ぼくがおれに変わった日

篠原恒木

おれは昔、ぼくだった。
「ぼく」だった頃がこのおれにもあったのだ。生まれてこのかた、ずっと「おれ」だったわけではない。

四十年も前のことだ。ぼくは出版社に入社して、週刊誌の編集部に配属された。そう、この頃は「ぼく」だったのだ。右も左もわからず、ひっきりなしに編集部にかかってくる電話を取るのがひたすら怖かった。ぼくは間違いなく会社の中でいちばん仕事ができないニンゲンだった。そんなある日、デスクはぼくにこう言った。
「鎌倉の大仏にセーターを着せよう。おまえが担当しろ」
「は?」
「大仏様も外で寒いだろう?」
「はあ」
「そこで読者にお願いして、要らなくなったセーターを集めるんだ。その集まったセーターをパッチワークで大仏様のサイズに編む。出来上がったらそれを大仏様に着せて写真に撮る。どうだ、名案だろう」
「そんなこと、お寺が許すとは思えないのですが……」
「企画書を書いて、鎌倉のお寺に持って行け。そこでお願いするんだ」
「ぼくがですか」
「ほかに誰がいるんだよ」
ぼくだったおれは手書きで企画書を作った。縦書きの便箋二枚分になった。ワープロもPCもない時代である。企画書をデスクに見せた。
「まあいいだろう。これを明日お寺に直接持っていって、読んでもらったら、その場で話をまとめろ」
「あのぉ、来訪の旨を事前に電話したほうがいいですよね」
「しなくていい。いきなり訪問しろ」

ぼくはその夜眠れなかった。企画書をお寺の誰に読んでもらえばいいのだろう。その前に、こんな馬鹿げた、バチ当たりな企画をお寺が許可するわけがないと思った。だが無情にも朝になってしまった。ぼくは横須賀線、江ノ電と乗り継いで、長谷駅で降りた。そこから十分弱歩けば鎌倉大仏が鎮座する高徳院がある。しかし誰に、どのようにお願いすればいいのだろう。ぼくの足取りは重かった。だが、思い悩んでいるうちに高徳院に着いてしまった。拝観料を支払い、参道へと進み、青空の下で大仏様を見上げた。巨大だった。さてどうしよう。ぼくはすぐに寺務所を見つけた。もう行くしかないな、と観念した。場所はお寺の境内だ。これほど観念という言葉がふさわしい状況はないだろう。いや、ウマいことを言っている場合ではない。
「すみません」
寺務所でそう言うと、袈裟を着た男性の方が出てきてくれた。ぼくは名刺を渡し、
「ご住職様はいらっしゃいますでしょうか」
と尋ねた。
「どのような御用でしょうか」
ぼくはその人に封筒に入った企画書を渡して、企画内容のようなものを口頭で説明した。汗が噴き出ていた。袈裟を着た人は封筒を開け、便箋二枚に目を通し、静かに言った。
「このようなことは……お引き取りくださいませ」
ぼくには食い下がる気力がなかった。
「大変失礼いたしました。どうかお許しください。申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げ、ぼくは事務所を辞去した。顔は真っ赤になっていたはずだ。
「無理に決まっているじゃないか」
「無理に決まっているじゃないか」
「無理に決まっているじゃないか」
ぼくは何度も何度もつぶやきながら、いま来たばかりの参道を出口に向かって歩き、お寺の外へ出た。そのすぐ脇には電話ボックスがあった。ぼくは中に入り、十円玉を何枚か入れて、編集部の番号をダイヤルした。デスクが電話に出た。
「すみません、ダメでした」
「ダメ? 何がダメだったんだ?」
「鎌倉の大仏様にセーターを着てもらうという企画です。丁重にお断りされました」
「ああん? おまえ、いまどこにいるんだ?」
「鎌倉の高徳院ですけど」
受話器の向こうから呆れかえった声が聞こえた。
「嘘だろ? おまえ、本当に行ったのか?」

コンプライアンス、パワハラなどの言葉は影も形もなかった頃である。受話器を戻した瞬間、ぼくはおれになった。すっかり、完全に、これでもかというほど、やさぐれてしまったのだ。この仕事は、ぼく改メおれには向いていないと心の底から思った。あの日以来、おれはおれのままである。