ベルヴィル日記(2)

福島亮

 ある人へのメールに、住んでいるだけで元気になるような街です、と書いた。そうは言っても、住んでいるだけで元気を失う街にこれまで住んだことはないから、どこに住もうと住んでいるだけで元気になるような街です、と私は口にするのかもしれない。が、ここでなければ言えないことも確かにあって、それは住んでいるだけで食欲のみなぎる街です、ということだ。明日(金曜日)は週に二度ある市場の日である。それを思うと、胃のあたりがもぞもぞと力を帯びるのがわかる。

 パリの市場の魅力というものをこれまでほとんど知らなかった。もったいない。前に住んでいた14区でも、毎週市場は開かれていた。しかし、魅力的だと思ったことはなかった。例外は夏の終りから秋の初めの市場である。前にも少し書いたことがあるが、大小様々色とりどりのプラムが並ぶ様子を見ると、心底嬉しくなる。でも、それは例外で、これまで3年ほどパリで暮らしてきて、市場があってよかったと今ほど思いはしなかった。そもそも、私にとって、市場といえば、パリではなくマルティニックの市場なのだ。フォール=ド=フランスで開催される市場の色彩豊かなこと。コロソル、パンの実、グロゼイユ……どんな味か想像もつかない野菜や果物が山積みになり、所狭しと熱帯の切り花が並び、容易に前に進めないほど人で溢れたあのマルティニックの市場。それが私にとっての市場だった。ベルヴィルの市場は、どこかフォール=ド=フランスの市場を思わせる。さすがに熱帯の切り花はないけれども、店の人々の活気溢れる言語活動が、どこかカリブ海と通じている。

 市場の魅力はなんといっても売り手との距離の近さである。引っ越してきてまだ一ヶ月ほどだが、すでにお気に入りの屋台ができた。根菜を得意とする屋台だ。カブ、大根、人参はそこでしか買わない。ひと月、毎週通って、ようやく顔を覚えてもらえた。ひいきにする理由は、その屋台の根菜にはいつ行っても立派な葉っぱがついているからである。葉つきの人参は二週間くらい冷蔵庫に入れておいてもみずみずしい。対して、スーパーで買った人参は、あっという間に腐ってしまう。前の14区の家で、一度、どうにも部屋が酒臭いと思っていたら、冷蔵庫の野菜室で人参が酒(らしきもの)に変わっていたことがある。

 市場の他にも、ベルヴィルで初めて知ったものがある。アラブ菓子の魅力だ。ベルヴィルは北アフリカ出身の人が多く暮らしており、私の家のすぐ近くにもチュニジア人のパン屋兼菓子屋がいくつもある。見たこともないほど大きな丸パンや、道端の大鍋で調理される作りたての揚げパンなど、視覚的にも嗅覚的にも聴覚的にも楽しいのだが、そういった魅惑的なアラブの食べ物のなかでも、もっとも自制心を強いてくるのはアラブ菓子だ。糖蜜にとっぷり漬けた揚げ菓子や、全体に蜜を絡めた焼き菓子は、頬張れば歯が溶けるのではないかと思うほど甘い。それをこれまた砂糖をたっぷり入れたミント茶と一緒に楽しむのが一般的なのだが、私はほうじ茶と一緒に楽しむことにしている。

 こんなふうに食べてばかりいては健康が心配だ。だから、国立図書館まで歩くようにしている。片道、約1万歩である。歩いてみて気がついたのだが、ベルヴィルは少し歩けばマレ地区なのだ。まだ私にとっては少々よそよそしい感じの、とがった商店や喫茶店が至るところにある。でも、どこか懐かしさも感じる。なんとなくだが、原宿から代々木を通って新宿に向かうあたりの雰囲気とどこか似ているようにも思うのだ。

 7階の家の窓から頭を出すと、隣家の煙突がすぐ近くにある。隣家の一階はパン屋だ。だから、たぶんその煙突からだと思うのだが、早朝、焼きたてのパンの匂いが部屋に漂ってくる。それはいかにもパリらしい匂いだ。だが、一歩外に出ると、そこにはフォール=ド=フランスや、チュニジアや、東京がひしめいている。私は今、そんな街で生きている。住んでいるだけで元気になるような街です、という感想は、やはりここ、ベルヴィルでなければ発せられなかっただろう。