ベルヴィル日記(13)

福島亮

 B線に乗ったのは久しぶりだった。この線はシャルル・ド・ゴール空港とパリ市内を結ぶ郊外線なのだが、学生寮がある国際大学都市と中心街に位置するシャトレ駅が線上にあるため、今の家に引っ越す前はよく利用していた。ただ、私がかつて暮らしていた寮は、国際大学都市の外れにあり、メトロ14番線のポルト・ドルレアン駅の方が近かったから、どちらかというと地下鉄を利用することの方が多かった。引っ越してからは、中心街には徒歩で行くようにしている。オーベルカンフ通りを下り、ピカピカした洋服店が並ぶヴィエイユ・デュ・タンプル通りをピカソ美術館を横目に通り抜ければ、もう中心街のマレ地区だ。そこからセーヌ川を渡って大学がある左岸まで行くのはちょっとした遠足だけれども、できないことはないし、別に骨の折れることでもない。先日友人と話していて、パリの街を歩いていてもそれほど疲れないのはなぜか、という話になった。私たちの出した結論はこうである。この街では通りの名前や広場の名前が、歴史や事件といったものを想起させる装置になっていて、歩くだけで幾重にも重なった時間を横切ることになり、その結果、気持ちが常に新鮮だからあまり疲労を感じないのだろう。都市を歩くということは、時間旅行なのだ。そして、フランスは、さまざまな装置を用いて時間旅行を発動させることに極めて意識的な国だと思う。

 話が逸れたが、B線に乗ったのは、先月亡くなった日本人画家H氏の葬儀に参列するためだった。パリから電車で一時間ほど行ったところにあるオルセー・ヴィルという駅で降り、そこからH氏の妻の親族に自動車を出していただき、公営葬儀場にたどりついた。じつは、フランスで葬儀に参列するのはこれが初めてだった。参列する旨を事前に遺族に伝えたとき、心のなかで真っ先に心配したのは服装である。どんな服で行ったら良いのか。喪服は持ってきていないし、作法もよくわからない。時々家に遊びにくるフランス人の友達に尋ねると、黒ければなんでも良いのだという。街中の花屋で白菊と白薔薇の小さな花束を作ってもらい、白いワイシャツに黒めのジャケット、そして前に一度だけ履いたことのある黒靴を履いて会場に行くと、なるほどたしかに暗めの服装が多いとはいえ、各々自由な服装をしている。これはH氏の葬儀が無宗教だったことともある程度関係しているのかもしれない。

 祭壇(といっても、小さなステージのようなものなのだが)の壁には竹林の映像が投影されており、中央にH氏の棺が置かれ、手前にはタブローが一枚置かれていた。祭壇の奥、壁際には古い日の丸の旗が掲げられている。これはH氏が日本を去る際に持ってきたものだというから、半世紀以上前の国旗だ。異国で生きていこうと決意した20代の青年は、どんな思いでこの国旗を旅の荷物に忍ばせたのだろうか。氏の妻が読み上げた追悼の辞によると、H氏は夏のヴァカンスでノルマンディーに行くと、食前酒を飲む前に「日本の漁民の歌」をよくうたっていたという。司会者が何やら操作をすると、会場に「漁民の歌」が流れる。「斎太郎節」だった。もう10年ほど前になるが、私は男声合唱を少しだけやっていたことがあり、その時はじめて知ったのがこの宮城民謡だった。だから、懐かしくもあり、また、それをフランスの斎場で聴いているというのが奇妙でもあった。

 斎場からパリまでは、知り合いの画廊の人が自動車で送ってくれた。普段、もっぱら電車を使っているので、自動車でパリに入るのは新鮮だ。ヨーロッパの古い街の多くがそうであるように、パリもまた城壁に囲まれていた名残で、街をぐるりと環状道路が囲んでいる。自動車はパリに入るとセーヌ川沿いを走り、アルマ橋の付近で止まった。橋の斜め向こう側に、シャイヨー宮の立派な建物が見えた。トロカデロから大通りを通ってメキシコ広場に行くことができるな、と思ったが、日も落ちていたので散歩は諦め、メトロに乗って帰宅した。

 数日してから、思い立ち、葬儀用の花束を作ってもらった花屋で薄い紅色の薔薇の花を数本買い求め、埃をかぶっていたガラスの花瓶にさして机の隅においた。H氏への追悼のためでもあったが、同時に、H氏と知り合いだった保苅瑞穂氏の遺著『ポール・ヴァレリーの遺言』のなかに、水仙の切花を飾るエピソードがあったからでもある。じつは、この本の最初の章にメキシコ広場へと続く大通りが登場する。自動車から降りた時、そのことを思い出したのだ。心細げな薔薇だったが、花瓶を置いてみると、保苅氏も述べているように、花の周りの空気がそこだけ一変するように思われた。その気配を感じながら、改めて、氏の本の件の箇所を読み返してみた。時々H氏の口から保苅氏の名前が出ることはあったが、私は氏に直接会ったことはなく、もっぱらプルーストのエッセイの翻訳家として、また、モンテーニュについての味わい深い書物の書き手として名前を知っているにすぎない。肩肘張った衒いがなく、しっとりとした優しさと芯のある明晰さを持ち、しかものびやかなその文章を繰り返し読む時間は、私にとって心の落ち着く瞬間だ。

『ポール・ヴァレリーの遺言』は、文字通り、ヴァレリーをめぐる思索なのだが、その心は「わたしたちはどんな時代を生きているのか?」という副題にはっきりとあらわれている。読んでいると、「海辺の墓地」の詩人が、熱く語りかけてくるように思われる。例えば、引用されているヴァレリーの文章のなかに、次のような一節がある。「後世の人びとにおのれを思い起こさせる作品は、人を挑発したにすぎない作品よりも力強いものである。このことはすべてについて真実である。私の場合、本が与えてくれた願望、もう一度読んでみたいという願望の強弱によって本を分類している。」なんて素敵な本の分類法だろうか。ともあれ、私の家の場合、本棚に置かれた本は、砂浜の砂のように気づかないうちにあっちへ行ったりこっちへ行ったりするから、繰り返し読みたい本は、無意識のうちに目につきやすいところや、ベッドの付近などに積み上がる。

 もう数ヶ月したら、これらの本たちも箱に詰めて、日本へ送らなくてはならない。好き勝手に移動する本たちを眺めながら、いずれやってくる日のことをぼんやりと考えている。