公演『幻視 in 堺 ―南海からの贈り物―』の演出(1)

冨岡三智

今回は3月11日にフェニーチェ堺・小ホールで行った公演の演出について書き残しておきたい。いつものごとく、自分の公演について主観と言い訳交じりで語るのだけれど、何十年か後にはきっと当事者が語る貴重な証言になっているに違いない…と思うことにする。まず、プログラムは以下の通り。

第1幕:ガムラン音楽とスラカルタ王家の儀礼映像
 ・「夜霧の私」(山崎晃男作曲)
 ・グンディン・ボナン「ババル・ラヤル」
 ・「ガドゥン・ムラティ」
第2幕:宮廷舞踊「スリンピ・スカルセ」完全版

●ウィンギット(wingit)なるもの

ジャワの宮廷芸術で目指す境地を表す語は?と問われたら、私は「ウィンギット」だと答える。この語については『水牛』2009年8月号「ジャワ舞踊の美・境地を表す語」でも書いたけれど、「超自然的な存在(それは神でもあり災厄でもあるだろう)に対する恐れ、畏れ」のこと。その災厄から王国を護るため、畏怖心から行うものが宮廷儀礼であり、今回の公演では宮廷儀礼の奥にあるそのウィンギットなるものを表現したいと思っていた。

今回の公演会場は一般的な音楽向けのホール(300席)である。第1幕の背景は白のホリゾント幕とし、そこに宮廷儀礼の映像を投影したが、第2幕の背景は黒幕にした。演奏者の衣装も上半身は黒とし、女性はお揃いの生地・デザインでクバヤ(ジャワの伝統的なブラウス)を仕立て、男性も全員、黒のビスカップ(スラカルタ様式の男性上着)にした。前回の堺公演でも女性のクバヤは黒にしたが、各自手持ちの物を着てもらったので、デザインや質感には多少ばらつきがある。背景が黒一色になるとそのばらつきが気になると思えたので、新たに仕立てたのだった。男性の場合、前回はジョグジャ様式の正装(スルジャン)とスラカルタ様式の正装(ビスカップ)が混在していたが、柔らかい織り素材で色も真っ黒ではないスルジャンだと、やはり他の人や背景幕からも浮くように感じたので、黒のビスカップで統一した。演奏者からは、衣装の色が背景と同化して生首が並んでいるように見えないかな?という不安の声もあったのだけれど、実は敢えてそうしていた。通常のコンサートでは黒をバックに演奏家を際立たせるが、逆に黒のバックに溶け込ませたかったのである。

どの曲も前奏は暗い中で始まり、音が出てから舞台がだんだん明るくなるように、さらに映像は音楽のテンポが安定してから投影されるようにして、まずは音に集中してもらえるようにした。そして、歌声だけが際立たないように気をつけた。もともと、ガムランでは歌も楽器の1つとされているのだけれど、ジャワでも宮廷外では歌い手を目立たせすぎることが多い。この公演ではそれを避けた。人の声とも楽器の音とも区別のつかない響きが暗闇から聞こえてくる…、それは狼の鳴き声のようにも、風が空を切る音のようにも聞こえる…、遠くから大いなる存在が発現するような気配がする…。そんな風に、公演の音全体が聞こえてほしいと思っていた。舞台に載っている人の存在感を消すことで、そんな世界が存在することが見えてくるのではないか…と考えたのだった

●1曲目

通常、ジャワ・ガムランで開始の曲と言えば「ウィルジュン」だが、今回はそうしなかった。というのはグンディン・ボナンという種類の曲「ババル・ラヤル」を演奏すると先に決めていたからである。この種の曲は宮廷では即位記念日や結婚儀礼の前夜に演奏され、そのとき精霊たちが祝福を与えに降りてくると言われている。「ウィルジュン」は儀礼当日の最初に演奏される曲だから、それをグンディン・ボナンの前に演奏すると時系列が前後してしまう。さらに、その精霊が降りてくる曲の後には、供物を準備してお祈りしないといけない「ガドゥン・ムラティ」という曲が控えている。供物やお祈りを欠くと災いがもたらされるという。「ウィルジュン」(つつがなくの意味)は文字通り儀礼がつつがなく終わるようにと演奏するものだが、今回のプログラムのような重い曲の演奏が続くことは想定されていないと私には感じられる。というわけで、1曲目の役割は観客を未知の世界にいざなってくれるようなものが良い、むしろガムランの現代曲から選んだほうが良いと考え、ダルマブダヤ代表の山崎晃男氏が作曲した曲の中から選んだのが「夜霧の私」である。他の2曲が少々長いので、「夜霧の私」は1曲全部ではなく途中までしか使っていないが、なんだかジャワから懐かし気に呼ばれているような心持ちになる曲だ。それで、この曲には王宮にだんだん近づいていく映像をつけようと思いついたのだった。

●音楽と映像とα

第1幕ではガムラン音楽の演奏にあわせ、舞台奥のホリゾント幕に映像を映した。上映した映像はウィラネガラ氏が制作し、来日してオペレーションも行った。氏は2004年に亡くなったスラカルタ王家当主:パク・ブウォノXII世のドキュメンタリー映画を制作した人で、その作品によりインドネシア・フィルム・フェスティバルで最優秀映像賞を受賞している。私は2000年かそれ以前からスラカルタ王家の儀礼で知り合いになっていた。

映像を入れようと思ったのは、音楽だけではジャワ王家の儀礼の雰囲気はよくわからないだろうなと思ったからだった。楽曲そのものだけでなく、それを取り巻く環境も感じてほしかった。王宮の建物はどんなものか、人々はどんな衣装を着ているのか、王宮儀礼ってどんなものなのか…。人が真剣にやっている儀礼というのは、意味がわからなくとも何か伝わるものがある。それが美しい響きの音と一体となって観客の記憶の中にしみこんでいってくれたらいいなと思う。

それで、ウィラネガラ氏に、今まで王宮儀礼に入って撮りためていた映像から、王家の守護神である女神ラトゥ・キドゥルに関連する儀礼、女神の棲む南海岸、王宮での精霊に対する様々な祈りの場面などを取り出し、曲の進行に合わせて映像を編集してもらった。公演であって研究会ではないから、説明的な映像の見せ方ではない。王家の人々の間で信じられている女神の存在が映像から感じ取られ、そのイメージの断片が心の中に残って、今後ふと思い出してくれることがあったら嬉しい。

音楽と映像に加えて、1曲目は映像の情景にあわせて語りをかぶせ、3曲目はお祈りのパフォーマンスとワヤン(影絵)も上演した。1曲目で語りを入れたのは、王と女神が南海岸で出会ったとか、八角形の塔で王と女神が交信していたとか…少し手掛かりになる情報があると映像世界に入りやすいようにと思ったから。

3曲目のお祈りパフォーマンスは舞台用としてアレンジしたものだが、王家の儀礼で多くの人々が準備に関わっていて供物を運んでいく様子を描こうと思い、衣装をつけた踊り手4人と演奏していない演者がぞろぞろと蛇行しながら舞台を練り歩くように演出した。背後の映像では実際の儀礼における行列シーンは映し出されているが、第2幕の舞踊用に舞台手前は空けてあるから、その空間を埋めたかったのである。舞踊曲もある公演だと、演奏者はどうしても舞台奥でじっとしている感じになり、舞踊がないときは観客の前にぽっかり空いた空間ができる。普通、舞踊公演では踊り手は自分の出番がくるまでは観客の前に衣装を着て出てくることはないので、何か批判なり反応なりがあるかも…と思っていたが、全然なかった。こういうもんだと思ってくれたみたいだ。

このお祈りのシーンでは京都にあるバリバリインドネシアというレストランに供物を作ってもらい、ジャワでやっているように大きなザルに盛ってもらった。3種類のうち1つはクタンビル(スラカルタ王家で女神のために作られるお供え)を見様見真似で、1つはアプム(パンケーキ、一般的だが儀礼用に作られる)、1つはお任せである。クタンビルは当然レストランの人は食べたことがないので宮廷での味とは違うけれど、たぶんその努力に免じてラトゥ・キドゥルは赦してくれるだろう。やはりお供えがあると出演者のテンションが上がる。舞台では先頭にお香を持った私、お供えの菓子が続くのは元スラカルタ王家の踊り手だった2人の指南による。本当は踊り子がお香を持つのは変なのだが、私が持つということで消防に届けてしまった。全員が座ると、私は四方に向かって合掌し、最初の1回は他の人も一緒に合掌する。このように四方に向かってするお祈りは王家で行われていて、特に「ブドヨ・クタワン」で踊り子がやっているのがとても印象に残っている。

3曲目の「ガドゥン・ムラティ」は複数の曲がつながっていて、テンポが速くなったところで、最後のアヤアヤアンという部分に移行する。影絵人形操作をするナナンさんはこのアヤアヤアンの前奏部分を歌って出てきて、お祈りの人たちがはけていくのと入れ違いに影絵の世界が始まる。影絵の場面を作ったのは、ルワタンという魔除けの影絵は南海の女神から授けられたという伝承があるから。この「ガドゥン・ムラティ」の曲は南海の女神の許を訪れた王家のグンデル(この曲の前奏を弾いていた楽器)奏者の女性が女神から授けられたという伝承があり、どちらも女神ゆかりの―それゆえに霊力がある―ものとして共通点がある。影絵奏者が出てくるところから照明を落として影絵が始まるまでのしばらくの間、王家の影絵奏者の映像が少し挟まれる。そして、ナナンさんが観客に背を向けると、彼のビスカップの背中にある絵羽模様が目に入る。これはナナン氏が黒留め袖の着物をビスカップに仕立てたもので、前から見ると普通の黒いビスカップなのである。背中を見せると、それまでの演奏者がダランに変貌するのが面白いかなと思ったのだが、どうだろう。

…ということで、今回の話は時間切れになってしまった。舞踊演出については来月書きます。