めんどくさい

篠原恒木

季節の変わり目になると、特に冬から春に移り変わる頃は、あらゆることがめんどくさくなる。いまおれは「めんどくさい」と書いたが、我がPCは「めんどくさい」という文字の下に赤い波線をつけてきた。
「あのぉ、『めんどくさい』ではなくて『面倒くさい』ではないですか」
と要らぬお節介をしてきたわけだ。これからして実にめんどくさい。ゆえに無視だ。

毎朝、髭を剃るのがめんどくさい。
おれは電動カミソリではなく、シェーヴイング・フォームを顔に付けたあと、T字型の替刃式カミソリで剃るのだが、あれは本当にめんどくさい。ならば髭を剃らずに伸ばしたままにすればいいではないかとも思うのだが、伸ばせば髭のかたちを整えなければならない。それはさらにめんどくさい状況に陥るではないか。仕方なくおれは今朝も髭を剃る。

風呂に入るのがめんどくさい。
特に湯船につかるのが大儀だ。だからおれは冬でも朝のシャワーだけで済ませてしまう。寒い寒い。風呂場を出ると体がブルブル震える。しかし、それでも「夜寝る前には、ゆっくり湯船でリラックス・タイム。うふふ」などとホザいている奴の気が知れない。めんどくさいではないか。長年にわたって深夜帰宅してきたおれは、風呂に入るより睡眠時間の確保が大切だった。その習慣がいまでも続いていて、夜の風呂はパスして、翌朝のシャワーで一丁上がりなのだが、そのシャワーですらめんどくさい。

服を着たり脱いだりするのがめんどくさい。
できればパジャマのままでカイシャへ行きたい。冬はことさらめんどくさい。重ね着をしなければならないからだ。おれは寒がりなのでたくさん着込まないとすぐ風邪をひいてしまう。したがって三枚も四枚も重ね着をすることになるのだが、根がスタイリストに出来ているので、いちいちインナーからアウターまで破綻のないようにコーディネートしながらレイヤーしていく。これが実にめんどくさい。そして長い一日が終わり、帰宅すればその服をいったん脱がなければならないのだが、この「脱ぐ」という作業もめんどくさい。コートを脱いでハンガーにかけ、次にセーターを脱ぎ、畳んで箪笥の引き出しに収納しなければならない。さらにヒート・テックを脱いで洗濯物の籠に入れる。これらの行為を「めんどくさくない」と言うヒトをおれは信じない。夏だとTシャツ一枚をあらよっとばかりに脱いでしまえばそれでおしまいなので、夏という季節は嫌いではない。脱ぐのがめんどくさくないという状況は、好きなあのコとお泊りするときだけだ。うふふ。

出掛けるのがめんどくさい。
カイシャに出勤するのがいちばんめんどくさいのは当たり前だが、好きなあのコとメシを食うのもめんどくさくなってきた。会う約束を取り付け、店を予約した時点では、ドキドキ、ウキウキ、スキスキと、全面的に「キ」が多い気分になるのだが、その日が近づくと「なんだかちょっとめんどくせぇな」という気分になってくる。当日になると、さらにその気分は濃厚になり、「ああ、約束なんてするんじゃなかった。めんどくさい」という気持ちに囚われてしまうのだ。これはあまりにも不遜ではないか。よくないと思う。相手は若いコだ。こんな汚らしい六十三歳になろうとしているジジイと会ってくれるだけでも有難いと思わなければいけないところを「めんどくさい」とは何事か。バチが当たってしかるべきだが、めんどくさいものはめんどくさいのだ。

苦労してチケットを手に入れたコンサートもそうだ。
この四月には、おれが十五のときからずっと大ファンでいるボブ・ディランの来日公演が予定されている。これには万難を排して駆け付けなければならない。来日の一報が入るや否や、おれは逆上してチケット最速抽選に申し込んだ。東京公演全五回のうち、四回にエントリーした。どうせ観るなら良席がいいと思い、すべて五万一千円のGOLDシートを指定した。
「相手はあのボブ・ディランだ。チケット争奪戦は必至だろう。当選する確率は限りなく低いに決まっている。それでも四公演も申し込めば、一公演くらいは当選するのではないか」
と考えたからだが、驚いたことに四公演すべてGOLDシートが当選してしまった。二十万円以上が吹っ飛ぶことになるが、ディラン様だけには逆らえない。おれはなけなしのへそくりをはたいて四公演すべてに足を運ぶことにした。これで素晴らしい席でボブ・ディランを四回も観ることができる。おれは多幸感に包まれた。かねは無くなったが、その四公演を楽しみに生きて行こうと思った。ところが、である。東京公演の日が近づくにつれて、ライヴへ出掛けるのがめんどくさくなってきた。会場は有明の東京ガーデンホールである。有明はアクセスが不便だ。行くのも時間がかかるし、帰るのも難儀だ。ああ、めんどくさくなってきた。おれが今いるこの場所へディランが出張してきて、目の前で十五曲くらい演奏してくれないかなと思うが、流しのおじさんではないので、それは無理というものだろう。おれが行くしかないのだ。しかも四回も。なんとまあ、めんどくさいことではないか。

ジムに通うのもめんどくさい。
できれば筋トレやらジョギングなどをしないで体型をキープしたい。なぜかねを払ってあんなツライことをしなければならないのだろうと思う。だが、運動をしないと腹が出てしまう。腹が出ているジジイにはなりたくない。かといって、やみくもに筋トレしていると、体が分厚くなってしまうのでトレーニング・メニューをきちんと立てなくてはならない。大胸筋が異常に発達するのも嫌だし、上腕二頭筋だって単に太くするのではなく、細かい筋肉を刺激して腕にきれいなカットを入れなくてはダメだ。めんどくさい。時間をかけてジョギングをしないと脂肪は燃焼しない。脂肪は人生の垢だ。だからおれは「ああ、やだやだ。めんどくせぇな」と思いつつも、重い腰を上げてジムへと向かう。
「これは仕事なのだ。仕事であればやらなければならない」
そう呪文のように唱えながらジムへ到着するが、めんどくさいあの着替えが待っているではないか。そうしてめんどくさい運動をした後はめんどくさいシャワーを浴びて、再びめんどくさい着替えをしなければならない。本当にめんどくさい。

そんなおれは仕事仲間のヒトビトにこう言われていると、あるヒトが教えてくれた。
「シノハラさんはいろいろとめんどくさいヒトだから、気を付けたほうがいい」
心外だと思ったが、ムキになって否定はしなかった。めんどくさいから。