きっかけは過去の録音の再発売だった。
2016年、作曲家生誕150年となる年を記念して、わたしは悠治さんが過去にDENONレーベルへ残したサティの作品群を再発売することを企画した。
3歳の時、母親に導かれ水牛楽団のコンサートに行き、カセットテープで水牛のアルバムを何度となく聞いていたわたしにとって、高橋悠治という名は常にとおくにあって燦然と輝く存在だった。
そしてサティ。小学生の時分、CMで「エリック・サティの音楽のように」というナレーションとともに流れてきたジムノペディのメロディに魅了され、当時上梓されたばかりの秋山邦晴「エリック・サティ覚え書」をクリスマスプレゼントに親へせがみ、何度も読みふけって以来このかた、わたしにとってはクラシック作曲家の一番星なのである。
レコード会社に勤めてまだ10年に満たないキャリアのわたしにとって、サティのアルバムの制作に携わることができるのは悲願のひとつだった。そしてましてや、悠治さんの音源にかかわることができるなんて。
その存在を知ってからずっと、孤高の哲人のイメージを抱き続けていた悠治さんに、再発売の許可を求め、はじめて連絡をとるのは、ぴんと張り詰めた緊張感をともなった。タイプする指に汗をにじませながら、思い切って送信ボタンを押す。
「いまなお色あせぬこのアルバムを末永く、そして今の若い世代の人々にも届けたいと願って企画しました」
そんな言葉を添えて。
返事はほどなくやってきた。再発は、どうぞご自由に、そんなニュアンスの短いメール。それでも、返事が来たこと自体が、なにか止まった時間が動き出すかのように感じられたのを今でもありありと覚えている。すぐに再返信をするにあたり、わたしは欲がでた。
ひょっとして、悠治さんと、サティの新しい録音はできないか。
2004年に発売された「ゴールドベルク変奏曲」の悠治さんの再録音を思い出していた。1976年の旧録音を愛聴していた身としては、この新録音の演奏の大きな変化に釘付けとなった。まるで一転倒立のような、重力から解き放たれたような揺らぎに衝撃すら覚えたのだ。
サティも、80年前後の録音のころとは、大きく変化したものが現われるに違いない。
つたなくも、提案をまとめメールをしたため、意を決して送ると翌日には返信。
「サティをもう一度出すのは、おもしろいかもしれません」