立山が見える窓(6)

福島亮

 それまで必死に漕いでいた自転車のペダルが富山大橋のなかほどでふと軽くなり、アスファルトに注いでいた視線を、深く息を吐きながらあげると、眼前に、立山連峰の白い壁が見える。つい数日前、ある人から、刊行されたばかりの関健作さんの『マインド・エベレスト』(Type Slowly、2025年)という本を見せてもらったのだが、その時ふと、富山大橋から眺めた立山の厳しさを想起した。立山を見ていると、あれを歩いて越すことはとてもできないだろう、という諦めにも似た気持ちが湧いてくる。それは東京や群馬にいた頃には感じたことのない気持ちだった。

 関東平野に位置する生家の脇には吾妻川という川が流れている。草津の方から流れてくるその水は、かつては酸性が強く、魚の住めない死の川と呼ばれていたが、1965年、中之条町に品木ダムが完成し、川水に石灰を投入して中和する試みが開始すると、徐々に魚が住むようになった。私が生まれたのは、この中和事業開始からだいぶ経ってからのことなので、川で遊んでいると小魚をよく見かけたものだ。でも、十歳くらいの頃の私は、川の来歴やそこで捕まえることのできる小魚よりも、むしろそれが利根川の支流であるということの方が重要で、というのも川の流れに乗っていけば、そのまま東京まで行くことができると何かの本で読んだからだ。関東平野に暮らす人間にとって、山はあまり閉鎖的な印象を与えず、むしろ太い血管のように走る河川の開放感の方が強い。富山にも、神通川が流れていて、それは海に注いでいるのだが、しかしどうしたことか、そこに開放感はない。連峰が真っ白になってから、この閉塞感はより強まった気がするのだが、しかし、閉塞感というにはあまりに山並みが壮大で、それは閉塞感というよりも、圧倒されている感覚という方が正確だと思う。

 去年の4月からここでの生活が始まったので、まだ本格的な富山の冬は経験していない。11月のはじめ、うっかりベランダに出しっぱなしにしていたバオバブの葉が黄色くなっているのを見つけて、あわてて部屋に入れた。最初の頃は、枝についていたキマダラカメムシが部屋の中を歩いていることがあって、冬の間はできるだけ彼らを刺激せずに生活することになるだろう、と観念していたのだが、12月に入る頃にはバオバブの葉もすべて落ち、それと同時にカメムシもいなくなった。多摩川沿いに住んでいた頃から、バオバブにこの外来種の大型カメムシが寄ってくることが気になっていた。もともと東南アジアに生息する昆虫らしいが、温暖化の影響でここ最近では、本州でもよく見られるという。灰色がかった体に、薄黄色の小さな点が星座早見盤のように並ぶこの美しい昆虫をはじめて見たのは2年前のことだ。その時は、12月初旬に鉢を室内に入れると、春先まで、ときどき窓辺でこのやや大ぶりな昆虫を見かけることがあったのだが、富山ではどうもそうではないようだ。死んでしまったのか、それともどこか暖かいところで越冬しているのかわからないけれども、いずれにせよ、あの熱帯昆虫と再会するのはしばらく先になるだろう。バオバブの耐寒限度は5度だというから、春になって、彼らがまた芽を吹いてくれればの話ではあるのだが。