すでにご存知かと

篠原恒木

「すでにご存知かとは思いますが」
と、前置きしてから話す人がいる。おれはこの前置きが大の苦手だ。なぜならおれはほとんどのことを「ご存知」ではないからだ。
「すでにご存知かと思いますが」
と冒頭に述べてから、必ずそのヒトはいわゆる「ギョーカイばなし」を披露する。
「ヤマダ出版がタナカ出版に吸収されたんです。ご存知ですよね?」
「知りませんでした」
おれがそう言うと、そのヒトは鼻を大きく膨らませて、
「おや、そうでしたか。タナカ出版がヤマダ出版を事実上買収したかたちなので、ヤマダ出版の役員陣が相当数退職に追い込まれているようですよ」
などといった、ギョーカイばなしを得意気に喋り出す。おれは正直に、
「そうですか。あいにくヤマダ出版もタナカ出版も知らないもので」
と応える。そのヒトは少しがっかりしたような顔になるが、さらに話を続ける。
「まあ、これもすでにご存知かとは思いますが」
またかよ、とおれはげんなりしてくる。
「毎朝新聞の人事が大幅に変わりました。スズキさんが執行役員になったのは意外でしたが、これでタカハシ局長がラインに乗ったことになりますね」
「そうなんですか」
おれが気のない返事をすると、そのヒトは「そんな情報もインプットしていないのか」と小馬鹿にしたような顔でおれを見ながら、
「だってスズキさんがボードに上がったわけですからね、これは布石ですよ、布石」

この「すでにご存知かとは思いますが」おじさんは、一か月に一回の割合でおれのもとを訪ねて来ては、一方的に「ギョーカイばなし」を披露して帰って行く。
おれはこのテの話にまったく興味がない。ヒトサマの会社がヒトサマの会社に吸収されようが、ヒトサマの会社の人事がどう変わろうが、どうでもいいと思っている。知りたいとも思わない。だいたいボードってなんなのだ。ラインとはなんぞや。ボードは波乗りする前にきちんとワックスを塗るものであるし、ラインはときどきスマートフォンで「今晩会えますか? うふ」などと届くものなのだ。
ヒトサマの会社だけでなく、おれは自分の会社の人事も機構改変ですらも「公示」の日までまったく把握していないし、公示されたところで興味もないし、ピンとも来ない。なぜなら知らない名前に聞いたこともない部署の羅列を見せられるだけだからだ。
「ああ、あいつはあの部署に異動したんだな」
「おや、あいつはずいぶん出世したんだな」
といった感想もないし、興味が湧くはずもない。
「自分が勤めている会社の社員たちの名前くらいはわかるでしょう? そんなに大きい会社でもないんだから」
という声もあるだろうが、おれは社内に友だちがいないので、廊下ですれ違う社員らしきヒトビトの顔も名前もよくわからない奴らばかりなのだ。

「すでにご存知かとは思いますが」
と前置きするおじさんは、どうやらいろいろな会社に行ってはギョーカイの人事情報やよその会社情報をヒトビトに話し、ときどき仕事を得ているようだ。つまりは「ギョーカイばなし」には、それなりの「需要」があるのだろう。
今日も「すでにご存知かとは思いますが」おじさんがやって来て、
「すでにご存知かとは思いますが」と始まったので、おれはすぐさま、
「いえ、ご存知ありません」
と、おじさんの口を塞ごうとした。もうこれ以上、ヒトサマのどうでもいい人事情報などを延々と聞かされるのはたまったものではない。するとおじさんは、
「そうですか、ご存じありませんか。じつはこの四月で夕陽新聞のナカヤマ局長が役員に昇格しました。夕陽もずいぶん変わりましたね」
と、一方的に話を続けるではないか。そのおじさんの鈍感力にオノノキながらおれは言った。
「おれは役員さんと仕事するわけじゃないから、あんまり関係ないですねぇ」
「まあ、それはそうでしょうが、情報として」
やれやれと思いつつ、話を切り上げようとすると、「すでにご存知かとは思いますが」おじさんはおれに言った。
「何かあったらいつでもご連絡ください。なんでしたら夕陽新聞に御社の書籍のパブリシティ記事を書かせましょうか?」
おじさんは「ギョーカイにおける自分の人脈の広さ」を誇示しようとしているらしいが、動脈・静脈・山脈までは認めることができても、人脈という言葉には卑しさを感じてしまうおれは嫌な気分になった。なにより「書かせる」という言い方にカチンときた。
「すでにご存知かとは思いますが」
と、おれは言ったあとで席を立ちながら続けた。
「おれはヒトサマの会社の人事情報にこれっぽちの興味もないのです。したがってそれらの話を存じたくもないのです。あなたを介して夕陽新聞に記事を書かせよう、いや、書いていただこうなんてことも思ってもいません。ご足労ありがとうございました。これで失礼させていただきます」
ここまで言えば、もう「すでにご存知かとは思いますが」おじさんから来訪のアポイント電話も今後はないだろうと思っていたが、一か月後におじさんから電話があった。
「連休明けのどこかでお時間を頂戴したいのですが」
「すでにご存知かとは思いますが連休明けは時間がなかなか取れません」
「では次の週のどこかで」
おれは呆れながらも根負けして、
「じゅ、十六日なら空いている時間が……」
と言ってしまった。これが大きな間違いだった。
「十六日、結構です。何時でも大丈夫です。何時に伺えばよろしいですか?」
「ええと、十七時以降でしたら体が空きます」
「十七時、ですか……困ったな」
「えっ? 何時でも大丈夫とおっしゃったではないですか」
「十七時ですと……すでにご存知かとは思いますが、私の帰りが遅くなっちゃうもんで」