ベルヴィル日記(14)

福島亮

 もう1月! 11月末から12月はじめにかけて、連日徹夜が続いていたからだろうか。気がついたら12月1日の夜になっており、ああ、しまった、ベルヴィル日記を送り損ねた、と思ったのだが、後の祭りだった。

 ベルヴィルでの生活も残すところあと2ヶ月弱となった。フランスの新年は比較的静かである。というのも、お祝いといえばノエルだからである。少し前に国立視聴覚研究所(INA)の映像アーカイヴを見ていたら、ビュッシュ・ド・ノエルについての短いドキュメンタリーがあった(https://youtu.be/tbhAOpvvqDU)。1980年頃の映像らしいが、ノエルになると暖炉に大きめの丸太を焚べ、その上に人参などを並べて燃やすという風習が当時の田舎にはまだ残っていたらしい。ビュッシュ・ド・ノエルというと、私は単なるロールケーキくらいにしか思っていなかったのだが、古い起源があるようだ。もっとも、もはや暖炉を使う家自体がそんなにも多くないだろうから、この行事がどれだけ残っているかは謎である。

 私は2018年までビュッシュ・ド・ノエルなるものを食べたことがなかった。その年、マルティニックでノエルを過ごしたのだが、滞在していた家の人がパーティーで切り分けてくれたのが最初だった。それは熱帯にふさわしく、パッションフルーツ味のクリームで作ったアイスケーキだった。でもそれ以降、ビュッシュ・ド・ノエルを食べる機会にはめぐまれなかった。というのも、このケーキはみんなで切り分けて食べるものであり、私のような一人暮らしの外国人にとっては少し敷居の高い食べ物なのである。もう去年になってしまったが、12月23日、ある日本人の知り合いの家に呼ばれて夕食をともにした。そうだ、と思い、ビュッシュ・ド・ノエルを購入して持って行った。フランボワーズで色付けしたクリームに覆われた可愛らしい丸太を切り分けて食べてみると、そのピンクのクリームは、バタークリームだった。ビュッシュ・ド・ノエルは数日間店頭に陳列されるため、生クリームというわけにはいかないのだろう。これがバタークリームケーキか——と、感慨に浸った。

 というのも、まだ私が幼かった頃、母がバタークリームケーキの話をしてくれたのを思い出したからである。後に私の母となる群馬の田舎の少女は、地域の行事でもらったバタークリームケーキを喜び勇んで食べたところ、ひどい吐き気に襲われ、以降、バタークリームはその名を見るのも聞くのも嫌になったらしい。どうも母が子どもだった時分はバターの代わりにショートニングを使用した偽造バタークリームも多かったようで、少女時代の母がそれを食べてしまった可能性は高い。ケーキといえば生クリームのものしか見たことがなかった私にとって、バタークリームケーキはずっと謎の食べ物だった。ようやくその謎のケーキに巡り合うことができたのである。

 ちょうどその日だったのだが、隣の区でクルド人を狙った発砲事件があった。犯人は69歳の男性で、刑務所から釈放されたばかりだったという。事件の直後、警察によるクルド人の保護が足りなかったとして、クルド系住民と警察の衝突があった。日本にいる知人から私のもとに心配のメッセージが届いたのはその衝突も終わりかけた頃だった。その日は朝の市場に行ってから部屋にこもっていたので、そもそも事件に気づいていなかった。「黄色いベスト運動」が火を吹いていた頃は、デモ隊に混ざって催涙ガスを浴びたりもしていたのだが、今は滞在許可書の更新中ということもあって(12月が今持っている許可書の期限なので、残りの約3ヶ月間のためだけに更新手続きをしているのだ)、今回の事件の抗議集会には足を運ぶこともなかった。

 でも、たとえば攻撃がアジア系住民に対するものだったら、自分はどうしただろうか。警察の不備を訴えて、街路に飛び出しただろうか。思い出すのは、コロナが蔓延し始めた頃のことである。私自身は経験したことがないのだが、その頃アジア系住民に対するヘイトが多くあり、実際、私の知り合いは道を歩いていて唾を吐きかけられ、ウィルスと罵られたという。このような事件がある場合、とくに中華系の住民は激しい抗議を行う。それだけでなく、あの頃は、食堂でも商店でも、彼らはマスクを二重にし、ことあるごとに手指を消毒していた。私がヘイトに遭遇せずにすんだのは、運が良かったからではなく、彼らの抗議行動と努力によって守られていたからである。そもそも、「中華系の住民」とは一体誰のことか。ベルヴィルで出会うあの人やこの人がどこから来たのかはよくわからないし、市場に行けば、私も「ジャッキー・チェン」と呼ばれることがある。どこから来たのかとか、何系なのかということを本当はそんなにも気にしなくて良いのかもしれない。だからこそ、特定の住民を狙った事件は気分を重くさせる。

 それにしても、静かだ。じつは、ベルヴィルの新年は、春節の方が何倍もにぎやかなのだ。もう数週間からひと月ほどすると、通りを獅子舞が練り歩き、商店に入れば、お祝いとして大きなミカンをくれるだろう。だがそれはまだ先の話である。ひたすら静かな大晦日だ。と思っていたら、何だか外がにぎやかになってきた。出てみると、目の前のベルヴィル通りに辻楽師がやってきていて、中型のドラムと小さなバグパイプを演奏している。太鼓の方はダルブウカ、バグパイプの方はメズウェドといい、どちらもチュニジアの伝統楽器だそうだ。通りには人だかりができていて、なかには踊っている人もいる。ああ、楽しいな、こういう時間がずっと続けばいいな、と思っているうちに、音楽は終わり、楽師たちの姿は消え、人だかりも散ってしまった。