誰だっけ

篠原恒木

ヒトの顔と名前が覚えられない。
複数回会って、打ち合わせや食事をしているのにもかかわらず、その本人を目の前にすると、
「ええと、このヒトは誰だっけ」
という事態に直面することがしばしばある。

顔は認識しているけれど名前が出てこない、というケースなら、まだマシなのだが、顔も名前も、その両方が我が記憶中枢から消去されているのだ。これは深刻なモンダイだ。

先日も南青山の裏道を歩いていると、美しい女性に声を掛けられた。
「シノハラさーん」
誰だっけ。こんなきれいな女性と知り合いだったっけ。おれは狼狽しながらも、手掛かりを探すべく、相手に調子を合わせる。
「どうもどうも。こんなところで何をしているんですか」
「やだ、私の会社、すぐそこですよ。シノハラさんも何回かいらしたじゃないですか」
そう言われて、さらに激しく狼狽したおれだが、相変わらず目の前の女性の素性がわからない。
「そっかそっか、ははは。ですよねですよね。お元気そうで。ではまた」
おれは逃げるようにして、その場を立ち去る。誰だっけな。五分後に思い出した。つい一か月ほど前に二人で食事もご一緒した、アパレル会社でプレス業務をしている女性だった。やれやれ、さしむかいで最近めしを食べているのにこの有様だ。

ある夜、経堂の農大通りを美女と二人で歩いていると、おれの名前を呼ぶ別の女性の声がする。
「あれ、シノハラさん?」
おれはその声のする方向に顔を向ける。声の主はTシャツにショート・パンツでサンダルを履き、手にはスーパー・マーケットのレジ袋をぶら下げていた。
誰だっけ。まったくわからない。おれのそばを歩いていた連れの美女は、リスク・ヘッジのためか、サッとおれから離れ、無関係なそぶりをしてくれた。またもや狼狽していたおれはココロの中で彼女に手を合わせながらも、手掛かりを探すべく、ここでも相手に調子を合わせる。
「どうもどうも。ぐ、偶然ですね。こんなところで何をしているんですか」
「やだ、私の家、すぐそこですよ。シノハラさんこそ、こんなところで何しているんですか」
おれの家は経堂からとても離れたところにあるので、この逆質問はじつに的を射たものであった。ニンゲンは核心を突く質問に対してあまりにも脆い。
「んと、えと、ちょいと食事をしようかな、と」
「わざわざ経堂で? お気に入りの店があるんですか」
「んと、えと、あるようなないような。あるといえばある、のかな」
「えっ、どこ? どこ? アタシが行ったことのある店かな」
おれはしどろもどろになりながら、焼肉店の名前を教えた。
「ああ、あそこはアタシもときどき行きますよぉ。美味しいですよね」
「うん、美味しい美味しい」
「いつもお世話になってます。偶然ってあるんですね。ではまた」
謎のレジ袋ぶら下げ女性はにこやかにそう挨拶すると、おれから去っていった。
一緒に歩いていた美女がおれのそばに戻る。
「お知り合い?」
「そのようだけど、誰だかわからないんだ」

後日、経堂で遭遇したあの女性からメールを貰った。「あのときはどうも。あんなところでお会いするなんて」という内容だった。「失礼いたしました」とも書かれていた。失礼したのはこのおれなのだが、この「失礼」とは、「女性連れなのに声を掛けて、立ち話を続けて失礼しました」という意味なのだろうか。しまった、気付かれていたのか、と思ったが、すぐに「まあどうでもいいかぁ」と思うことにした。おれが偶然に会ったのは、広告会社に勤務する女性で、何回も仕事で会っているヒトだった。

この二つのケースに共通しているのは、
「思いもよらぬ場所で、急に遭遇した」
という点である。おまけに後者のケースは、相手が普段とまったく違う格好をしていたので、完全なる不意打ちを喰らった格好になる。だが、二人の女性とも仕事で浅からぬお付き合いをしているヒトなのだ。つくづく「顔と名前を覚えられない」のは不都合が多い。

パーティが嫌いなので、どうしても顔を出さなければならないもの以外は欠席することにしている。たまに出席しても受付に案内状と名刺を置き、会場に入っても十分後には退出してしまう。おれのパーティ嫌いの理由のひとつは、
「会場で声を掛けられても、そのヒトが誰だかわからない」
というケースがあまりにも多いからだ。最近のパーティでは名刺をホルダーに入れて、胸元に付けている場合が多いが、おれは視力に問題があるので、名刺に書かれている名前が読めない。なので、そういうヒトからいきなり挨拶されても「誰だっけ」という状態になる。だが、まさか目の前に立っているヒトの胸元に顔を近づけて、名刺をまじまじと見るわけにはいかない。おれは狼狽しながらも手掛かりを探すべく、ここでも相手に調子を合わせる。
「どうもどうも。最近どうですか」
「いやぁ、どうもこうもないですよ。ボチボチやっております」
おれの発した質問はむなしく空振りに終わった。相手の答えはあまりにも形而上で抽象的ではないか。仕方なくおよそ二分間、おれは相手の素性がわからないまま会話を続けて、
「ではまた」
と話を切り上げ、そそくさと立ち去ることになる。声を掛けられたときに、
「失礼ですが、どちらさまでしたっけ」
と正直に質問する度胸はおれにはない。そんな質問をしたら、相手は不快に思うに決まっているではないか。反感も買うだろう。何様のつもりだと思われるに決まっている。

この「ヒトの名前と顔が覚えられない」というオノレの性質、いや、もはや欠点が顕著だなぁと思うのは、あらかじめアポイントをとって、カイシャにいるおれを訪ねてきてくれたヒトに会うときだ。
「ちょっとご無沙汰していました」
相手がそう言っても、おれは、
「あれ、このヒト、こんな顔をしていたっけ。でもって、このヒトの名前、何だっけな」
と背中に嫌な汗をかいている。わかるのはこのヒトが所属しているカイシャの名前と、このヒトがどんな仕事をしているかだけだ。近頃ではマスクを外して顔を全面的に見せてくれるので、おれはますます混乱して、顔も認識できず、名前も出てこなくなる。

若い時分からこのような状態なので、最近では完全に開き直っている。
「だいたい仙台で務めているのに名古屋という姓はおかしい。広島本社勤務なのに山口という姓はややこしい。紛らわしくて覚えられないではないか」
そんな言いがかりのような屁理屈をつけて、オノレの欠点を覆い隠そうとしている。
だが、世にも珍しい名前なら覚えられるかというと、これもきわめて怪しい。初対面のときに名刺をいただいて、
「珍しいお名前ですねぇ」
と言って、このヒトの名前なら覚えられるだろうと思ったのだが、
「あれ、三十郎だったっけ、藤十郎だったっけ、何だっけ」
という事態になり、名刺の束を捜索したら「傳十郎」だった。その傳十郎さんの顔も覚えていない。挙句の果てには、次のような不遜極まりない思いが頭に浮かぶ。
「名前が平凡なヒトは、絶世の美男美女か、あるいはその逆か、どちらかにしていただきたい。強烈なヴィジュアルを備えていなければ、このバカなおれがいちいち覚えられるわけがないではないか」

自分の顔を鏡で見てうっとりするような趣味もないので、顔や手を洗うときにチラリとオノレの顔を見るだけの毎日だが、ときどき驚くことがある。
「おれはこんな顔をしていたっけ」
眼鏡を外した自分の顔は見知らぬ他人のように思える。だが、この顔が六十三歳のシノハラ・ツネキの顔なのだろう。不思議な気分だ。そうなのだ。曖昧なのはヒトサマのお顔だけではないのである。

なので、どうかおれを街で見かけたときは、そっとしておいてほしい。そのほうがお互いのためなのだ。そしてこの場を借りて、我がツマにもお願いをしておきたい。おれを街で偶然見かけたときは、一緒に歩いている女性が存在する場合もごくたまにあるので、どうかそっとしておいてほしい。そのほうがお互いのためなのだ。