話の話 第7話:まずいかうまいか

戸田昌子

友達と待ち合わせをした。約束したJR御徒町の駅前に、わたしより早く到着した友達は「いま⚫︎⚫︎ダ焼きの前にいます」とメッセージを送ってきた。慌てたわたしは「まって!⚫︎⚫︎ダ焼きは買っちゃだめ!」と大急ぎで電車の中からメッセージを送った。なぜならそれは「⚫︎ンダ焼き」と名前はついているものの、中身はあきらかに、あの「ベビーカステラ」だからである。飲みすぎた深夜などに正気を失った状態で買ってしまうあれは、いつもおいしかったことがない。それを知っていながらつい買ってしまうのは、その実態に反してそれがいつも、とてもおいしそうな匂いを発しているからである。鳩尾いわく「買って後悔しなかったことがない」という代物。街中でそうそうまずい食べ物に出会うことが少なくなった昨今でも、毎回ハズレを引くことが可能な食品として名をはせている。

21世紀に入って、世の中からはそうそうまずい食べ物が減った気がする。20世紀には、どこか出かけた先でえもいわれぬ食べ物に出会うチャンスがあった。尾道のバケツチャーハンとか、四谷駅前の「来々軒」の手のつけようのないほど伸び切ったラーメンとか。ちなみにこの店の、味の逃げ場のないチキンライスは影の最強で、自分を試してみたい時に頼むのがオススメだと夫は主張するが、わたしは試したことがない。一方でおいしい食べ物に出会う才能のある人というのはいて、数ある選択肢のなかで抜群のセンスを発揮して、アタリの店を引くのである。そういう人は「わたしは食いしん坊だから、ぜったい失敗したくないから勘が働く」のだと説明する。わたしはその真逆のパターンで、「ここでいいかなー」と手を抜いて選び、口に入れたとたんに無の表情になってしまうことがしばしばある。たとえばいま住んでいる駅前に、かつてあったそば屋。味わい深い下町にあこがれて転居を決め、昼飯を食べようとなって、それならそば屋なんかいいんじゃないかと夫とふたりで入ったその店で、わたしはざるそば、夫はかけそばを頼んだ。しかし夫はあろうことか、なぜかそこで大盛りを頼んだ。特大のどんぶり鉢で運ばれてきたそれには、運んできた店主の親指が、汁のなかに見事にインしていた。つまりは汁が十分に熱くないのだということがすぐに見てとれる状態だったということである。茹で上がったそばのぬめりを洗ったあと、湯をかけて温め直す手順は省かれたのだろう。ぬるいかけそば大盛り店主の親指入り。そしてそば自体も汁からこんもりと溢れかえり、さすがの夫も食べ切ることができなかった。ひそひそと「なぜ大盛りを頼んだの……」とたずねるわたし、「だってお腹がすいてたんだよ……」うつむきがちに答える夫。その店は数年後に潰れ、そのあとコンビニになった。

昭和の時代には、もらったはいいけれどまずいご当地土産というのもよくあった。たとえばハワイ土産の定番だったマカダミアナッツチョコレート。わたしの小学生時代はバブル全盛期で、八百屋のおやじさんでさえゴルフ会員権などを買っていた時代である。我が家はバブルの恩恵を受けることがなかったので、わたしはといえば、その八百屋で白菜2個、キャベツ1玉、玉ねぎ2袋、にんじん2袋、ピーマンに長ネギなどのご無体な買い物をひとりでしていた小学生であった。話を戻すと、マカダミアナッツチョコレートである。このころはハワイ旅行が流行っていたので(松田聖子全盛期であるからして)、クラスに2、3人が、夏にハワイへ家族旅行する。すると土産は当然、マカダミアナッツチョコレートになる。夏休み明け、得意げに教室で配られるそれは、日本では馴染みのないナッツが入っていて、それがマカダミアナッツであった。ナッツと言えばピーナッツかアーモンドくらいしか食べたことのない小学生にとっては、甘すぎるチョコレートをまとうこってりと油っこいそのナッツは、確かに珍しいものだった。しかし、牛肉すら食べたことのなかった昭和の欠食児童にとり、マカダミアナッツの油脂は強すぎてお腹に重たい。チョコレート自体も、日本のチョコレートと違ってざらざらと溶けにくいし、とにかく甘ったるい。はっきり言えば、まずい。ハワイのなんたるかすらよくわからない小学生にとっては、羨ましくもなし、おいしくもなし、という、えもいわれぬ記憶として残っている。ちなみに牛肉はその後、関税自由化の影響によって、わたしの口にもしばしば入るようになった。

チョコレートと言えば、連想するのは大相撲チョコレートである。わたしの母の叔父、すなわち大叔父が福島の人で、百姓であった。彼は大相撲が大好きで、大相撲のお茶屋さんで長年アルバイトをしていた。本場所期間中は東京、大阪、名古屋、福岡、いずれにも行く。東京場所のときは、我が家に滞在する。百姓らしい、たくましい小さな体を持ったすてきな人だったが、鎌で自分の指を切ってしまい、病院へ行かず放置したら、その形のままくっついて、変な方向に親指がくっついている。とまれ、大相撲では、やきとりや赤飯などのお弁当が提供される。大叔父は余った弁当をいつも持ち帰るので、我が家の欠食きょうだいたちは、それを温め直して食べるのを楽しみにしている。いつも谷内六郎の絵がついたふりかけが配られるので、おまけのカードを集めるのを楽しみにしており、谷内の絵にはそれで親しんだ。そして場所中に1回、大叔父がかならずお土産に持ち帰るのが、この大相撲チョコレートである。「力士人形チョコレート」と言われているらしいそれは、お相撲さんの姿をかたどった小さなチョコレートが、大きなお相撲さんのチョコレート2体を取り囲んでいる。子供達はそれをひとつずつ食べる。もちろん頭からぱくりといくのである。一方、大きなお相撲さん2体も平等に分けられなければならないから、当然それは解体されることになる。おやつを公平に分配するのは当時、わたしの仕事だったから、わたしは大きな包丁を出してきて、力士を切り分ける。切りやすいところで切るので、もちろん首はばっさりいかなければならない。包丁に力を入れながら、ザク、ザク、と力士を解体していく。胸とお腹もばっさり。まわしもばっさり。若干の良心がちくちくと痛む作業である。なぜこんな食べにくいものを作ったのかと毎回、うらめしい思いになる土産であった。チョコレート自体は、おいしかった。

どうしようもなくまずい店といえば、忘れられないのが、当時住んでいた亀戸の中華料理屋「⚫︎⚫︎ダ」である。友人となにか話があって、そのあと飯を食っていこうとなって、わりといつも繁盛しているから、という理由で入ってみた。チャーハンと春巻を頼んだ。値段は安いが、量は多いと言うので、とりあえずそれだけ頼んだら、まずチャーハンが来た。見た目は水っぽいおじやのようである。パラパラなんていう概念とはかけ離れている。そして、量がとんでもなく多い。まわりを思わず見まわしたが、みな普通に食べている。一口食べてみたら、もちろんまずい。なにせ油の滲みたおじやなのだから、おいしいわけがない。どうしよう、食べ切れるかな、と不安になったところで、次の皿が来た。頼んだ覚えのない料理のように見えた。キャベツの千切りのとなりに、不思議な物体が乗っているのである。「え、これ、なんですか」と尋ねる。「春巻デェス」と店員が答える。春巻。それは、野菜や肉を春巻の皮で包んだ食べ物のはずなのだが、それは明らかに爆発している。そして焦げている。どう見ても揚げることに失敗した春巻である。普通こんなものを出すか、と思ったのだが、もしかしてこれはこの店のスタイルかもしれない。食べてみたら意外といけるかも?……結論から言うと、それは完全に、油で揚げた生ゴミであった。言い換えると、食べられる生ゴミ。もちろん食べきれない。友人とふたりで、これは無理だとなって店を出ることにし、会計を頼んだ。食べ残しを見た店員が「包みますカァ」と言う。断るのもなんなので、包んでもらう。なんだかしけた気分になって友人と別れて帰路についたが、それを家に持ち帰ることになんだかイラっとしたわたしは、途中で見つけたゴミ箱に袋を叩き込んでしまった。あんなに驚いた中華料理はそれ以降、まだない。

ちなみにその店は、なぜかわからないが繁盛を続け、その近所にもう一軒、「ニュー⚫︎⚫︎ダ」という店を出店した。亀戸民の味覚は信用できない、と心に刻んだ出来事であった。ちなみに亀戸は変な町で、30数年前、駅の敷地内の土手でヤギが飼われていたことも忘れがたい。通学時に電車に乗っていると、亀戸駅にしばし電車が停車しているあいだ、窓の外にヤギが杭に紐で繋がれているのが見える。「ヤギ」と思う。それは確かにわたしの乏しい知識においてもヤギなのだが、なぜそこにヤギがいるのかはわからない。今と違ってインターネットもないし、理由を尋ねる相手もいない。だからわたしはいつも車窓からぼんやりヤギをみつめ、ヤギは草を見つめ、しばし「ヤギ」と思ったあと、電車が発車する。そんな状態は十数年続いたが、いつのまにかヤギはいなくなり、記憶のかなたへと消えた。そのうち21世紀に入ると、ヤギがいたその場所には小さな畑が作られて、大根が栽培されはじめた。それが亀戸大根であった。ちなみに亀戸大根は、小ぶりで味が強くて、とてもおいしい。

まずいかどうかを確認することが身の危険をともなうケースもある。ある事情で、数年間、大阪に住むことになった。家探しのために内見をしていて、移動のためにタクシーに乗っていたときのこと。あちらこちらで「スーパー⚫︎出」という派手派手しい看板が目につく。話すともなく、「よくこの看板みかけますね。地元のスーパーなんですか」と運転手に話かけると、「あぁ?地元。まあいろんなとこにありますわねぇ。僕はよう入らんのですけど」と口を濁された。不思議に思ったがあまり気にせず、そのことは忘れる。のちに大阪で知り合ったパパ友とその「スーパー⚫︎出」の話になったとき、とにかく安いが品が悪く、特に惣菜は腹を下す確率が高いので自分は入らない、と説明してくれた。「でも」と彼は言う。「飲んだくれて気が大きくなって、つい⚫︎出のポテサラを買ったことがあるんやけど、まぁ腹は下した」のだそうである。ポテサラで腹を下すとはかなりのレベルの危険値である。やはりポテサラは家で作るべきなのだろうか。自分の身をもって確認する勇気の出ない案件である。

なぜ、ひとは、まずいとわかっている食べ物に手を出すのか?それは勇気なのか、それとも自暴自棄なのか。これひとつとっても、ひとは必ずしも合理的な判断をする生き物ではないということが証明されている気がする。

確認できない、といえば、謎肉。わたしは大阪で謎肉に出会った。大阪では肉と言えば牛肉で、カレーにも牛肉が入るのだと聞き及び、東京では基本的に豚肉を入れていたわたしも、大阪に住んでいたころはなんとなく牛肉を入れてみることが多かった。こころみに「カレー用の肉をください」と言ってみると、薄切りの牛肉が提供される。おおこれが大阪か、と感心することしきり。しかしあるとき、ふとみかけた肉屋で、こんな張り紙があった。「牛肉」「鳥肉」「豚肉」に続けて、「肉」と買いてある。肉といえば牛肉、ということかとも思ったが、牛、鶏、豚はすでに出ている。そして「肉」である。この店でもし「お肉ください」と言ったらこの謎肉が出てくるのだろうか。そしてその肉は一体なんの肉なのであろうか。試してみる勇気は出なかった。

ある日、鳩尾が「どうしても食べろ」と言うので、「祇園饅頭」のみそ餡の柏餅を食べることになった。これはわたしと鳩尾の間で長年懸案になっていた食べ物である。というのも、ある日、わたしが「柏餅といわれて食べてみたらみそ餡だったらがっかりする」と言ったら、鳩尾は「みそ餡はおいしいですよ」と主張して大論争になったのである。わたしは「もちろんみそ餡でも食べないわけじゃない。一口くらいなら食べるけど、やっぱりあんこ」と大譲歩してみたが、鳩尾は納得しない。「祇園饅頭のみそ餡は格別だ、これを食べたら考えが変わる」と鳩尾は言うのだが、「でもみそ餡はみそ餡でしょ。柏餅はあんこです」と反論するわたし。ふたりとも肝心なところで譲らず、いっときはそれで喧嘩別れしそうなほど険悪になった。販売時期が6月のみという期間限定である上、日持ちもしないのでわたしに郵便で送りつけることもできずじりじりとしていた鳩尾は、わたしが6月に京都を訪れたタイミングを見計らって祇園饅頭のみそ餡の柏餅をいそいそと持参した。「これなんすか」「祇園饅頭のみそ餡柏餅です」「これをわたしに食べろと」「もちろんです。だっておいしいから」「そりゃおいしいでしょうが……」「まあ食べてみてくださいって」と押し問答したのち、ぱくり。「あー……うん。おいしいですね」。鳩尾、満足。お茶まで差し出してくれた。長年の懸案がひとつ片付いたものの、これでよかったのか。少なくとも、今後、わたしがみそ餡の柏餅を食べるたびにそのときの鳩尾のドヤ顔が浮かんでしまうことは間違いない。