話の話 第5話:これはギネスではない

戸田昌子

確かにそのとき空には白い紙吹雪がもうぜんと舞い散っていたのだった。それはわたしにとっては2度目のパリで、2001年の10月半ばごろのことで、そしてそれは新婚旅行だった。つまりは同時多発テロの直後だったということだ。新婚旅行を終えてエールフランスでニューヨークに戻ったときには、アフガニスタン戦争が始まっていたのだから。騒然とした雰囲気は空港でもそうで、パリのシャルル・ド・ゴール空港には銃を肩にかけた兵士が何人もうろうろしていた。でも、パリの街に舞い散っている紙吹雪は、いったいぜんたいに意味不明だった。「何事か?」と首をひねるわたしと夫に対して、タクシーに同乗していた妹は「ああ」と言って、「あれは、道路掃除夫の人たちのデモよ。あの人たち、俺らがいないと困るだろ、っていうデモンストレーションで散らかしてんのよ」とこともなげに説明したのあった。白い紙吹雪に覆われた街は一見するとまるで革命の祝祭のようであって、おかげでタクシーはいやになるほど迂回を繰り返し、ホテルにたどりつくまでに通常の倍の時間を要した。翌日の早朝、わたしが窓から外をのぞくと、紙吹雪は掃除されてほぼ完全になくなっていた。マッチポンプとはこのことだ。しかし彼らはそうやって労働者としての権利を勝ち取ってきたわけだから、マッチポンプにはもちろん意味があるのであって、それはまさに「これがまさにフランスなのだ」という洗礼であった。それゆえ人々は、デモの衝突や、ストライキで郵便や交通が止まるたび、「これがフランスだから」と嘆息する。C’est la France.

7月に入ってからここしばらく、旅をしている。2週間弱、アイルランドのダブリンを拠点に、ダンダーク、そして北アイルランドのベルファストのあたりを行ったり来たりしていた。英国の植民地であったアイルランドは20世紀前半に南の共和国が独立し、北は英国領北アイルランドとなってふたつに分かれたが、実際には大きな一つの島である。この島は、天気が変わりやすいし、よく雨が降る。さぁっと雨が降ると気温が下がる。冬は乾燥し、夏は湿度が高く、晴れたと思ったらすぐにまた降る。ある時、ダンダークの港の脇にあったピンク色の壁のパブでビールを飲んでいたら、その日、何度目かの雨がまたさぁっと降った。そのときひとりの女性が「これがアイルランドよ」と言って肩をすくめた。この人たちはどれくらいの頻度で「これがアイルランドだから」というセリフを口にするんだろう?などと考えながら、わたしは2杯目のギネスを口に運んでいた。This is Ireland.

ギネスは海を渡ると味が変わる、と言われる。言うまでもなくギネスはアイルランドを代表するビールである。それが海を渡ると味が変わる、などとは大事ではないか。それは試してみないわけにはいかない、とわたし考えた。そういうわけで以前、アイルランドでギネスをしこたま飲んだあと、ロンドンへ行って、ギネスの味が本当に変わるのかどうかを試してみようと考え、ロンドンのホテルのバーで「ギネス」と言ったら、まず顔をしかめられた(気のせいかもしれない)。そしてその後、出てきたギネスはキンキンに冷えていた。ギネスは人によっては室温に近いほうがいいと言う人もあるくらいなので、キンキンに冷やしてしまうとあまり美味しく感じない。しかしこのあたりは人によって意見が異なるし、「室温」も夏か冬かによって異なるので、完全に信頼できる話でもない。しかしなによりこのときのギネスの問題は、泡が十分にクリーミーではなかったことだった。ギネスの注ぎ方は有名なので、バーテンダーが注ぎ方を間違えたわけではないのだろうが、それでもそれはよい泡ではなかったのである。ギネスは一度、4分の3程度をグラスに注いでから、ゆっくりと1分以上待って、そのあと泡をつくる。このギネスの泡は重たくて濃いので、飲むたびにグラスの内側に泡が溜まって線ができると言われているのだが、その線が、ない。そもそもこの泡が十分にクリーミーで甘さを感じさせるものでないと、ギネスはなんだか苦いビールになってしまう。一説によるとギネスは、一口目を味わってはいけないらしい。最初はごくりと飲む。それから2口目を味わえと言われている。それがギネスなのである。しかしこれも人によって意見が異なるので真面目に聞いてはいけない。そもそも酒飲みの酒についての蘊蓄など聞いてもろくなことがあるはずはない。ともあれ、ロンドンのギネスは、一回きりしか飲んでいないが、あまり美味しくなかった。海を渡るとギネスは味が変わる、という俗説を確認することができたので、わたしは日本でギネスを飲むときは「これはギネスではない」と呟きながら飲む。これはギネスではない。This is not Guiness.

そういえば最近日本向けのギネスは味が変わったらしい。そのことについて日本のギネスファンが紛糾しているのをSNSで見かけたが、そもそもギネスは地域によって味を変えたりしていると聞く。たとえばナイジェリアンギネスというのがある。これはアイルランドのパブでは提供されていないようだが、ナイジェリア移民の多いアイルランドのパブでは、缶入りを飲むことができる。ナイジェリアのパブではもちろん飲めるだろう(これは正確には、「Guiness Foreing Extra Stout」という名称で、「ナイジェリア」を謳っていない)。通常のギネスが大麦を使用しているのに対して、これはとうもろこしやソルガムを使用する。ソルガムは日本ではモロコシ、中国ではコーリャンと言われ、亜熱帯などの高い気温のもとで生育する。そもそも大麦はアイルランドを代表する穀物で、小麦が豊かさの象徴であるのに比べて大麦は貧しさの象徴だと言われたりする。この大麦を、亜熱帯の穀物へと置き換えたナイジェリアンギネスは、地元の食材を用いて地域の人の味覚に合わせたビールだと考えていいはずだ。そしてアルコール度数が通常のギネスよりも高くて7.5パーセントもある。そもそも通常のアイルランドのギネスは4.3パーセントと低め設定である。これは音楽を聴きながらひたすら何時間もノンストップで飲み続けるための度数設定だ、というのが俗説である。逆に言えば、暑い地域ではアルコールはさっさと蒸発してしまうのだろうか? これは一度飲んでみないわけにはいかないだろうな、などと考えながら、わたしは3杯目のギネスを口に運ぶ。次の予定があるので、これはハーフパイントにした。しかしこれはナイジェリアンギネスではない。This is not Nigerian Guiness.

そもそもアイルランドには、仕事のために行ったのである。ギネスを飲むためではない。岡村昭彦という写真家の展覧会が2024年4月からダブリンのアイルランド写真美術館で行われる予定で、その展示協力のために訪問したのである。額のサイズをどれにするかという相談の中で、センチとインチの換算に悩んだスタッフが「そもそもインチはイギリス人のものだから慣れていないんだよ」と言い訳をするので、アイルランドではインチは使わないのかと尋ねたら、あんな帝国主義者の度量衡法は使わないのだ、などとと言っては威張っている。「そうは言うけどアイリッシュはパイントはやめないわけでしょう。ミリリットルでビールを飲む気はないのでしょう」と言うと、「それはまあ、当然だよね」などと言う。パイントはヤード・ポンド法における体積の単位で、主にビールグラスや牛乳の瓶のサイズとして使われ、アイルランドでは1970年代にメートル法に切り替えた後もイギリス同様、パイント制を残している。「紅茶を一杯」が「a cup of tea」であるのと同様、ギネスもまた「a pint of Guiness」であって、けっして「a glass of beer」ではないのだ。そういえばジョージ・オーウェルが『1984』で描いたディストピア世界ではパイント制が消失させられたため、好みの量のビールが飲めないというエピソードがあった。パイントのない世界はディストピアなのである。No pint, no point.

アイルランドではすぐに「A cup of tea?(紅茶を一杯どう?)」と尋ねられた(これは英国でも同様であろう)。重ねて「Coffee?」と尋ねられもしたが、まずは「A cup of tea?」である。あるとき、本屋でスタッフに「A cup of tea?」としつこく尋ねてまわっているオーナーらしき年配の女性を見かけた。しかし聞かれたスタッフ全員が「わたしもう飲んでるからいい」「あとでいい」などと断っている。しかし彼女は諦めずに聞いてまわっているのが不思議で、あとで友達に「なぜあそこまでしつこくお茶に誘うのか」と尋ねると、「自分がお茶を飲みたいのに他人を誘わないのはものすごく失礼にあたるから」と説明してくれた。なるほどと思い、次からわたしも何かといえば「A cup of tea?」と人に尋ねるようになった。ある日ふと友達に「A cup of tea?」と尋ねたら、「いまは飲みたくないけど、昌子が飲みたいなら僕がお茶をいれようか?」と言われたので、「いや、わたしはほしくない。ただ聞いただけ、感じ良くしようと思ってね(I just tried to be nice)」と言ったら、ちょっとウケた。コミュニケーション大事。A cup of tea.

アイルランドでは、もちろんコーヒーもよく飲まれているようである。しかし不思議なコーヒー専用ポットがよく使われている。「フレンチプレス」というものだが、挽いたコーヒー豆をポットに入れて熱湯をジャバジャバと注ぎ、しばらく待ってから蓋と一体型になった棒のついた網の漉し器をゆっくり下にすーっと降ろす、というものである。一度、わたしがこれでコーヒーを淹れようと試みたとき、正しいやり方がわからないので、ちょうどそこへやってきたフランス人にやり方を尋ねてみた。すると彼女も「わたしもわからない。これはフランスでは一般的ではない」と言う。「フレンチプレスなのに!?」とわたしが言うと、「これはフランス人は使わない道具なの。たとえばほら、フレンチフライとかフレンチキスとかね、フレンチじゃないのにフレンチって言われるものってけっこうあるのよ」などと言う。そして「フレンチキスなんてフランス人のオリジナルなわけないじゃんね」などと表情も変えずに平然と言ってのけている。ソリャソウデスネ。This is not French.

これがアイルランドさ、とか、これがフランスなのさ、などという言葉が口をついて出るのは、理由はともあれ、とりあえずは受け入れるしかないような状況のときのようである。アイルランドなら天気、フランスならさしずめストライキといったところだろうか。さきごろわたしはアイルランドでの仕事をいったん終えて、10日間のバカンスのためにフランスはトゥールの田舎までやってきたところだ。到着前、フランスは記録的な猛暑だから気をつけてね、とアイルランドの人々には口々に言われたものだったが、到着してみるとひどく肌寒い。トゥールに住む妹は、近所のお金持ちがバカンスに出かけている間、自宅のプールを適当に使っていいよと言われて家の鍵を預かっている。だからまあちゃん、水着をもっていらっしゃい、と妹が言うので、わたしはプールを楽しみにしていたのである。妹の家族全員がプールにつかってブルジョワぶっている写真まで送られてきた。そのため雨のダブリンで安い水着を買って持ってきたというのに、雨ばかりでプールに入れる日がない。天気予報を見ても、わたしが帰る日までずっと肌寒い。どうしたフランス、と言っていたら、昌子はアイルランドから雨を持ち帰ってきたんだね、とまで言われる始末。いや、違う。これはフランスではない。Ce n’est pas la France.

お国柄について話していたとき、アイルランド人ってどう思う?と聞かれたので、「とっても親切だけど、場合によっては親切すぎる(Irish are too kind)」と答えたことがある。そう言われたアイルランド人はきょとんとしている。先般、南の共和国から車で北アイルランドへ向かっていたときのこと。アイルランドはEUの一員だが、北アイルランドは英国領である。しかし南北アイルランドはもともと国境がないような行き来が行われていたことを知っていたので、ブレグジットで国境線がどうなったのかに興味があった。しかし車で国境あたりにさしかかったとき、道路には目印すら見当たらなかった。ここが国境あたりかな、と車を路肩に停める。写真を撮って、さて行くかと車をリスタートさせようとしたところで、とつぜん車が動かなくなった。これは知り合いから借りた日産のオートマ車だったのだが、シフトレバーがパーキングに入ったままスタートできなくなったのである。アイルランドではまだオートマ車はそれほどポピュラーではないようで、運転してくれていた、元IRAの兵士だったという男性も直し方がわからない。このときわたしたちは2台の車に分乗して出かけていたのだが、同行の車はとっくに先へ行ってしまって、同乗者が電話をかけるが気づかない。困り果てていると、通り過ぎる車がいちいち止まっては「どうした?手伝おうか?」などと声をかけてくる。もう一台の車が戻ってくるのを待つから大丈夫、といちいち返事をしているが、同行の車は戻ってこない。一方で、通り過ぎる車がいちいち止まっていくので、返事をするのに忙しい。日本車だし夫に聞いてみよう、とわたしが夫にLINEを送って相談すると、ブレーキを踏んだままエンジンをかけ直せば良いのでは、との返事。その通りにすると、車がやっと動いた。国境線で立ち往生して親切にされるというたいへん稀有な体験をした。Irish are too kind.

そういえばアイルランドでは、「お財布を盗まれても持ち主のもとに返ってくる」という話がある。アイルランドはもともと貧乏な国で、すりや泥棒が多かった。しかし財布をすられるとお金がなくなるだけではなく、財布自体も買い直さないとならない。二重の損失である。だからスリの方も、財布をすっても中身は抜いて、財布だけをぽいと道端の郵便ポストにつっこむ習慣があるのだという。道で財布を拾った人も、郵便ポストに財布を入れていく。だからみな財布に住所のわかるものを入れている。そうすると、郵便局員が郵便物を回収するついでに財布も回収し、そののちに当該住所まで配達してくれるのだという。警察を介する必要のない、便利なシステムである。すりも財布までは取らない、という、共存と思いやりのシステム……である。Irish are…… kind.

親切といえば、わたしがパリの地下鉄で、カルネと呼ばれる回数券のきっぷを買って乗ろうとしたときのこと。どうやら一度使ったカルネを入れてしまったらしく、改札口が開かない。困ったな……と思っていたら、若いお姉さんが「ぶぶれぱせあべくもわ?(Vous voulez passer avec moi?)」と言ってきた。「わたしと一緒に(改札を)通る?」という申し出である。なんと親切な……!パリなのに……!と感動していたが、いやいやコントロールに見つかる方が面倒だと思い、「大丈夫ですありがとう!」と大急ぎで言って断ってしまった。「一緒に通らせてよ」と誰かにあつかましく言われることはあっても、「どうぞ一緒にお通りください」というのはあまりない。パリは大都市だし、人々はとげとげしく、そんなに親切ではないと思っていたのだが、そんなこともあるのだ。パリジャンもたまには親切。Les parisien sont parfois gentils.

ところでいまフランスでは、日本の柴犬を飼うのが大流行りであるという。なかでも豆柴と言われる小さなタイプの柴犬をしばしば見かける。ある日、妹がパリの日本領事館の近くで豆柴を見かけた。飼い主がその犬に「サム!サム!」と声をかけているので、「そうか、サムか……」と思っていたら、飼い主が「サム!サム!サムライ!」と続けた。サムはサムでもサムライであった。なるほど。いや、違う。これはサムライではない。Ce n’est pas le samurai.