君たちはどう生きるか

若松恵子

宮﨑駿監督の新作長編アニメーション映画が7月14日にロードショウ公開された。
『風立ちぬ』完成後の引退宣言を撤回して、10年振りの新作が届けられた。今回は、『君たちはどう生きるか』というタイトルと鳥(?)のイラストが発表されるのみで、事前の宣伝は一切ない。「宮﨑駿の新作です」というだけで、どれくらいの人が劇場に足を運ぶのか?という実験なのだとしたら、「行きますに1票!」という感じで見に行った。

この世では見ることができない景色を見せてくれるファンタジーであった。
物語冒頭の戦時中の日本も、主人公が入っていく異界も、アニメーションだから成立できる世界で圧巻だった。見終わった後も「あれはこういう意味だったのかもしれない」と反芻して考える箇所がたくさんあって、つまるところは「命」だって「時間」だって「地球」だってそんな単純なものじゃないでしょう、という事を丸ごと感じさせるような映画だった。

風が出て、舟をのみ込むほどの波が立つ湾を勇敢に漕いでいくこと、雲が切れて月の光がさして闇から蒼い風景が見えてくること、満月の夜に生まれて、空に浮かび上がっていく命の種を鳥たちから守るために花火の銃を撃って威嚇する勇敢な娘のシルエット。目覚めた後もかすかに覚えている夢の断片のようなシーンが心に残る。「どういうお話だったの?」と聞かれても、あらすじを言って済まないファンタジーだから、見て、感じるしかない。

『君たちはどう生きるか』は、吉野源三郎の著作からとったタイトルであることは明確だ。主人公の少年が疎開先の家で見つけ、読み、大切な1冊として持ち帰る本として登場する。『君たちはどう生きるか』は、コぺル君が、「世の中の見方」についてコペルニクス的な転換を得て、そして、どう生きるかと考える物語だ。

宮崎の新作は、その物語を映画化したものではないけれど、宮﨑駿版の『きみたちはどう生きるか』だと言えるだろう。地球沸騰化、終わらない戦争、闇バイトによる強盗事件など、問題山積みのこの社会のなかで「きみたちはどう生きるの?」と問うにあたって、社会の見方を転換するためのひとつのものとして提示したファンタジーのように思う。
(転換するというのは大げさかもしれない。視点の幅を広げるというか、もう解決不能だとあきらめないために、くらいの感じだろうか)

目に見えているもの、時計が刻む時間だけが全てではないということ、見守ってくれる人がいるという尊さ、人と協力して乗り越えることの良さなどを物語によって体験させてくれようとしているのだ。映画の中で主人公と冒険をして、また現実に帰ってきた時に、閉塞感ばかりではないと思ってくれたら…。そのために力を尽くして映画を作ったのではないかと思う。大人として、この世の中を嘆いているばかりはいられないのだ。吉野源三郎の『きみたちはどう生きるか』を知っていて、しっかりしたファンタジーを作る力を持っている宮﨑駿だからできた仕事なのだと思う。