去年の、いつごろだったか。庭の草がどんどん伸びてきて、ある朝、そうしようと決めたのだから、五月くらいだろうか。のちに習慣になったことの、最初の日を思い出すのは難しい。ともかく、ある朝、わたしは家のまわりを歩くことをはじめた。
庭の草を、わたしはあまり頻繁に刈らない。自生する草が季節を追って絶えず入れ替わる様子が面白く、きれいなので、見ていたい。また、単に無精でもある。だから、特に草の生長が著しい時期には、膝まで埋まる高さになり、分け入るのも億劫なほどになってくる。
とりわけ、隣家の車庫と対面している側は、うちの外壁と、境界柵および車庫のポリカ波板に挟まれた、廊下くらいの幅の土地に、丈の高い草が繁茂しているのが、気になっていた。風通しが悪く、湿気や虫が隣の敷地にも影響をおよぼしていそうだ。本当はここだけでも、こまめに刈ったほうがいい。
雑草や虫を排除しない庭づくりを実践する植木屋、ひきちガーデンサービス(曳地トシ、曳地義治)の『雑草と楽しむ庭づくり』は、勝手に生える草を目の仇にせず、かといって放置するのでもなく、庭としての心地良さを保ちながらうまく付き合うための方法を示す。そのなかで、雑草を生やさない方法として筆頭に挙がっているのが、「踏む」こと。狭い範囲なら、毎日歩けば、その部分は道になり、草は生えない。
そこで、去年のある朝、思いたって、歩くことにした。長靴を穿いて、外へ出る。それまでも、朝は大抵、一度外へ出て、鳥の水場の水を替えていたけれど、そのあとすぐ家へ戻らずに、家のまわりを一周した。
庭の広い部分のあちこちに植えた木の苗が、よく育ったり、あまり育たなかったりしているのを、順々に訪ねていく。手入れをするわけではないが、とりあえず、近づいて、名前を呼ぶ。ミツマタ。シナノキ。ボケ。サンショウ。ハギ。クロモジ。トキワエゴ。ネムノキ。アンズ。イチジク。アーモンド。コブシ。サラサドウダン。
家の裏手に入る。ここは物干し竿の下に、知り合いの工務店の倉庫で安く譲ってもらった半端物の敷石を自分で敷いたから、草に埋もれてはいない。
チャノキの植わった角を曲がると、いよいよ隣家との境の回廊だ。膝を越すくらいの草が生え、左手にある自宅の外壁も、右手にある境界柵と波板も、ツタやその他の蔓草に覆われているので、下からも左右からも緑に囲まれて、小さな虫が飛び交い、薄暗い。一瞬ひるむけれど、枯れ枝を手に、蔓や蚊やクモの巣を振りはらいながら思いきりよく踏みこんでみれば、自分の進む分だけ、ひらけてくる感じがある。毎日暮らす家の壁沿いなのに、一歩ごとに新しい景色が見えた。
狭い通路の終わる角には、屋根まで届く高さのカイヅカイブキがあり、その枝と、枝に絡まったキヅタが、頭上にアーチをつくっている。くぐり抜けると、急に視界が明るくなって、家の正面側の、見慣れた場所に出た。当たり前のことなのだが、不思議な気がして、しばらくたたずんだ。
次の日も、同じコースを歩いてみた。何日かそうしてから、逆方向に回ってみようと思いついた。逆から回ると、また見えるものが違う。
一日一回とか、右回りと左回りを交互に、などとルールめいたものを定めると重荷になる。だから、特になにも決めず、水を替えに戸を開けて外へ出たときの気分で、右へ行ったり、左へ行ったり、まわらずに家に戻ったりした。水替え自体、忙しかったり雨が降ったりしていれば、やらない。
その程度であっても、なんとなくつづけているうちに、気がつけば、わたしの足が踏む範囲は草が消え、名前を呼ぶ木々を結んでから裏手をめぐって隣家との境を通る、踏み固められた土の小径がついていた。
*
そうやって、小径を歩きつづけ、夏の終わりに差しかかったころ、隣家との境の薄暗い通路に入るあたりで、トンボともチョウともつかない、一羽の昆虫が目に入った。
全体の形はトンボに近いけれど、やや幅の広い翅は少し青みがかって見える艶消しの深い黒で、細い胴体は金属光沢のある青緑色。そして、飛び方はチョウに似て、はたはたと翅を上下させながら、ゆっくりと飛ぶ。留まるときも、チョウのように左右の翅を閉じる。
トンボの緊張感と、チョウのたおやかさとを併せもつ、黒ビロードとエメラルドの色合いをしたものが、壁沿いの暗いところをひっそりと飛んでいく。見あげていると、なにか夢を見ている気分になった。
室内に戻ってから調べると、ハグロトンボというトンボの一種だった。翅が黒く胴体が青いのは、オス。メスは胴体もふくめて黒い。特徴のひとつに、翅をはためかせて飛ぶときにパタタタ……と小さな音を立てる、との記述があり、飛ぶ姿に静けさを感じたのはそのせいもあったのだと、納得した。
次の日も、ほぼ同じ場所に、ハグロトンボはいた。その次の日も。しばらくのあいだ、小径の薄暗い一角を通るたびに出会った。オスは縄張り意識が強いらしいので、同じ個体なのだろう。普段の朝より二時間も遅い時間に歩いて、さすがに今日は無理かと諦めていたところへ、ふと現れたこともあった。
あるときは、メスが、ミョウガタケの葉の上に留まっていた。黒一色なので、体色がエメラルド色のオスより地味だが、羽がオスは真っ黒なのに対し、メスは少し色が薄く、薄墨の感じがあって、これはこれで、美しい。
こうして、家のまわりを一周することと、ハグロトンボに出会うことが、わたしのなかで、重なっていった。
一週間か、二週間か、日数は覚えていないけれど、いずれにせよ長い期間ではなかったはずだ。トンボの季節が終わり、秋が深まってからも、小径を歩く習慣はつづいた。けれども、草の絶える冬になって、寒さと、道をつける必要もなくなったことから、歩くのをやめ、今年の春に、再開しようと思ったとき、ツタに囲まれた薄暗い通路の出口付近をハグロトンボが飛ぶ光景が、鮮明に目の前に浮かんだ。まるで、いつもハグロトンボと一緒に歩いていたかのように、自分が記憶していることに気づいた。
幻のように感じるものに思いがけず毎日出会い、驚いては見入ることを繰り返した印象が記憶に刻まれている一方、その反復がどこかの時点で、終わった、途切れた、という記憶はない。落胆や寂しさといった感情も残っていない。
出会わなければ、今日はいないな、と思い、そのうちに季節が過ぎるだけで、明確な断絶がないから、終わりの印象が刻まれなかったのだろうか。家の周囲をひとめぐりする、その動きのように、ハグロトンボを日に日に見た経験は、終わりのない循環として、わたしのなかに組みこまれたようなのだ。
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その年は、苦しい年だった。一昨年の終盤に急激な圧迫が重なって精神に亀裂が入り、翌春、少し塞がってきたところに無茶をして、再度、壊れた。診断は適応障害で、明確なストレス因子により抑鬱症状などが現れるものをいう。病気というよりは、怪我の感覚が強く、トラウマ(=外傷)の語を精神疾患に使う適切さがよくわかった。同時に、より重度の疾患である急性ストレス障害、さらに心的外傷後ストレス障害(PTSD)の、傷の深さを思った。
これまでに経験のなかった苦痛のひとつは、焦燥が高まったとき、思考が行き止まりになることだった。
通常、ひとが苦悩するとき、ひとつのことが頭から離れない、とはいっても、実際には、思考はそのひとつの主題のなかで、さまざまな悔いや恨みや仮定をぐるぐるとめぐっては、元のところに戻ってくる。もちろん、それはひどくつらいことだが、しかし、自分のなかで言葉を連ね、行きつ戻りすること自体を禁じられてみると、この懊悩すらも、ある程度の余裕、あるいは精神的健康があってこそできることなのだと気づく。
発作的な焦燥状態に襲われると、思考は展開しない。ただ完全に同じ言葉で突進して、その先はないから、虚空に激突する。それを延々と繰り返す。薬を飲んで、効いてくるまで耐えるしかないのだが、その間、自分を大事にする構えがあると自覚するわたしでさえ、意思ではなく衝動として、壁に力いっぱい頭を打ちつけそうになるときがある。もしも、自尊感情を剥ぎとられる環境に置かれていたなら、この状態で自傷を思いとどまるのは難しいのではないか、と思った。
その後読んだ齋藤塔子『傷の声』は、まさに精神的暴力に絶えずさらされる環境で育ち、その結果としての激しい自傷を生きて、ついに力尽きたひとの姿を記録している。そこにつづられた言語を絶する長い苦しみを、わたしは知ることができないが、行き止まりのスイッチが入ってしまったときの感じは、ほのかにわかる。こうして書いていても、手に汗がにじむ。
行き止まり、とはなにかを知り、そこから抜け出すことを願いながら日々を過ごす途上で、わたしは、ある朝、家のまわりを歩くことを思いついた。壁に頭をぶつける代わりに、その外側をめぐる。ひとつの軌跡を描いて、途中でなにかに出会い、最初の地点に戻ってこられることの、途方もない贅沢さ。ハグロトンボは、その豪奢の象徴として、わたしの瞼の裏に留まっているのだろうか。