首の皺

植松眞人

 先日、渋谷の古いバーのカウンターで、友人の真壁がふと洩らした一言が気になって仕方がない。
「女の首に皺ができるじゃない。歳を食ってくると。あれがいいんだよ」
 なにも皺ができるのは女だけじゃない。男だって出来るだろうと答えると、
「そういう歳を重ねるとね、という話しじゃなくて、首に皺が寄り始めた女が好きなんだって話しだよ」
「好きなのか」
「好きなんだよ」
 と言葉を交わした後、私は黙り込んでしまった。黙り込みながら真壁の首筋を見ると、彼の首にも喉仏の上を縦に走るように皺というかたるみがあった。それを見ながら、真壁の喉を指で触るかのように自分の喉元を顎の真下からゆっくりと鎖骨方向へ撫でた。まるで真壁とまったく同じ縦皺が自分にも走っているような感触が指にあった。そうか、自分にも二つ年上の友人、真壁と同じような年寄りじみた皺があるのか、と思うとなんだか真壁をからかってやろうという気力が失せてしまった。
「なぜ、好きなんだ」
 私が聞くと、真壁はちょっと顎を引いて、笑うなよ、という顔をして見せた。
「わからないんだよ。わからないんだが、女が動揺しているのを見るのが好きってわけじゃないんだ」
「意地悪じゃないと」
「俺は意地悪じゃないよ」
 真壁はそう答えると、はにかむように笑った。その恥ずかしそうな顔が私には面白く、しばらく自分の首の喉仏のあたりにある縦皺に触りながら真壁の視線を落とした顔を見ていた。そして、私の首にある縦皺を触りながら、さっきと同じように真壁の首の縦皺を触っているような感覚に陥り、彼は恥ずかしそうにしているのは、私がその首に触れているからだという気持ちになってしまう。いや、もしかしたら、本当に真壁は私が首に触れていることを想像しているのではないかと思い始めると、私は妙な気分になってしまった。
「なあ。お前、俺の首にある縦皺をじっと見ながら自分の縦皺に触ってみろよ」
 私がそう言うと、真壁は意外な顔をした。
「俺の首には縦皺なんてないだろう」
 そういうと、真壁は自分の首の喉仏あたりに触れる。
「お前、知らなかったのか。自分の首の縦皺」
「うん。知らなかった。これ、そうだよな」
 と言いながら真壁は自分の縦皺に右手の人差し指の腹を当てて、上下に探ってみている。
「で、これをどうするって」
「俺の首の縦皺をじっと見ながら、自分の縦皺をさすってみるんだよ」
 真壁は私に言われたとおりにした。すると、真壁は小さく、おおっ、と声をあげて笑う。
「こりゃ、妙な具合だな。俺がなんだかお前の首に触っているような気分だ」
「な、そうだろ」
 そう言いながら、私も改めて真壁の首をじっと見つめながら自分の首の縦皺を探る。
 私たちは渋谷の古いバーのカウンターに隣通しで座り、お義理程度のソーシャルディスタンスを意識しながら、互いの首に触れている気分で言葉少なにいつまでも水割りを飲んでいた。(了)