話の話 第18話:ご飯作りの周辺で

戸田昌子

うちには、「おばあちゃんの輪ゴム」という話がある。わたしの母方のおばあちゃんはたくあんが好きだったのだが、年をとって歯がだいぶなくなってからは、なかなかたくあんが噛みきれなくなった。仕方がないからずっと噛み続けていると、たくあんの皮の部分がまあるく残って輪ゴムみたいになる、という話である。長いこともぐもぐしていたおばあちゃんの口から、輪ゴムがぺろりと出てくる。「また輪ゴムになってる~」と皆が笑う、という、それだけの話である。

年をとってからは穏やかなおばあちゃんで、笑顔しか記憶にはないけれど、母によると、時々、煙草を吸っていたよ、というのである。なにか嫌なことがあったりすると、小さな桐の引き出しを開けて煙草を取り出して、ポーっと吸っていたそうだ。戦前は上海や北京にいて、現地で結婚した人だから、なんとなくハイカラな雰囲気があって、「足がとてもきれいだった」と、写真を見ながら母が言う。わたしは中山岩太の「上海から来た女」(1936)みたいな、けだるい雰囲気を連想する。

順天堂病院の看護婦長だったおばあちゃんは、どちらかと言えば職業婦人で、料理好きではなかったようだ。いま思えばわたしの母も共働きだったし、料理が好きだった、という印象はないのである。「今日の夜ご飯はなに?」と尋ねると、「わたしは名前のある料理なんか作らないわよ」と少々強い調子で言うのが常だった。ただ、母のご飯はいつも美味しかったし、そもそも6人も子どもがいればご飯作りは義務でしかなくて、大変なことだし、よく飢えさせずに全員を大きくした、と感嘆するほかない。『暮らしの手帖』が10年分ほどもずらりと並んでいた部屋の風景を思いおこせば、おばあちゃんから料理を習った、というわけではなかったようだ。それでもわたしたちが小さいころは珍しい料理や変わった料理も時折作った。アナゴをもらってきてさばいていたこともある。ぬるぬるとした蛇のような黒い生き物が、バケツの水のなかを動き回っていて、ギョッとして「蛇?」と母に尋ねたら、「これはアナゴよ、食べるのよ」と言われて納得できない気持ちになったが、口にしたらまるで魚のように淡白で(アナゴは魚だ)、二度びっくりした記憶はいまだに鮮明だ。しかしわたしはいまだに鮮魚をさばけない。

そういうわけで、わたしはそんなに料理が得意というわけではない。けれど食べることにはどこか執着があって、小学生のころにはこっそりカレーパンを作ったりした。それというのも、母の料理本のなかに、食パンで作るカレーパンのレシピがあったからである。残り物のカレーを温めずに食パンに挟み、パンの耳のところを爪楊枝でとめて、溶き卵にくぐらせパン粉をつけて、油で揚げる、というもの。揚げ油はいつも中華鍋に入れっぱなしだったし、台所が好きな子どもだったから、帰宅して誰もいなくて昨日のカレーが余っているようなときは、よしカレーパンだ、と思って作るのである。いつでもお腹が空いていた昭和の欠食児童だったわたしは、サクサクとした出来たてのカレーパンをよく一人で作って食べていた。

うちに遊びにきた実家の父が、帰宅したあとで「まあちゃんはいい鍋を持っている」とぼそっとつぶやいていた、と、母から聞いた。親族のなかでただ一人、東大へ行き大学院まで出てしまったせいで、わたしは実家の家族にまで「エリートはちょっと違うわね」などと言われてしまうような、変な扱いを受けている。そのときわたしは父に、結婚式の引き出物カタログでもらったステンレスの五層鍋でパスタをふるまったのである。母にまで「お宅はいい鍋がありそうよね。なんかいつもご趣味がよろしくて……」などとにやにやされてしまい、「いや、あれは引き出物カタログの商品だから!」と説明するも、誰も耳を貸さないのである。

もちろんわたしとて、いい鍋は嫌いではない。妹がカナダに住んでいたころ、真冬のオフシーズンに遊びに行って、料理の仕事をしている妹の影響を受けてしまい、そこでフッ素樹脂加工の(特にカナダ製ではない)お高いフライパンを買ってきた。1万5千円はしたと思う。しかしフッ素樹脂加工は長持ちせず、2年経ったらひどくこびりつくようになったので泣く泣く廃棄したあと、「もうフッ素加工は買わない」と心に決め、ネットショップでお手頃な燕三条製の鉄フライパンを買った。持ち手が木製のもので、すでに10年近く気に入って使っている。それで調理している写真などをたびたびネットに挙げていたら、しばしば「リバーライトですか?さすがですね」とコメントがつくようになった。なんだそのリバーライトというのは、と調べたら、倍以上の値段がするお高いブランド品の鉄フライパンである。わたしがそんなブランド品を使うとでも思っているのか、と悶々としていたら、鳩尾がある日、道端でリバーライトのフライパンを拾ってきた。「道端に落ちてたんですよ!拾って磨いたらピカピカなんですよ!」と嬉しそう。「そもそも、その、リバーライトってなんなんですか? 高級品?」と尋ねると、「えっ。おたくリバーライトでしょ」と鳩尾が言う。「違いますよ! 和平フレイズの2800円ですよ!」と言うも、「だって、戸田さんって、いい鍋選んでそうなんだもん」とニヤニヤ。そういう誤解、いい加減やめてほしいと思う今日このごろ。

ある日、銀座の「びいどろ」というスペイン料理屋へ行ったら、電動ミルに入った塩と胡椒が提供された。「たかだか塩や胡椒を挽くのに電動だなんて、どれだけ労力を節約したいの?近代人はダメだねぇ」などと笑いながらスイッチを押してみる。片手で持ってスイッチを軽く押さえるとギュインとモーターが滑らかに回って、引き立ての塩や胡椒がさらさらと出てくる。いままでにない感動体験である。「おっ、これは、電動……ありじゃないです?」と思って、ついスマホで検索をかける。定価1万8千円。なにを隠そう、これはプジョーの電動ミルだったのである。なるほどモーターが違うわけです。そのときはランチタイムの終わりの時間だったので、テーブルの上の電動ミルが一ヶ所に集められて中身が補充されていたのだが、プジョーの電動ミルがずらりとまるで駐車場の車のように並べられている光景は、なかなかに圧巻であった。

もちろんプジョーなんて車は買おうと思ったこともないし、そもそも車を買ったことも、買おうと思ったこともない(免許は持っている)。プジョーの電動ミルを買う、ということは、マクラーレンのベビーカーを買おうとするのと似たような感覚だろうか。プジョーの車は買えないけどプジョーの電動ミルは買える(1万8千円)。マクラーレンの車は買えないけど、ベビーカーなら買える(6万8千円)。ちなみにマクラーレンのベビーカーは、とくにパパ層に人気が高いそうである。プジョーの電動ミルに出会って以来、電動ミルに心惹かれ続けていたわたしは、ある日、ラッセルホブズのソルト&ペッパーミル(電動、5千円)を町で見かけて、衝動買いをしてしまう。あまりたくさんは入らないから、しょっちゅうリフィルの必要があるのが難点だけれど、ステンレスでおしゃれだし、そういえばうちの電気ケトルはラッセルホブズだし、いいのではないだろうか、と使い続けている。プジョーじゃないけれど。

しかしわたしはブランドに疎いので、プジョーどころか、車のメーカーも覚えられない。ベンツとBMが違う車のメーカーだということすら、最近ようやく気づいた次第である。しかもBMとBMWが別のメーカーだとすら思っていた。友達が乗っている車でさえ、「たしか、ベンツがBMのどちらかだったよね」という調子で、どちらなのかは覚えられない。「なんかミニに乗ってるスカした女がいて」という発言を聞いて、ミニスカートの美人をイメージしてしまうくらいの関心のなさである。そもそも自分が運転するわけでもない車のブランドをあれこれ言うのは、ブランド信仰が吹き荒れたバブル時代っぽい、とさえ考えている。そんな世代のスカした知り合いに、ベンツやBMW、ポルシェ、プジョー、フォルクスワーゲンなどの車に乗っけてもらったことがある(彼は会うたび違う車に乗っていた)。しかし、どれがどれだかは、やはり覚えられなかった。

そんな話をしていたら「やっぱ、ポルシェってエンジン違うの?すごいの?」と食い気味に聞かれた。うーん。なんか加速が体にくる感じで、どっちかっていうと、苦手でしたよ。と答えたあとで、「ポルシェってフランスの車?」と尋ねたら「ドイツです。シュトゥットガルトって書いてあるでしょ!」と低い声が返ってきた。知らなさすぎるのは、やはり問題らしい。

話を戻すと、道具はともあれ、わたしはご飯をふるまうのが好きである。フムスだとか、南インドカレーだとか。だから京都でも東京でも、つい料理を作っていて、最近では中野のギャラリー冬青で主催している「火星人の会」という、おしゃべり会のついでにご飯を作っている。これは参加者が火星人になった気持ちで、人間と写真について深く考える会なのであるが、営業が終わったあとの夜のギャラリーで行われるため、参加する火星人たちはお腹がすく。そのため、軽食を毎回提供することにしたのである。20人程度なのだけれど、メニューを考えるのが毎回大変である。なぜこんなことを始めてしまったのだろう、と、自分がどこへ向かって走っているのかがわからなくなる日々である。

田野が「おれは走りながら転ぶぜ!」と言い始める。奴はいつも唐突なので、わたしは驚かない。「それはなんの宣言なの?」と尋ねると、「子供の頃の大河ドラマでさ、宮本武蔵やっててさ。オープニングは、ワンカットで武蔵がひたすら道なき道をカメラの方へ走ってくんの。そいで、ときどき転ぶ。そういうのいいなあって思ってたんだよね」と言う。なるほど、わたしもそれがいいな、と思う。わたしもきっと走りながら転ぶ。そんなわたしのイメージは、朝倉俊博『麿赤兒 幻野行』なんですけどね。

渡り鳥が夕刻になると、大きな沼の上を横切っていく。鳥が旋回する。見上げながら目を回し、わたしはどたっと転ぶ。