ごめんなさい

篠原恒木

粗忽者なので「ごめんなさい」と言う場面が多い。太宰治が「恥の多い生涯を送って来ました」なら、おれは「ごめんなさいの多い生涯を送って来ました」と、第一の手記に書くべきだろう。

その場合は、なるべく心を込めて「ごめんなさい」と言わなければならない。顎を突き上げて「ごめんなさい」と言ったら、その直後にとても面倒なことになったことがあった。できれば頭を四十五度に下げながら言ったほうが無難なのだろう。謝り方には「ごめんなさい」以外にもいろいろな言い回しがある。思いつくままに挙げていこう。
「すみません」
「さーせん」
「メンゴメンゴ」
「ワリーネワリーネ、ワリーネ・ディートリヒ」
「申し訳ございません」
「お詫びを申し述べます」
「陳謝いたします」
「ご容赦くださいませ」
「不徳の致すところです」
「遺憾に存じます」

「遺憾に存じます」はもはや永田町あたりでしか使われないフレーズだろう。子どもの頃、ハナ肇とクレージー・キャッツの『遺憾に存じます』という歌を聴いたとき、「誠にイカンに存じます」だと思い込んでいた。「イカンことをした」という意味なんだろうな、と思っていたが、のちに「遺憾」という漢字と正しい意味を知ったときも、
「当たらずとも遠からず」
ではないかと思った。ついでに余計なことを書くと「身の毛がよだつ」という言葉もおれはずっと「身の毛が育つ」と思い込んでいた。これも「よだつ」より「育つ」のほうが恐ろしい感じが出るではないかと思っている。関係ないですね。間違ってるし。ごめんなさい。

謝り方のなかでも「ごめんなさい」というフレーズは、近頃ではカジュアルな言い方なのだろう。ここで普通のエッセイストならば、
「広辞苑・第七版 一九五五年五月二五日・第一般 第一刷発行/二〇一八年一月一二日・第七版 第一刷発行によると『ごめんなさい』という意味は」
などと書くのだろうが、おれはそんなことはしない。そもそも広辞苑の第七版も持っていない。だから以下はオノレのイメージだけで書く。「ごめんなさい」は「免じてください」ということなのだろう。赦しを乞う、というわけだ。間違っていたらごめんなさい。

おれが人生のなかでいちばん「ごめんなさい」と言っている相手は、妻だ。これは間違いない。一日に三回は「ごめんなさい」と謝っているような気がする。結婚して三十七年間になるので、計算すると四万回以上「ごめんなさい」と妻に対して申し述べたことになる。それでわかった。どうして最近は「ごめんなさい」といくら謝っても赦してくれないのだろうと不思議に思っていたが、四万回も言っていれば効き目も薄れているのは当然のことだ。ごめんなさい。

仕事でもおれは「ごめんなさい」とよく言っているような気がする。「気がする」と書いたということは、ひとつひとつの「ごめんなさい」にあまり心がこもっていないという事実につながるような気がする。「気がする」で終わる文を二回続けて書いてしまったが、これは仕方ないような気がする。三回になってしまった。ごめんなさい。
メールでは「ごめんなさい」とはあまり書かない。もう少しフォーマルに「申し訳ございませんでした」と書くが、PCというやつは厄介なもので予測変換という機能がある。「申し訳ございませんでした」と打って送信したつもりだったが、あとでよく「送信済みメール」を見直したら「申し訳ございませんでしたか」となっていたことがある。質問してどうする。ごめんなさい。

逆に「申し訳ございませんでした」と謝罪されることもある。ところがテキは「申し訳ございませんでした」という言葉のすぐあとに「資料を紛失してしまいまして」「電車が遅れまして」「道が混んでおりまして」などの言い訳を述べることが多い。「申し訳ございませんでした」という言葉の意味は「言い訳も見当たらないことをしてしまいました」ではないのか。おれはここでもいちいち「広辞苑・第七版 一九五五年五月二五日・第一般 第一刷発行/二〇一八年一月一二日・第七版 第一刷発行」を引かない、いや、持っていないので引くこともできないが、「申し訳ございませんでした」という言葉はそういう意味だと思う。なのに、「言い訳もできない」と言っておきながらすぐ言い訳をするのはどういう了見なのだろう。軽々しく「申し訳ございませんでした」と言ってはいけないのだ。おそらくね。

粗忽者なので、会社に「始末書」を提出することも多い。先日も会社の備品であるノートPCにコーヒーを派手にぶちまけてしまい、起動不可能になってしまった。関連部署に相談すると、
「始末書を書いて提出してください」
とホザかれたので、
「かねで解決しよう。修理代はおれが出すから」
と経済的和平提案、いや、簡単に言えば揉み消しを持ちかけたのだが、この場合は始末書が「決まりごと・ルール」であり、始末書さえ出せばすぐ代わりのPCを用意すると言う。仕方がないのでおれは確認した。
「始末書は社長宛てだっけ?」
「そうです」
おれは始末書の作成にとりかかった。便利な世の中で、いまや始末書の書き方などはウェブで検索すれば、すぐにテンプレートが見つかる。「会社のPCにコーヒーをぶちまけて起動できなくなった場合の始末書」というアホの見本のようなテンプレートは見当たらなかったが、テイストが近いもので「倉庫の鍵を紛失してしまった場合」のテンプレートがあった。これをそっくりコピー&ペーストして、本文の一部をササッと変えればいいだけだ。粗忽者だが几帳面なおれは、正確な事実を記すため、
「本日午後一時十六分、私の不注意で、同日午前十時七分にスターバックス九段下店で購入した『本日のドリップ・コーヒー/パイクプレイスローストのトール・サイズ(350ml)』のうち約95mlを、会社の大切なPCであるHP ENVY×360 13‐ayのキーボード全面に滴下し、本日のドリップ・コーヒー/パイクプレイスロースト約95mlは、PC上のありとあらゆるキーの隙間からマザーボードへと漸次的に流入し、その結果としてHP ENVY×360 13‐ayを起動不能に陥れるという痛恨の事態へと発展させてしまいました」
と書き変えようと考えたが、かえって嫌味になると思い、簡略化して書き直した。
かくして立派な始末書はあっという間に完成した。読み返すと、コーヒーをこぼしただけなのに、テンプレートを活用すると土下座級のレトリックになってしまっているではないか。ここまで陳謝するのも大袈裟なのではとは思ったが、まあいいかとばかりに提出した。すると、すぐ提出先の部署から電話があり、
「シノハラさん、これは書き直してください」
と言われた。
「なんで? 完璧だろう」
「宛先が社長名になっていません。『山田工場長殿』になっています」
テンプレートの本文は書き変えたのだが、宛先はテンプレートにあった「山田工場長」のままだったのだ。ごめんなさい。

今日も世界のいたるところで「ごめんなさい」という言葉がヒトビトの口から発せられているのだろうが、おれはこの世でいちばん誠意のない「ごめんなさい」を知っている。しかも、あろうことか、そのひとかけらの誠意も見当たらない「ごめんなさい」を、おれは毎日聞かされているのだ。
朝のTV情報番組で「めざまし占い」というコーナーがある。おれは必ず観てしまう。女性のアナウンサーが毎日言う。
「そして、今日いちばんツイていないかたは、ごめんなさ~い、乙女座のあなたです」
この「ごめんなさ~い」ほど心のこもっていない謝罪をおれは知らない。そもそもなぜ謝るのか。ランキング形式で占いをすれば、最下位が存在するのは仕方のないことだ。そしてなにより、占いをしていない女性アナウンサーに謝られても困るではないか。
「あなたに『ごめんなさ~い』と軽く言われてもなぁ」
と、いつもおれは思う。もし乙女座のヒトビトに対して、
「誠に不本意ではありますが、最下位という結果になってしまい、わたくしどもも痛恨の極みでございます。ご不快に感じられた方々もいらっしゃるかと存じます。しかしながら順位をつけるというコーナーの性格上、どうかここはご海容いただきますようお願い申し上げます」
という思いがあるのなら、いや、ないとは思うが、もしあるのなら、しかるべき人間、たとえば占った先生が「ごめんなさい」と言うべきであろう。だが、女性アナウンサーは言う。
「今日いちばんツイていないかたは、ごめんなさ~い、乙女座のあなたです。うっかりミスで大切なものを故障させてしまうかも。でも大丈夫、そんなあなたのツキを回復してくれるラッキー・アイテムはドリップ・コーヒーでぇす。今日もいい一日を」
後半は大外れだが、前半部分はピタリと当たっているではないか。ごめんなさい。