本小屋から(4)

福島亮

 夏が終わった——と感じる瞬間がある。夕方、空一面に広がる鰯雲を見てそう感じる人もいれば、夜道を歩いていてふと聞こえてくる虫の音によって夏の終わりに気づく人もいるだろう。私の場合、その瞬間は、川面の色の変化に気づいた時だった。

 多摩川河川敷を歩いたり、走ったりしているのだが、ある日の暮れ近く、川面が朱色に染まる瞬間を見て、もう夏は終わってしまったのだ、と思った。あの朱色をどう表現したらよいかわからない。紅鮭色ともいえそうだし、朱鷺色ともいえそうだ。その色が川面に現れるのは、時間としてはほんの数分のことなのだが、それを見た瞬間、もう夏は終わってしまったのだ、と思った。久しぶりの感覚だった。群馬で暮らしていた頃、やはり近くを流れる吾妻川を見て、季節の移ろいを感じていた。忘れていたその感覚が、川を介して再帰したのかもしれない。

 川面の朱色と張り合うように、葛の茂みから真っ赤なカンナが何本も突き出しているのを、ある日見つけた。ダンドク、と和名で呼ばれるこの植物について、博物学者の磯野直秀が「明治前園芸植物渡来年表」に記すところを見ると、すでに寛文4年(西暦1664年)にはダンドクという名前が文献に見つかるという。学名でいうならば、Canna indica。インド(indica)とついているが、これは西インド諸島、つまりカリブ海のことだ。「ダンドク」という和名も、おそらくこの「インド」に由来するのだろう。英語ではカンナのことを「インディアン・ショット」とも呼ぶらしい。黒い種子が散弾のように見えるからである。その用例は、アイルランド出身の博物学者ハンス・スローンのカリブ海調査旅行記(1725年)に見つかるから、「インディアン」の参照先はここでも西インド諸島なのだろう。

 マルティニックでは、カンナのことをトロマン、あるいはバリジエと呼ぶ。トロマンはカンナの地下茎からとった澱粉のことも指す。市場に行けば、バリジエの切花が売られている。しなやかな長い茎に、火炎紋様のような真っ赤な花をつけたバリジエ。それはマルティニックを象徴する花だ。だからなのか、カンナの花が葛原のなかに赤い火の粉を散らしているのを見つけた時は、なんだか不思議な感じがした。マルティニックで見たバリジエの火炎が、地球の反対側のここ多摩川に噴き出しているように思えたのである。

 じっさい、植物は国境線などお構いなしに伝播する。多摩川の岸辺には地球の裏側の植物が「帰化」しており——「帰化」という語には、もともと服従的な語義があるけれども、「帰化」した植物たちはこの語義とはずいぶん遠い位置にいる——、例えば川縁を歩けば、ウチワゼニクサ、つまり、ウォーターマッシュルームと呼ばれて珍重されるあの植物が群生しているし、その近くをよく見ると、ゴワゴワと筋張った葉に、サイケデリックな散形花序をつけたランタナが生えていたりする。

 先日、本小屋の窓辺にやってきた来客も、そういえば、「外来種」であるらしい。キマダラカメムシのことである。カメムシというと、嫌な臭気を発するから毛嫌いされるけれども、その日は、この来客をじっくり観察することにした。濃い灰色の地に、星を散らしたような淡い黄色の模様があり、ゆっくりと歩む姿は堂々としている。彼らがここにいることをどう受け止めるのか、というやや距離を置いた視線と、精密な体の作りに見とれる没入した視線とを行ったり来たりしているうちに、キマダラカメムシはどこかへ行ってしまった。

 本小屋に引っ越してから数ヶ月たち、ようやく小屋の周辺にひしめく書かれていない文字たちを読む気持ちが動き始めたようだ。晩夏の訪れを知らせるあの川面の色は、その最初の徴だったのだと思う。