水牛的読書日記 2022年5月と6月

アサノタカオ

5月某日 韓国の詩人・金芝河の訃報に接する。享年81。編集中の本の注釈に彼の名前が登場するので、責了直前に没年を赤字で書き込む。あすは外出するので、『金芝河詩集』(姜舜訳、青木書店)を鞄に入れて連れていこう。詩集の装画は画家・富山妙子さんの作品で、富山さんは昨年の夏に亡くなった。同時代の読者ではなかったが、1990年代、大学生の頃に古本屋でこのシブい本に出会ったのだった。もうこの世にいない詩人を思う。

 ここから
 あそこまでは
 だぁれもいない

 黒い
 下水に月光が没落する石橋の上に
 この不思議なほど美しい
 吐く息が白白とたちこめた家のなかには
 だぁれもいない
 ——金芝河「だぁれもいない」(姜舜訳)

5月某日 『金芝河詩集』と戸井田道三『能芸論』(勁草書房)をもってI先生と本作りの打ち合わせのためW大学へ。昼前、江ノ島駅から乗った小田急線のシートに腰を沈め、何度読んだかわからないぐらい読みつづけているこれらの本のページを交互にひらく。そして乗客もまばらな車内で、民衆の「知」が世代を超えて受け継がれていく長い時間のことを考えた。

帰宅後、若手の社会学者・ケイン樹里安さん急逝の知らせが届き、絶句する。享年33……と記すだけでつらい。共編著『ふれる社会学』(北樹出版)は話題になった学術入門書。「ハーフ」をめぐる言説を批判的に考察する論考の数々を興味深く読んでおり、カルチュラル・スタディーズ学会などでことばを交わしたこともあった。現代の人種主義に抗う。文章や会話の端々からみずみずしく情熱的な知性がほとばしるのを感じて、ケインさんの今後の活躍を大いに期待していたところだった。なんということだ……。

5月某日 『詩人キム・ソヨン 一文字の辞典』(クオン)が第8回日本翻訳大賞を受賞。翻訳した姜信子さん、一文字辞典翻訳委員会メンバーのみなさま、おめでとうございます! 韓国の詩人による「ことば」をテーマにした随想集で、企画の独創性という点で出色の1冊。本当によい本が選ばれたと思う。同時受賞のクラリッセ・リスペクトルの小説『星の時』(福嶋伸洋訳、河出書房新社)はこれから。韓国文学とブラジル文学の同時受賞というのがうれしい。海外文学をもっともっと読みたい。

5月某日 東京・下北沢の本屋B&Bでは、サウダージ・ブックスより刊行した『「知らない」からはじまる—10代の娘に聞く韓国文学のこと』のフェアがはじまった。タイトルにある通り韓国文学をテーマにしたこの本の共著者である自分と高校生の娘(ま)の親子で、おすすめの作品をPOP付きで紹介。「知らない」刊行後、2022年に読んだ韓国文学の本も10冊選書し、「私たちは読みつづけている」と題してふたりでコメントを書いた。

https://suigyu.com/2022/06#post-8276

JR横浜駅で学校帰りの(ま)と待ち合わせをし、電車を乗り継いで下北沢のB&Bへ。若い書店員のMさん、Nさん、そして(ま)、年代の近い人たちの会話が弾み、高校生になると中学時代より活動範囲が広がって、スマホもあるし、遊びや部活や受験に忙しくなるし読書の時間が少なくなるよね、と。たしかにそうかも。こうしておしゃべりしているあいだにもフェアコーナーで本を手に取る人がいて感激した。Mさんは韓国ドラマに詳しい。帰宅後、B&Bですすめられて購入した『韓ドラ語辞典』(著者/高山和佳、イラスト/新家史子、誠光堂新光社)を読む。すごくおもしろい。

5月某日 三重・津のブックハウスひびうたで主宰するオンライン自主読書ゼミ「やわらかくひろげる」第10回を開催。課題図書は詩人・山尾三省の講義録『アニミズムという希望』(野草社)。テーマは「ついの栖」。場所、人生、生涯の仕事との出会いについて。三省さんが言う「森は/ひとつの大きな闇であり」というメッセージの意味を、それぞれの人生に照らし合わせて考える時間に。

5月某日 熊本日日新聞に、韓国の小説家イ・グミの『そこに私が行ってもいいですか?』(神谷丹路訳、里山社)の書評を寄稿した。読み応えのある重厚な歴史小説で、韓国では「青少年文学」として出版されていると知り、驚いた。神谷さんの翻訳が大変読みやすく、多くの人におすすめしたい。日本植民地時代の朝鮮半島に生まれた2人の少女の成長、彼女らの壮絶な旅の物語を通じて、生きることの切実さを問いかける小説。自分はこの本の最後のページを閉じた後、物語の世界に束の間登場し、消えていったさまざまな女性たちの行く末を想像した。

5月某日 沖縄復帰50年。「反復帰論」を唱えた琉球弧の詩人思想家・川満信一さんから手紙が届く。献呈した宮脇慎太郎写真集『UWAKAI』(サウダージ・ブックス)のお礼と激励が、詩的なことばで綴られている。川満さんは今年の4月で90歳になり、「自分の身体と精神を不思議なものを観るようにみています」とのこと。本を作ること、ことばを伝えること。仕事に対する気持ちを引き締める。

5月某日 大阪のNPOココペリ121で出版編集の勉強会をおこなうために関西出張。小田原駅から乗車した新幹線の車内では、韓国の作家ハン・ガンの『菜食主義者』(きむ ふな訳、クオン)を再読。すばらしい小説、すばらしい翻訳。

新大阪駅で地下鉄に乗り換えて緑地公園駅へ向かい、blackbird booksへ。新型コロナウイルス禍をあいだに挟んだ久しぶりの訪店で、喜びがこみ上げる。藤本徹さんの詩集『青葱を切る』を購入。新刊棚で手に取り、詩のことばも装幀もすばらしいと奥付をみたら、blackbird booksの発行。「しっかりしたことばを載せた本は売れます」と店主の吉川祥一郎さん。そういう本を自分も作ろうと思った。藤本さんの私家版の詩集『あまいへだたり』も購入した。

夜は勉強会の会場で、ココペリのスタッフのみなさんが心づくしの手料理をふるまってくれた。ロシア料理のボルシチとギリシヤ風サラダ。ごちそうまでした。

5月某日 夕方、大阪・豊中の服部天神駅へ。はじめて降りた駅、ホームには御神木の楠が生えていて屋根を突き抜けている。「足の神様」を祀るという服部天神宮でお参りをした後、 gallery 176でふたりの写真家、前川朋子さんと宮脇慎太郎の写真展「双眸 —四国より—」を。徳島在住の前川さんの写真をはじめて鑑賞する。身の回りの暮らしの風景の中に、流れ去る時間とは異なる《時そのもの》が降り積もる痕跡をじっと注視するような静かなまなざし。徳島について、ではなく徳島のかたわらで撮影するという姿勢に共感した。

一方、香川在住の宮脇慎太郎は四国・宇和海の風景と人びとを記録した写真集『UWAKAI』所収の作品を展示しており、こちらは対照的に「動」の印象。全体としてかなり大きなサイズになる海の組写真もあり、ダイナミック。展示を企画した写真家の木村孝さんの司会で前川さん、宮脇くんのギャラリートークもおこなわれた。会場には愛媛・南宇和出身の知人も京都から来てくれてうれしかった。

gallery 176は複数の写真家が共同で営む自主ギャラリー、木村さんらメンバー有志による写真冊子『服部天神』(176books)を購入。 また前川さんが写真作品を寄稿する「今、徳島で暮している女性たち」の文芸誌『巣』(あゆみ書房)も。これは、作家のなかむらあゆみさんが責任編集をつとめる本。旅の道中で読みはじめる。

5月某日 朝、大阪市内から阪急電鉄京都本線に乗り込み、東へ。途中下車して長谷川書店水無瀬駅前店に立ち寄り、ついで京都市内に入りKARAIMO BOOKS に。新刊の韓国文学コーナーを眺めていたら、「荷物のお届けで〜す」と郵便局の配達員が入ってきて、出版社クオンの新刊本が到着。ハン・ミファ『韓国の「街の本屋」の生存探究』(渡辺麻土香訳)がやってきた。お店を営む奥田直美さん、順平さんと本のこと、韓国文学のこと、これからの人生のことなどを話す。KARAIMO BOOKSが発行する冊子『唐芋通信』をもらった。

地下鉄やバスを乗り継いで古書・善行堂へ。お店では納品した宮脇慎太郎写真集『UWAKAI』が売り切れとのこと。ありがとうございます。店主の山本善行さんから「いい写真集」と言ってもらい、うれしかった。サウダージ・ブックスで制作した『UWAKAI』のリーフレットを善行さんに手渡す。時間切れでゆっくり棚を見られず残念。あわててタクシーに乗って京都駅に向かい、東京方面の最終の新幹線に滑り込んだ。

5月某日 普段は自宅に引きこもる生活なのだが、めずらしく外出がつづく。東京・新宿の新大久保でおこなわれた「李良枝没後30年」の集いに参加し、編集を担当し、刷り上がったばかりの李良枝エッセイ集『ことばの杖』(新泉者)を関係者のみなさまに届けた。李良枝は1992年に亡くなった在日コリアンの芥川賞作家。刊行を作家の命日である今日という日に間に合わせてよかった、と心の底から思った。

5月某日 文学フリマ東京にサウダージ・ブックスとして初出展。東京流通センターの会場では写真家で作家の植本一子さんと再会したのだが、何年ぶりのことだろう。植本さんのブースで日記本と書簡本(植本一子『ウィークリーウエモト』vol.1、『食卓記』、植本一子&滝口悠生『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』)と手ぬぐい、そして「植本一子謹製おみくじ」を買い、みごと大吉を引き当てた。横浜・妙蓮寺の本屋・生活綴方のメンバーや作家の安達茉莉子さん、ほかにも懐かしい人たちに会うことができて楽しい。

「文フリ」で何よりも感動したのは、未知の若い表現者たちとの出会いだった。短歌、フェミニズム文芸、冷麺研究、東アフリカ百合小説……。いずれもすばらしい作品で、会場に行かなければ知らなかっただろう。商業出版の業界の外にも、書物の沃野が広がっていることを再確認。入手したのは以下の本たち。

おしまい、浅井、笹沼の短歌『ヴィータ』
to『A is OK.』
『夏のカノープス』(夏のカノープス編集部)
『冷麺の麺は黄色か? 灰色か? 2021年日本で「冷麺」を食べ歩いて謎に迫る』
鹿紙路『ねごとだよりⅡ 征服されざる千年 試し読み』

文芸サークル「夏のカノープス」のブースで購入した『A is OK.』vol.2がすばらしい内容だった。著者は toさん。本文8ページのZineの特集は「トムボーイの将来」、K-POPグループの f(X)の元メンバーで現在は米国でソロ・アーティストとして活動するアンバーのことがテーマになっている。韓国の女性アイドルの中で「トムボーイ」「ボーイッシュ」を代表する存在だった台湾系アメリカ人のアンバー・リュー。音楽業界のさまざまな抑圧の中でみずからのスタイルを貫くアンバーのあり方を通じて、根深い「ジェンダー規範」を批判的に問い直す。toさんの文章は、「わたし」を抜きにしない真摯な文化批評として読み応えのあるものだった。

YouTubeでMVを見ると、アンバーはソロになってさらにのびのびと表現しているように感じる。「自由」を求めてひとりで歌い、踊るアンバーの姿はやっぱりかっこいいと思ったし、ひるがえって彼女が自分であることを貫けない世界っていやだな、とも思った。同じブースで購入したフェミニズム文芸誌『夏のカノープス』もなかなかすごい。批評、エッセイ・コラム、短歌で構成。帰りの電車で、眞鍋せいらさんの短歌「明け方ひとりでワルツを踊る」から読みはじめる。

帰宅するとすぐにYouTube番組「第32回 不忍ブックストリームⅡ」の「韓国本、なにから読めばいいの?」に娘の(ま)とともに出演。『「知らない」からはじまる』の著者として、最近読んだ韓国文学の話などをした。ご視聴いただいた皆様、また番組の南陀楼綾繁さん、瀬戸雄史さん、鈴木喜文さん、ありがとうございます。

ところで「K-POPに触れたきっかけは?」というライター・編集者の南陀楼さんの質問に対して、(ま)は「中1のときYouTubeのおすすめ動画でたまたまBTS の『血、汗、涙』のパフォーマンスを見て」と話していた。「そこからすべてがはじまった感じです」と。これは初耳。聞いたことがあるようで、なかったのだ。親子関係では、よくあること。「血、汗、涙」との出会い以降、(ま)はネットで韓国文化の情報を集めるようになり、やがて母親とともにソウルへBTS聖地巡礼の旅をして、父親のすすめで韓国文学を読むようになった。『「知らない」からはじまる』という韓国文学をテーマにしたわが親子本が生まれたのもBTSのおかげだ。

5月某日 仕事の外出の途中で東京・三軒茶屋の書店twililight に立ち寄り、カフェで「麦生のビスケット、アイスクリーム添え」を注文。これは、前田エマさんの初小説『動物になる日』(ちいさいミシマ社)刊行記念フェアのコラボメニュー。冷たくて、おいしかった。お店の奥の窓辺には 画家nakaban さんの絵がひっそりと置かれている。『動物になる日』を1冊予約。お店を出ると、下り坂の先に紫色の夕空が広がっていた。夏を感じた。

6月某日 ここのところ毎朝、『W・S・マーウィン選詩集』(連東孝子訳、思潮社)を読んでいる。アメリカ文学史の中で、こんなすばらしい野の詩人がいたなんて知らなかった。翻訳もブックデザインもすてきな、宝物にしたい一冊。

6月某日 近年の韓国文学の翻訳は小説が中心だけど、エッセイもいい。例えば『日刊イ・スラ』(原田里美・宮里綾羽訳、朝日出版社)。近づいたり、少し離れたり。共に生きる人との距離を測りつつ、私が私であることの内実を描き出すしなやかな文体が魅力的。「手紙の主語」という1編に感動し、以来すっかりイ・スラさんのファンになった。

6月某日 晴天の土曜日のお昼から下北沢の本屋B&B に在店。デッキに本の屋台を出し、『「知らない」からはじまる』フェアに関連して19名の人におすすめの韓国文学の本を(ついでに台湾文学も日本文学も)紹介した。楽しかったなあ。売上とは別に、「あ、これ読みたい!」ともっとも多く声があがったのが、ミン・ジヒョンの話題作『僕の狂ったフェミ彼女』(加藤慧訳、イースト・プレス)だった。でも、当たり前のことだが、目の前の読者の関心はじつに多様で小説、詩、エッセイ、ノンフィクションなどいろいろなジャンルの韓国文学の本が満遍なく手に取られたという印象。私物として持っていった『金芝河詩集』に反応してくれる若い人もいて感激。

下北沢では、念願叶ってBOOKSHOP TRAVELLER を訪問。ビルの3階まで階段を上がって中へ入ると、想像以上に広い本の空間だった。以前大阪のAISA BOOK MARKETで会った店主の和氣正幸さんに挨拶し、『Neverland Diner 二度と行けない台湾のあの店で』『Neverland Diner 二度と行けない下北沢のあの店で』(ケンエレブックス)の2冊を購入。ついで対抗文化専門のカフェ・バー&古本屋の気流舎へ流れ、居合わせた運営メンバーのハーポ部長とおしゃべり。アナキズム紙編集委員会が発行する『アナキズム』第26号に、ハーポ部長のエッセイ「学び逸れつつ継承するもの」が掲載。店名の由来となった真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)のことが書かれている。

新代田駅に移動し、夜のバックパックブックスを訪問。駅の目と鼻の先にあるお店には「旅」を感じさせる本がぎっしり。街路に開かれた、風通しの良いすてきな本屋さん。そこで一目惚れして購入したのが、エリザベト怜美さんの詩・訳/モノ・ホーミーさんの絵『YOU MADE ME A POET, GIRL ユー・メイド・ミー・ア・ポエット、ガール』(海の襟袖)だった。エリザベト怜美さんの詩はどれもすばらしく、冒頭に置かれたとりわけ解放的な作品「金星の月」を何度も読み返している。モノ・ホーミーさんの描く女の人たちの絵はどこか神話的な世界を感じさせるもの。ちいさな本のすべてがかっこいい!

6月某日 好天の江ノ島の浜辺で読書をした。小山田浩子さんのエッセイ集『パイプの中のかえる』(twililight)。とても良い本。そして美しい本。生きていく上で大切にしなければならないことを思い出させてくれた。エッセイ集の発行所でもある書店twililightで以前購入した際、付録としてもらった刊行記念インタビューの冊子も読んだ。いつか、小山田さんの小説をまとめて読もう。

6月某日 矢作多聞さん、つたさんの共著『美しいってなんだろう?』(世界思想社)が届く。「はじめに」の文章に引き込まれる。これから時間をかけて、矢萩さん親子の対話に耳を傾けたい。そして高松で古本屋YOMSを営む齋藤祐平の『人生は複数』も届く。彼はアーティストでもあり詩人でもあり、この本はスケッチと写真とアフォリズム的な文章から構成される冊子。《自分が書いた文章が詩なのかなんなのかよくわからなくても、文章をまとめ、それを口実に誰かに連絡を取ることは詩そのものだ》。いやあ、最高だ。

6月某日 ブックハウスひびうたで主宰する自主読書ゼミ「やわらかくひろげる」第11回を開催。課題図書は詩人・山尾三省の講義録『アニミズムという希望』(野草社)。テーマは「「出来事」というカミ」。参加者はみなそれぞれにカミ的な何かから「呼ばれている」らしい。とはいえ大げさなものではない、小さな声で。おもしろいエピソードが次々と出て笑い声がたえない。

6月某日 東京・渋谷のユーロスペースで、ヤン・ヨンヒ監督『スープとイデオロギー』を観る。在日コリアンの家族を記録しつづける監督の年老いた母(オモニ)は1948年に起こった「済州島4・3事件」のただ中にいたという。鑑賞後に残された問いは、ずっしりと重い。でもすばらしい映画だった。

「4・3事件」について簡単に記すことはできないが、監督の家族ドキュメンタリー『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』を含むすべての作品を観ているものとして、「観徳亭…」というつぶやきからはじまる証言は驚きの内容だった。前作でオモニがこの事件を匂わせる発言をしたことは一切なかったと思う。2018年、「4・3」で虐殺された島民を慰霊する70周年追悼式に参加するため、監督はパートナーの荒井カオルさんと共にオモニを連れて大阪から故郷の済州島へ。長年語らなかったことを語りはじめたその時、オモニの認知症が進行していた。自分は不思議な縁があって60周年の式に家族とともに出席し、大阪の路地の風景にもなじみがある。そういうこともあり、映像を前にして胸がいっぱいになった。

『スープとイデオロギー』での旅するオモニの姿を観て、人間の記憶には尊厳があり、忘れにも尊厳があることを知った。忘れることは必ずしも過去の痛みを失うことではなく、言葉ではなくからだで覚えていることでもあるのだろう。しゃべる(語る)舌の手前のところに、しゃぶる(味わう)舌があるのだ。語らずとも味わう舌で飲み込み、腹の底に沈めた思いもまた、いまここに実在するにちがいない。おし黙るその思いに、後からやってきた者はどんな顔で対面すればいいのだろう……。映画館を出て熱い鶏スープを食べたくなり、そして雨の坂道を下りながら、オモニの肩を揉み、オモニの子の背中をさする荒井さんの手を思い出した。

6月某日 頭の中に作りたい本の構想があったのだが、すでに編集者の久保覚が執筆し、没後に書籍化されていた。『古書発見 女たちの本を追って』(影書房)。《女性創造者・活動家の埋もれた仕事に光をあて、女性の書き手を発掘し…》(編者の「はしがき」より)。彼のこういう一面はあまり知らなかった。『古書発見』(影書房)の中で、著者である久保覚は在野の思想家・戸井田道三のあることばと表情を記している。

《戸井田さんは突然、窓の外を指さしながら、こう言いました。/「キミ。歩いて行くあの娘たちが、このきれいな風景をさらに美しくしていると思わないか。あの娘たちが自分のクニの服を着て、生きいきと歩いている姿を見ることができるのは、本当にうれしいことだね。あの娘たちがあの服を着ることができず、そして、もし暗い顔をして歩いていたら、疑いもなく日本が悪い社会になっている証拠だよ」と。/戸井田さんの指さす窓の向こうにみえたのは…チマ・チョゴリ姿の五・六人の女子高校生たちのグループでした。》

続けて著者が書いているように、日本は確実に——彼が本書を執筆した時代よりもはるかに——「悪い社会」に成り果てていると言わなければならない。戸井田さんが、「ヘイト」なる人種主義的暴力の横行するするいまの日本社会をみたらどう思うだろう。そして1960年代後半に女子高校生だった彼女らは、その後どうなったのだろう。

6月某日 きょうは打ち合わせのあと、地元で何軒か本屋さんと図書館をまわりたいと考えているが、ウクライナの作家ワシーリー・グロスマンの小説の翻訳本に出会えるかどうか。その前にここ数年続々と刊行されているJ・M・G・ル・クレジオの小説の翻訳も読んでおきたい。いまは、韓国を舞台にした『ビトナ』(中地義和訳、作品社)を読書中。

6月某日 詩人・作家の森崎和江さんの訃報。享年95。ああ…。

 生まれたところ そこがふるさと
 などとわたしにいえるはずもない
 そこはあなたのふるさと
 …
   ここは地の底
 旅ゆくところ
 いのちの根のくに 旅のそら
 ——森崎和江「旅ゆくところ」

6月某日 渋谷のユーロスペースで映画『スープとイデオロギー』を鑑賞。2回目、今度は高校生の娘の(ま)とともに。そのせいか、映画の中で描かれる親子関係についていろいろと新しい気づきがあった。上映後は109に入っている韓国・済州島発の自然派コスメの店、イニスフリーでの買い物につきあったあと、界隈を散策して韓国料理屋で参鶏湯定食を(この作品を観ると食べたくなる)。映画の感想を聞くと、(ま)は幼い頃に旅した島のことを思い出したようだった。

翌日、日暮里で済州島4・3抗争74周年追悼の集いに参加。会場では『スープとイデオロギー』にも登場する済州4・3研究所所長、ホ・ヨンソンさんの詩集『海女たち』(姜信子・趙倫子訳、新泉社)を販売していた。多くの人に読んでもらいたい1冊。今年は、この詩集でも語られる済州海女抗日闘争90周年の年でもある。自分は出版社・新幹社のブースで代表の高二三さんからすすめられ、金蒼生の小説『風の声』を購入した。

6月某日 西への旅は大阪から。先月と同じく新大阪駅から緑地公園駅に直行し、blackbird books に駆け足で立ち寄る。店内で、藤本徹さん詩集『青葱を切る』刊行記念の詩と絵の展示を鑑賞。詩「青葱を切る」のテキストをプリントした青と白の大きな布が展示されていて、これがとてもよかった。西淑さんによる装画の原画も。新刊棚には、編集を担当したハン・ガン詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』(きむ ふな・斎藤真理子訳、クオン)が面出しでPOPを添えて並べられていた。「すごくよかったです」と店主の吉川祥一郎さんがおっしゃっていてうれしい。花店を併設しているので、お店にはいつも美しい植物がたくさん並べられている。身も心もやすらぐ。

6月某日 NPOココペリ121で出版編集の勉強会を終え、手製のハンガリー料理をいただいて一泊し、翌朝は難波駅から高速バスに乗車。瀬戸内海を眺めながら四国へ向かうにつれて独特の懐かしさがこみあげてくる。徳島のうつわと暮らしのもののお店 nagaya.を訪ねるのは何年ぶりのことだろう。お店の近くにある地元の書店・平惣でほしかった『徳島文学』4&5号を購入してから、nagaya.を営む吉田絵美さんと再会。4年ぶりぐらいだろう。

nagaya.では、宮脇慎太郎写真集『UWAKAI』刊行記念のトークイベント「地方で、地元で、表現すること」をおこなった。著者の宮脇慎太郎、徳島発の文芸誌『巣』を主宰するなかむらあゆみさん、そしてサウダージ・ブックス編集人である自分も出演。作家のなかむらさんの司会進行がしっかりしていて、質問に答えているうちに時間切れに。文芸誌『巣』のことをもっと聞きたかったのに……。でも、宮脇慎太郎写真集『UWAKAI』となかむらさんの小説「巣」が《ステテコ》でつながる点を発見できたのはよかった。イベント終了後は宮脇くんの運転で夜の高松へドライブ。古本屋のYOMSと本屋ルヌガンガに立ち寄り、本好きの面々とお酒とご飯の店・時宅に集まり遅めの食事。

6月某日 朝目覚めると、蝉が鳴いている。高松の定宿近くの温泉で朝風呂に浸かり、瓦町の南珈琲でモーニング。コーヒーとトーストで税込300円代。午後はYさんと落ち合い、書き下ろしの新著の打ち合わせ。帰りはJR高松駅からマリンライナーで瀬戸大橋を渡って岡山へ、そこから東京方面の新幹線「ひかり」に乗り換え。

6月某日 文芸誌『巣』を読了。なかむらあゆみさんの小説「巣」が不思議な味わい。女性たちの集う少し現実から離れた世界で、少し斜めから見られた人間の生きづらさの独特の陰影が浮き彫りにされる。巣とはなんだろう。動物の巣、人間の巣。共同体と継承ということについて考えている。

久保訓子さん「砂の鳥」、髙田友季子さん「後を追う」もすばらしい小説だった。砂嵐、あるいは家族。抑圧の気配の中で決壊寸前の感情を抱えて生きる女性たちのリアリティをそれぞれのやり方で描き尽くしていて息をのんだ。不穏なもの、という読後の印象が「巣」を含めた3作に共通すると思う。短歌もエッセイも「三番叟まわし」のお話も興味深い作品で、文芸誌『巣』は最初から最後まで読み通したい本だった。

いつのまに梅雨が明けたのだろうか。雨を感じないまま、猛暑の日々がはじまった。