3月を迎える日は、ひと月前の2月を向かえるのとはちがって、これから春が来るのだというあたたかな気持ちがします。近所の沈丁花の花がいっせいにひらいて、春の香り匂い立つ日です。
「水牛のように」を2021年3月1日号に更新しました。
今月はじめての登場は服部玲治さんの「新・エリック・サティ作品集ができるまで」です。これまで何度か書いたように、水牛通信の読者のなかでもっとも若かったのは杉山洋一さん、当時14歳ですが、ここに当時3歳のときに水牛楽団を聴いたという人があらわれました。そういえば、親に連れられていった水牛楽団のコンサートをなにがなんだかわからずに聴いたという人には何人か会ったことがあります。コンサートはいまでもこどもを連れていけないことが多いと思いますが、水牛ではそういう「禁止」はしなかったので、いやいや連れていかれたこどもたちがわりとたくさんいたのですね。なんらかの種を彼らにばらまいたのかもしれない、と今になって考えます。そして、そういう場所があるのはいいなとも思います。こどもの感受性は、音楽が好きで詳しいおとなとは違うところがおもしろい。こども向けとかなんとかいうことを考えすぎずに、大人である自分とおなじように聴けばいいし、演奏中にこどもが泣き叫ぶことがあってもいいじゃない、と思います。
ピーター・バートさんの「高橋のふたつの側面」は、杉山洋一さん企画のコンサート2回分を録音したCD「KAGAHI」の解説です。
それでは、来月も更新できますように!(八巻美恵)