじめは教授も履修を許すことはできないとおっしゃった。それはそうだろうな、と肩を落としていたら、期間中に登録できなかった理由を尋ねられたので、「ぎっくり腰で一週間ほど動けなくなりました…」と正直に言った。教授は大笑いして、「つらいよねぇ。いいよ授業来て。ただしみんなの前で何か出し物を披露してね」と言って履修を許してくださったのだった。泊まりがけの集中講義だったので、クラシックギターを持って行って、夜に教授や学生たちの前で何曲か演奏した。芸は身を助く。

 学生の頃にはじめてぎっくり腰になったあとも、断続的にぎっくり首、ぎっくり腰を経験している。実は最近もぎっくり腰になった。歩くのがつらかったので、いつもお願いしている整体まで出掛けられず、徒歩で行ける距離にある整体を探した。その整体院は説明を聞いたところ保険適用だというし、施術前には丁寧に聞き取りをしてくれる。腕もよく、あっという間に痛みが三分の一くらいになった。いい整体院を見つけたと思った。しかし、その後がちょっとした地獄だった。頻繁に通わないとまた症状が出るはずだ、根本治療が必要だ、長期通う必要がある、などと説明され、高額なコースを契約させようとしてくる。施術師のセールストークがあまりにうまいので、これは組織化されているし、研修もばっちりなのだろうと思った。しかも施術師の声がだんだん大きくなってきて、必死そうな感じとか、威圧的な感じも出てきた。なんだか新興宗教じみている。これは今すぐ契約せず、一旦頭を冷やして考えなければならないと思った。しかも保険適用だったはずの会計は謎の計算式でふくれ、単位時間あたりの精術料金は特に安くなかった。治りかけの腰を庇いながら冷静な顔で逃げ帰った。

 思い起こせば、過去にマッサージ店で危険な目に遭ったことは他にもあった。オーストラリアで30分15ドルと書いた韓国系のマッサージ店を見つけたので入った時のこと。韓流スターみたいな顔の整ったお兄さんが出てきて、上手に施術してくれた。途中、湿布を貼りましょうというので、言われた通りに貼ってもらった。さて会計という段になると、50ドルだという。15ドルと表には書いてあったのに。日本人だからfiftyとfifteenを聴き分けられないと思ったのだろう。即座に「15ドルしか払わない」と言い返した。すると「15ドルとの差額は湿布代だ」という。誰が数枚の湿布に35ドルも払うものかと頭に来て、貼ってもらった湿布をその場でべりべりとはがし、「お金がかかるなら先に言うのが筋だ。そんなに高いならいらない」と言った。それでも韓流スターマッサージ師は引き下がらず、「50ドル」と言い続けるので、こちらも「15ドル以上は払えない」と言い張ったところ、他の客の手前もあったのか、別室に連れていかれそうになった。これは店のバックに控えた怖い筋の人が出てくるかもしれないと覚悟し、15ドルだけ台の上に出して、最上級に嫌味ったらしく「サンキュー!!!」と言い、激怒しているふりをしながら店を出た。韓流マッサージ師はそれ以上追いかけてこなかった。あの人、詐欺店の経営者に怒られたのかな。

 仕事の合間にみつけたマッサージ店で骨折したこともあった。空き時間に横になって休めるかと思い2時間コースを頼んだところ、あきらかに仕事する気ゼロみたいな態度の中国系の施術師が出てきた。嫌な予感がした。そしてそれは的中した。その人はまったく指圧らしいことをせず、私に腕を上げさせたり、足を曲げたり伸ばしたりさせた。2時間コースでこれはないと思ったので、背中の凝りがあるから押して欲しいと頼んだ。最初、施術師は背中が凝るのは肩の位置が悪いのだと言って、また腕を上げさせたりしたのだが一向に背中の凝りはとれない。これは具体的に言わないと、一生きちんと施術してくれないだろうと思った。ちょっと勇気を出して言った。「体操ではなく、指で凝っているところを指圧して欲しいのですが」と。中国人施術師は一言「うつぶせ」と言った。言われた通りにうつぶせになったところ、今度は背中をぎゅうぎゅう押してきた。点で押すようなやり方ではなく、ただ体重を乗せて圧迫するような感じだった。不快な2時間が終わり店を出てしばらく後、肋骨に鈍い痛みが出てきた。数日様子をみたが痛みがとれなかったので、整形外科を受診してレントゲンを撮ったら肋骨にヒビが入っていた。歌を歌う仕事をしているので、息をするだけで痛い状況はなかなか辛かった。そして肋骨を骨折したままコンサートの日を迎えることになり、出番直前までコルセットをつけて過ごした。本番の衣装の時だけコルセットを外して歌ったが、変なアドレナリンが出たのか演奏中は痛みを感じなかった。そして全曲が終わりお辞儀をしたとたん、肋骨の痛みが戻ってきた。人体の不思議。

 整体ではもうひとつおかしなことがあった。ぎっくり首で、ある整体院に飛び込んだ時のこと。施術が的確な上に保険診療だったので、体が治るまでしっかり通おうと心に決めた。院長が、私にはもっと筋肉が必要だと言い、トレーニング法や必要な器具などを紹介してくれた。私もその言葉を信じて自宅で筋トレをはじめた。数回通ったある日、院長は、筋トレを頑張りたいのなら最高の先生がいるからその先生がいる日に予約して来てみてくださいと言った。

 言われた通りにした。施術にあらわれたのは体がコーヒー色にぴかぴか光った、ムキムキマッチョの先生だった。ボディビルダーらしきその先生は聞いてもいないのに「近い時期に大会がないから、この体の状態は自分の最高ではない」というようなことを言い、胸筋を動かしてみせた。申し訳ないので、とりあえず「すごーい」と言ったところ、今度はうつ伏せになってくださいと言われた。先生は施術台のへりに腕組みして立った。私は言われた通りにうつぶせになった。しかし、あごを自分の腕の上に乗せると、施術台の高さの関係で目の位置がちょうど先生の股間のあたりになってしまった。それを見越していたのだろう。先生はいきなり履いていたズボンを下げ、内ももの筋肉をぴく、ぴく、ぴくと動かして見せたのだ。その後、その整体院には行っていない。

 マッサージ店や整体院は町中いたるところにあるのに、納得できる良いところを探すのはなかなか難しい。信頼できるいきつけのお店や整体院があるなら、迷ってはいけないのだ。