ベルヴィル日記(9)

福島亮

 パリのアパルトマンに数日前に戻ってきた。猛暑を想像していたが、実際にはそこまで暑くない。朝などは寒いくらいである。この時期のフランスはとにかく日が長い。夜10時頃まで明るいので、時間感覚が日本とずいぶん違う。着いた翌日、さっそく市場で買い出しした。季節の果物、この時期だとサクランボが安い。1キロで2ユーロくらいだった。

 ふりかえれば、約一ヶ月日本に滞在した。2年ぶりの日本だった。それまであまり強く感じたことがなかったのだが、今回2年ぶりに帰国して、その変化の乏しさ、といったら良いのか、「遅れ」といったら良いのかに愕然とした。まずもってそれを感じたのは、現金がいまだ大きなウエイトを占めていることである。日本に到着して早々、関西国際空港から難波に行った際にコインロッカーを探したのだが、100円硬貨が7枚だか8枚必要だというではないか。また、滞在先の近所の某ドーナツ店では、クレジットカードは使用できないと書かれていた。こんなことで良いのだろうか。

 いちいち挙げていけばきりがない。人がいない屋外でのマスク着用はさすがに不要だろう。節電といいながら電車のなかでも駅のなかでも至るところで煌々とコマーシャルを垂れ流している電子広告のモニター、あれはなんだ。鉄道関連でいえば、電車のなかで路線図が隅に追いやられ、せいぜい数駅分しかドアの上のモニターには表示されていないのも、利用者としては不便だ。今回の帰国は、まずは到着した国際空港の唾液採取ブースに掲げられた梅干しとレモンの写真の洗礼からスタートしたわけだが、細かいレベルでの感覚のずれというか、なんだこれは、というものの多さに困惑し続けた滞在だった。

 このような困惑、ないし不満は、今回の旅の最後までついてまわった。それは日本から出た後も続いた。フランスへ戻る便は、成田から発った。成田、ソウル、アムステルダム、パリという乗り継ぎをせねばならなかったのだが、アムステルダムでの乗り継ぎが今回最大の難関だった。というのも、荷物検査をおこなうカウンターが完全に麻痺しており、長蛇の列から抗議の怒声が飛び交い続けていたからである。おそらく最新のものと思われる検査装置が何台もあるというに、担当者が2人か3人しかおらず、一台しかその装置が機能していないのだ。人員削減をしたところに、観光客が押し寄せたのだろう。当然長蛇の列ができる。並んでいるうちに飛行機が飛び立ってしまった人もいた。そういう人に、空港職員は自身の腕時計を突きつけ、あなたの飛行機は飛び立ちました、と絶叫している。ほとんどパニック状態といってよい有様だった。

 ベルヴィルに戻り、アパルトマンでくつろいでいると、連れ合いから例の自民党議員連盟会合で配布されたという冊子についてのYahooニュースが送られてきた。ヨーロッパではYahooのニュースは見ることができないので、記事の部分をテクストにして送ってもらった。普段、あまりこういうネガティヴなニュースを連れ合いは送ってこない。このニュースを送ってくること自体に、まずは強い怒りがあるのを感じた。それはそうだ。同性婚に反対する合理的な理由というものを私は聞いたことがないのだが、今回合理的どころか、不合理な差別的思想が列挙された件の冊子が配布されたわけである。底が抜けた、と思った。いや、とっくに底など抜けていたのだ。件の冊子のもとになったと思われる某政治団体の機関紙が団体のホームページからダウンロードできるのだが、そこに並ぶ言葉のなんという既視感。使い古された紋切り型の数々が、この底の抜けた虚しい空間に渦巻いている。