コロナと育児(2)

西荻なな

◯月×日(生後152日)
きょうで生後5ヶ月。体重は8kgが目前だ。体重は平均より少し上、身長はほぼ平均値で順調な成長を見せている。首もしっかりすわり、両親の食事風景を興味深そうに眺めてみたり、唾液の量が増えてきたならば、そろそろ離乳食のタイミングがやってきた、ということになるらしい。往々にしてそれが生後5ヶ月から6ヶ月の頃。5ヶ月の時点でその条件を満たしていればはじめてみてもいい、ということで、どうも食欲旺盛で物足りなさを覚えている感じの様子をみながら、ちょうどぴったり5ヶ月の今日、離乳食をはじめてみた。まずは水とお米の量を10対1の加減で炊いた10倍粥を小さじ一杯から。重湯よりはもう少しもったりするくらいの粘度。小さじにすくってとんとんと下唇にサジの先で触れてみると、口を動かして能動的な姿勢を見せてくれた。初めてなのに上手にサジを口に入れる。口に入れた後も吐き出すこともなく、ごくんと飲み込んでくれた。これは順調に進めそうだ。

ところでこの4、5日間悩まされているのは、夜中の頻回授乳。なぜだか新生児の時並みにお腹が空いたと夜中に泣いて起こされる。2時間に1度くらいのペースだからこちらも寝ていられない。一度はこちらが起こさない限り起きないほどに睡眠時間がのびていたのに、時計の針を巻き戻したかのよう。なぜなのかわからず困り果てネットで検索してみると、ちょうど生後5ヶ月頃に授乳間隔が再び短くなってくる子どもがいるらしく、「睡眠退行」というらしい。平均的には1日5〜6回くらいにまで授乳回数が減り、授乳タイミングも毎日スケジュールが定まってきていて、母親はだいぶ楽に育児をできるようになっている、と育児アプリなどには書き込まれているが、我が子はというと昼間も授乳間隔が2時間空けばまだいいほうで、夜などは30分おきだったりする。身体的なきつさは500メートルくらいの中距離走を何本か連続でこなしているようで、これはほんとにしんどい。

離乳食を始めると徐々に頻回授乳も睡眠退行も解消されていく問題らしいけれど、お粥小さじ1レベルの今では、まだまだ先のことに思われてしまう。頻回授乳をすぐに解消するのは難しくとも、お昼寝の少なさをなんとかできないか。寝てくれれば間隔も自ずとあいてくるだろう、とベビーカーに乗せて頻繁にお散歩に出かけるようにすることにした。この晴れ間のない梅雨の合間をぬって。それにしてもいつしか力も強くなっていて、パシパシパシと手で叩かれたり、二の腕をぎゅうとつねられたり、足でどどんと蹴られたりする。指先の動きも器用になり、つかむ力も着実に強くなっている。タオルもビニール袋もティッシュもなんでもつかんでしまう。顔は柔和で優しげなのに、力の加減しないパワフルさに男の子であるなあ、と思うこと度々だ。あと成長といえば、お風呂上がりに突然、スイッチが入ったかのように一人おしゃべりを始めることが増えた。今日もひとしきりおしゃべりして、そのうち泣き出して、大泣きになり、授乳をしたらコテンと寝た。なぜかモーツァルトのメヌエットを口ずさむと、曲が終わる頃にウトウトし始めて入眠への助走となることが多いのだけど、夜の泣きにはとうとうきかず、授乳に流れてしまった。早く眠るのが上手になってほしい。すべては睡眠の質にあり、という気がしてならない。

◯月×日(生後158日)
昨晩は大泣きで大変であった。お風呂上がりに授乳をしてベッドに寝かせたのが19時30分。この時点ではご機嫌だった。しかし、お風呂上がりの運動タイムを終え、いつものように一人おしゃべりを始めると、おしゃべりの様相がだんだんとカオスをきわめていつのまにか収まりのつかない強い泣きに変わった。耳をつんざくような、空気が張り裂けそうな泣き声になり、お手上げ状態。授乳をしても、扇子であおいでも、トントンしても抱っこをしてもダメ。お昼寝のぐずりの時は抱っこ紐に入れてストンと寝てくれることが多いので、抱っこ紐を持ち出してみるが、眠りにおちてくれない。しまいにはひとしきり泣いたところでミルクを足してみて解決したが、そこまで1時間以上泣きっぱなしだった。これが夜泣きというものだろうか。でも、夜泣きの定義は、寝ていたところから急に泣いて起きることらしいので、ちょっと違う。眠れなくてぐずぐず、の寝ぐずりなのだろうか、泣きのパワーが強烈すぎるけれども。

それにしても眠る前に突然、あーうー、あーうー、としゃべり出す様は、何度聞いてもまるで地球外生命体との交信のように思われてしまう。きっと月から「きょうの地球の様子はどうだ、報告してくれ」「そろそろこっちに帰って来たらどうだ、七夕も近いし」とか言われて、「やだやだ、そろそろ地球にも慣れてきたんだから絶対嫌だ」と板挟みの辛さゆえの泣きなのではないか、と妄想が膨らんでしまう。脳の急速な発達で、昼間に浴びたたくさんの情報を処理しきれずに泣く、というのが夜泣きのメカニズムの有力説らしいけど、そうはいってもはっきりと解明されていないのだから、妄想が現実に近いことだってあるかもしれない。でもミルクを足したおかげなのか、6時間くらいその後は連続で寝てくれて助かった。実に久しぶりによく眠れた気がする。

◯月×日(生後163日)
今朝は家から徒歩3分の保育園見学へ子どもを連れて行ってきた。コロナ対策で保育園見学をしたくてもできない時期が続いたが、ようやく7月になって各保育園がちらほらと再開してくれるようになった。1日1組、もしくは2組の限定対応。マスクはマストだし、入り口で検温もするという。案内してくださった園長先生は朗らかな雰囲気の方で、お庭から園の中を案内してくださる。「今はコロナ対応でお休みしているんですけれどもね、毎年園庭ではこの大きな滑り台を使ってスライダーのように夏のプールを楽しむんです」「コロナ対応で今日は入っていただけないけれども、こちらが0歳と1歳児の保育室です」などなど。

途中、もう一人の保育士さんが加わって、園の説明をしてくださるというので、もうひと組のお母さんとともに椅子に腰掛け、スライドの説明を聞くことに。保育士さんとの間には透明の幕を挟む格好で。説明が進むにつれ、膝の上でご機嫌にしていた子どもがぐずり始めた。保育士さんの説明に、ぐずりの合いの手を入れてゆく。泣き止んでくれるといいなあと膝の上であやしていると、脇で説明を聞いていた園長先生が「よかったらちょっと預かりますよ」と受け取ってくださった。はじめてなのに落ち着くのか、とてもいい子にしてる。グズグズが次第に落ち着いたかと思うと、園長先生の腕に自分の手を絡ませた。和やかな空気が流れる。説明ももう終盤という頃、園長先生の腕に手を絡ませたまま、スヤスヤと寝息を立て始めた! それは幸せそうな実にいいシーンで、別れ際、なんとなく別れがたい気持ちに。園長先生も「色白のハンサムボーイですねえ。預けていってくださっても大丈夫ですよ(笑)」と目尻が下がっていた。家族以外の人に抱っこしてもらったことが思えばなかったものなあ、人見知りもせずに嬉しい気持ちになった。

◯月×日(生後167日)
離乳食はあいかわらず順調。いつもこんなに食べて大丈夫かしら、と心配になるほどの食欲で、一昨日からお粥と野菜に、タンパク質も加わった。きょうのメニューはかぼちゃのマッシュ、10倍粥、そして火を通した豆腐。いつも準備を始めると嗅覚が刺激されるのか、お腹が空いたと泣き始めてしまうので、こちらも気持ちが焦る。品目数が3になると、なかなか用意も大変だ。お粥と豆腐は濾さなくても大丈夫かな?と濾すのを怠ったら、やはり粒子が大きいのか、いつもより食べるのがスローに。ここは面倒でも丁寧に濾すべきなのかも。来週からは冷凍の裏ごし済の野菜にも頼ろうと思う。      

夕方はぐずぐずぐずぐず、夕食前にも大きな声で泣いていた。外の風がそよそよ入ってくるのが好きなので、家の通り沿いの窓を開け放っていたところ、お散歩で家の前に差しかかった3歳くらいの男の子が「赤ちゃんが泣いてる!」と言って通り過ぎて行った。そう、そうだよ! と、それを聞いて新鮮な気持ちに。妊娠前の私が同じように赤ちゃんの泣き声に反応することはなかったんじゃないかな。どこかの家の中から赤ちゃんの泣き声がしたとしても、その泣き声に彼のように耳がとまることはなかったような気がする。彼にとっては、赤ちゃんの存在が年齢的にも、そして存在的にも近しいのだな、と感じ入ってしまった。保育園見学に行ったときに、そういえば我が子は0.1歳児のお部屋前で興味深そうに中を眺めていたけれど、同い年くらいの子どもを見て何か思うところはあるのかな。どんなふうに赤ちゃんの存在が目に映るのかな、と時々とても気になる。

◯月×日(生後171日)
一昨日あたりから発語のパターンに複雑さが加わり、「ぱっ、ぱっ」と破裂音を出して遊ぶようになった。これはパパというワードを口にする日も近いか、と思うけれど、その日の夜中3時くらいに突然起きて、一人で5分ほどしゃべり続けたのには驚いた。喃語とはいえ語彙数がいつもよりもずっと多く、うんぬ、うんま、という言葉も聞こえたような気がする。朝になると、そのおしゃべりの記憶がすっかり遠のくので、その驚きを記憶に鮮明にとどめることができないのが残念でならないが、確かにおしゃべりだ。寝返り返りも完璧に習得したので、寝返り→寝返り返り→寝返り、と連続技を決めることも度々。気づくと「ワープしてる!」と叫んでしまう大移動をしているので目が離せない。でもまだ前進するのは難しいみたいで、それゆえに悔し泣きをしている場面に遭遇する。どうすればハイハイができるのかな? 何か成功体験が必要なのかもしれない。

◯月×日(生後176日)
子どもの動きがダイナミックになってきたので、それまで大人のベッドの上にちょこんと乗せていたベッドインベッドを取り払って、同じベッドの上で寝かせてみることにした。ベッドインベッドのちょっとした高さを乗り越えて大人のベッドにダイブしてきてしまうので、そのタイミングがいつやってくるのかわからないとちょっと危ないだろう、と止むを得ずの判断だったのだが、広い荒野に放たれた途端、ハッスルして目は爛々、さらに活動の幅が広がってしまった。ベッドの端から端まで、面を最大限に活用して、ごろんごろんごろん、止まることなく転がり続ける。一方向に転がるばかりか、途中で時計の針のように方向転換をすることも覚えた。寝返り返りも簡単にできる今、ひとりでに転がり続けるので、部屋の端っこにある新たに「壁」や「カーテン」を発見してその質感を確かめるのにも余念がない。カーテンを両腕で抱えて戯れたり、壁に爪を立ててカリカリとその音を楽しんでいたりする。

◯月×日(生後178日)
梅雨の開けない空の重たい毎日。おそらく低気圧にやられたのかな、と具合が悪そうに目覚めた夫が言う。身体が気だるいようで、言葉も少なくなんだかしんどそうだ。いつも一緒に連れて行く散歩もちょっとしんどいと私ひとりで行くことに。もりもりと食べるご飯も控えめでさすがに心配になる。夕方になり、さらに倦怠感が強いというので熱をはかると37度5分の微熱。まったく身に覚えがないけれど、もしやコロナか? と、いざと言う時に備えて夫には別の部屋で寝てもらうことにした。夫婦でコロナに感染しては、乳児の子育てをどうしたらいいだろう。乳児に感染しないとも限らない。コロナの症状について慌てて検索すると同時に、家の窓という窓を開け、トイレや風呂の拭き掃除を夜中から開始し、とれる対策をすべてとった。翌日には平熱に下がったものの、その翌日、恐れていた事態が。朝になり微熱、夜になると38度7分まで熱が上がった。これはもう、コロナに間違いないだろうと判断。祝日ゆえ保健所の電話がつながらないが、明日になっても下がらなければ保健所経由でPCR検査を頼もうと心に誓う。別室で起き上がれない夫に、家庭内ソーシャルディスタンスで食事と飲み物だけを渡し、子どもと別室でご飯を食べ、寝る。家事と育児だけで1日が終わり、いつにも増して隙間がなく、心理的にも辛い。すでに感染していたらどうしよう、と頭を離れずよく眠れない。翌朝、微熱に下がり、だるさも抜けたという言葉にほっとして、軽症のコロナだった可能性も拭えないが、日常生活へと再び戻っていった。

◯月×日(生後182日)
きょうは生後6ヶ月、ハーフバースデー。もう生まれて半年も経ったのか、と驚いてしまう。まだ出産したのが昨日のことのようでもある。体重は8300g。ムチムチしているだけでなくて、相変わらず軽やかに動き回る。こちらの体めがけて頭をドリルのように突進してきたり、寝た姿勢で両足をばたんばたんと振り下ろしたり、腕をコアラのようにつかんできたりする。エアコンのリモコンとかスマホとかティッシュ箱など、サイズが大きい直方体のものもつかむようになった。エアコン操作ボタンを押して暖房機能に設定を変えてしまったり、電気の明るさ調整ボタンを押して部屋を暗くしたりしている。成長を感じるところは他にもいろいろあるけれど、中でも「笑い」に成長ぶりと独自のセンスを感じる。こちらがモノを床に落としてキャハハ、お菓子の袋が破けなくてキャハハ、私の体操ポーズを見てキャハハ。オノマトペの音にキャハハ。他にもたくさんあるのだが、すぐ忘れてしまう。でもセンスがいいな、とその都度思うのは確か。疲れていても笑いに癒されることが多いのは幸せだ。着実に新しいステージに入っている。

数日前、家庭内コロナ感染の危機があった時には、はじめて母娘ふたりの生活を寝室ですることになり、はじめて私も敏さんをお風呂に入れ、ワンオペ育児の大変さを体感したけれど、裏を返せばいつも3人の生活が基本にあるということ。ありがたいかぎりだ。私もコロナにかかって入院生活するかもと思ったときには、入院の連想で不思議と出産の日々のことを思い返していた。ひとりベッドに横たわり、硬膜外麻酔をしてからまだ今日は生まれない、そして心拍が落ちはじめて足にマッサージ機器をとりつけ、口には酸素マスクを当て、しだいに装備が増えてゆくのは怖かった。思えば酸素マスクもつけていた。酸素濃度を指先ではかるオシレーターをつけたのも初めてだった。いまやすっかりパワフル元気な子どもが隣にいるけれど、緊急帝王切開でお腹を開けてみるまでは、本当に元気かどうかもわからなかった。

たまたま昨晩、高校の同級生チャットで生殖医療と出産をめぐる技術の進歩と倫理について話が盛り上がっていて(そのうち、医師が3人いる)、代理母出産をはじめとする出産にも話が及んだのだが、数々の出産立会経験のある小児科医の友人が、「出産はやっぱり大なり小なりリスクがあって、残念ながら悲しい顛末の出産に立ち会うことも何度もあった。母子ともに健康というのは本当に奇跡」と書いていて、本当にそう、奇跡なのだ、と反芻していた。このチャットのメンバーの一人は、1週間前にコロナの中、3人目の子どもを産んだ。立ち会い出産ができないことを残念がっていたし、入院直前には夫の発熱があり、夫婦二人でPCR検査を受けるというストレスフルな状況を経験したようだったが、何事もなく無事に生まれて本当に良かった。コロナの心配と隣り合わせの中で子どもを産むストレスは想像に難くない。こんな時だからこそ、命が生まれることもいっそう奇跡に感じられる。生後半年、これから胎児の時に私から授かった免疫が切れて、風邪をひきやすくなったり病気になったりしやすくなるみたいだけれど、どうか健康に育ってくれますように。